| ■ライ・クア・バード 04■
 
 「雷蔵、これ読んだ。面白かったよ、有難う」
 
 朝に貸した文庫本が昼休みに返却されて、ぼくは手に持っていたツナサンドを落としそうになった。
 
 「えっもう読んだの?」
 
 どうにかツナサンドを掴み直し、尋ねる。だってまだ貸してから、三時間くらいしか経っていない。ぼくはこの小説を読み終えるのに、どれだけの時間を要しただろう。 
          休日をまる一日潰して読んだ気がする。なのに、三郎は、午前の授業だけで読んでしまった。
 
 「うん、読んだ」
 
 「は、はやいね……!」
 
 こともなげに頷く三郎から、文庫本を受け取る。彼はいつもと変わらない笑顔で、ぼくの机の上にコンビニの袋を置いた。そして、手近な空席から椅子を引っ張って来て、腰掛ける。
 
 「犯人と仕掛けが意外すぎて、びっくりした」
 
 「……っ! だよねえ!」
 
 三郎から、期待どおりの感想が返って来たので、ぼくは思わず身を乗り出して同意した。そうそう、正しくそこに驚いて欲しかったのである。
 
 「思わず見返しちゃうね、あれは」
 
 コンビニの袋から、がさがさと烏龍茶の500mlパックを取り出して、三郎が笑う。
 
 「だろ、だろ!」
 
 ぼくは頬を熱くして、めいっぱい頷いた。こんな風に、自分の勧めた本に反応を貰えることなんて初めてなので、物凄く、嬉しい。
 
 「何なに、何の話してんの?」
 
 そこに、購買から戻ってきた八左ヱ門が現れた。彼は戦利品の焼きそばパン、メロンパン、カツサンド、サラダロールをぼくの机にどさどさと
 積み上げる。早期売り切れ必至のカツサンドを買えたなんて、凄い。相当頑張ったに違いない。
 
 「三郎に貸した小説の話」
 
 そう答えると、八左ヱ門は「ああー、それはちょっと入れねえなあ」と苦笑した。そして彼も三郎と同じく、近くの空席から椅子を引っ張ってくる。
 
 「八左ヱ門も読めば良いのに」
 
 「えー……」
 
 八左ヱ門はぼくの言葉を聞いて、机の上に置いてあった「ロートレック荘事件」を手に取り、ぱらりと開いた。しかしすぐ「字ィちっちゃ!」と言って本を閉じてしまう。
 
 「これはおれには無理だわー」
 
 「面白いのになあ」
 
 まあそう言うだろうな、と分かっていたけれど、少し残念な気持ちになる。ぼくは文庫本を、机の横に引っ掛けていた鞄の中に放り込んだ。
 
 「というかお前はもっと語彙をつけろよ」
 
 烏龍茶のパックにストローを入れ、三郎が言った。八左ヱ門は引きちぎるようにしてサラダロールの封を開け、眉を寄せる。
 
 「いやあ、おれはなあ……」
 
 そこまで言って、彼は口と手を止めた。中途半端に、ビニールからパンを取り出した格好のまま、しばし固まる。
 
 「……あれ?」
 
 八左ヱ門は首を傾げた。ぼくも、つられて首を傾ける。三郎も、同じポーズを取った。
 
 「八左ヱ門、どうかした?」
 
 尋ねると、彼は逆の方向に首をぱたんと傾けた。ぼくも、同じように首を動かす。そうしたら、三郎も以下同文。
 
 「……いや、待てよ」
 
 八左ヱ門は、サラダロールに視線を落とした。ぼくも、そちらを見る。サラダロール。カツサンドには劣るが、これも購買部の人気メニューである。やわらかなロールパンの中に、コールスローサラダとハムが入っている。正直、食べ応えという点では少し物足りないけれど、何よりもほのかに甘いロールパンが美味しくて癖になる。ぼくも、購買で昼飯を買うときは必ずこれを選ぶ。
 
