■あなたのとりこ 07■


「明日の日曜に、告白しようと思います」

 小谷からそんなメールが送られてきたのは、一ヶ月後のことだった。

 僕と小谷はあれ以来少しずつ話をするようになり、ちょくちょく彼女からの相談も受けていた。相談といっても、大したことではない。「こういうメール送っても、相原は気を悪くしないかな?」とかそんな、些細で可愛らしいものばかりだ。

 僕は色んな意味で困ってしまった。当初彼女に抱いていた嫉妬は尊敬になり、それが最近友情へと変わりつつあったからだ。僕は今まであまり女子と親しくするきっかけがなかったのだけれど、小谷と接していると女友達も良いものだと思えてくる。

 相原と付き合っていながら、彼女の恋愛相談を受けるというのは卑怯だと思う。しかし、だからといって自分と相原との関係を明かすわけにはいかないし、心情的にどうしても彼女を突き放すことが出来なかった。

 相原に告白する、という報告メールを受信したとき、僕は相原と一緒に自宅にいた。罪悪感のような切なさのような、重い気持ちが胸の中でむくむくと膨らんで、僕は思わず「ああああ……」と力ない声を上げた。 ソファに寝転んでマガジンを読んでいた相原が、顔を上げる。

「どうしたん?」

「あ、いやいや。ごめん、何でもないねん」

 僕は笑ってお茶を濁し、携帯のディスプレイに視線を戻した。小谷からのメールの最後には、「見守っててください!」と書いてあった。励ましを求めたりせず、こうやってただ「見守ってて下さい」と言うところが、僕は好きだ。近からず遠からず、絶妙な距離感で心地よい。

 ああ、ああ! 小谷の好きな人が相原でなければ! 相原でさえなければ! 僕はどんな手を使ってでも、彼女の恋が成就するよう力を尽くすのに。

「人生って、難しいなあ……」

 呟くと、「さっきからどうしてんな」と相原が笑って、ソファの足下に座る僕の頭を撫でた。その手の感触に、喉元が苦しくなる。

  小谷、ごめん。お前の幸福を願いたいけれど、僕は自分の幸福を手放すことが出来ない。

 僕は何と返信すれば良いのか、分からなかった。うんうん唸って迷った結果、「見守ってます」とだけ打ち込んで、送信した。なんて素っ気のない返事だろう。だけど、僕にはこれ以外言えない。頑張れ、と声をかけられないことが申し訳なかった。

 それから二十分後くらいに、テーブルに置かれていた相原の携帯電話から、「六甲颪」のメロディが高らかに鳴り響き、僕はびくっと身体を反応させた。このタイミングで相原の携帯に着信ということは、もしかして。

「あの……、相原くん、電話鳴ってるで」

 首をひねって声をかけるが、相原は動く気配がない。

「誰からか見たってー。より子やったら、吉川出て。香織やったら、電源切っといて」

 そんなことを言いながら、マガジンのページをめくる。僕は仕方なく、手を伸ばして相原の携帯を手に取った。 ディスプレイには、「こたに」と表示されている。

 やっぱり! ていうか、こたに、て! 平仮名やし! 漢字変換くらいしたれよ!  

  気まずさを誤魔化そうと、心の中で精一杯関係のないツッコミを入れてみたが、効果はなかった。ごくりと唾を呑込む。小谷は相原に告白するために、この電話で明日会う約束を取り付けるのだろう。僕はもう一度、唾を飲み下した。それから意を決して、相原に携帯電話を差し出す。

「相原、小谷から」

 相原はやっと雑誌から顔を上げ、「小谷?」と首をかしげつつも電話を受け取った。

「はい、もしもし。あー、どうも。うん? 今? ううん、吉川ん家」

 そういうことは言わんで良いねん! おれと一緒におるとか、そういうことは!

 僕は声を出さずに叫んだ。胸がどきどきする。腹の中が引