 「何がだよ」
 
 三郎が、声に若干の苛立ちを滲ませて先を促した。彼は気が短い。……の割に、ぼくは彼に急かされたことが無いな、そういえば。
 
 「おれら、昨日も、こういう会話したっけ?」
 
 八左ヱ門が顔を上げる。ぼくと三郎は、なんとなく目を見合わせた。一体、何を言い出すのだろうと思う。何よりも、八左ヱ門がやけに真面目な表情をしていたのが、意味不明だった。
 
 「……してないんじゃない?」
 
 そう言うと、三郎も 「してない」と頷いた。すると八左ヱ門は、虚を突かれたような顔になった。
 
 「あれ、そう?」
 
 「何言ってるんだ、お前」
 
 三郎が、片肘をついて息を吐き出す。八左ヱ門は唇を尖らせて、勢いよく袋からサラダロールを引き抜いた。
 
 「いや、何か……うん、気のせいだった」
 
 「何だそれ」
 
 「大丈夫かよ」
 
 ぼくと三郎は口々に言った。八左ヱ門は、決まりが悪そうに手を振る。
 
 「だから、ただの気のせいだって。良いから飯食おうぜ、飯」
 
 そうして彼は、大きな口を開けてサラダロールにかぶりついた。ぼくは、分厚いカツの挟まったカツサンドを指さし、「カツサンド、買えたんだ。凄いねえ」と言った。すると八左ヱ門は、口の中のものをごくりと呑み込み、誇らしげに胸をそらした。
 
 「そう! これ、最後の一個だったんだよ。まじやばかった!」
 
 ぼくは思わず、おおお、と声をあげて手を叩いた。隣で、三郎が昆布おにぎりの外装フィルムを剥がしながら、「何がやばいのか、意味が分からん」と小声で呟いた。それを聞き逃さなかったぼくは、三郎の方に顔を向けた。
 
 「いや、やばいよ。最後の一個はやばい」
 
 真剣な口調でそう言うと、三郎も真面目な面持ちになって「そうなの?」と返して来た。
 
 「うん、だから三郎も、購買でカツサンドを見かけることがあったら、買った方が良いよ」
 
 「分かった、そうする」
 
 三郎は、まるきり子どもみたいな素直さで首を縦に振った。そのあどけない仕草が可笑しくて、ぼくと八左ヱ門は笑った。
 
 「三郎は面白いなあ」
 
 ぼくは喉を震わせ、手を伸ばして三郎の頭を撫でた。三郎は、「うわっ」と微かな声をあげて、肩を縮めた。あ、嫌だったかな。ぼくはすぐに手を引っ込めた。
 
 先程のぼくらのやりとりは八左ヱ門の笑いのツボを刺激したらしく、彼は身体を折り曲げて大笑いしていた。それを見て、三郎はチッと舌打ちをする。
 
 「雷蔵は良いけど、お前に笑われると何か腹立つな……」
 
 「何だそれ、ひでえ」
 
 目尻に浮かんだ涙を拭い、苦しそうに八左ヱ門は言った。ぼくは彼らを、微笑ましい気持ちで見つめる。まだ出会って間も無いけれど、彼らは良いコンビだと思う。三郎は少し八左ヱ門にきつく当たるけれど、決して八左ヱ門を嫌っているわけではなく、それがひとつの持ちネタみたいになっていて面白い。
 
 「そうだ、雷蔵。他にもミステリって持ってる?」
 
 くるりとこちらを向いて、三郎は言った。ツナサンドを噛み締めていたぼくは、口を動かしながら頷いた。
 
 「うん、いっぱい持ってるよ。もっと読む?」
 
 「読みたい」
 
 「じゃあ、また持って来るね!」
 
 三郎と趣味を共有出来ることが嬉しくて、ぼくは笑顔になった。そうしたら彼もにっこりと微笑み、「うん!」と言った。
 
 ああ、この学校に入って良かったな、と思った。小学校から一緒の八左ヱ門はいるし、新しく出来た友達も良い奴だし。
 
 入学前は不安もあったけど、高校って楽しいなあ。
 
 
 次   戻
 
 |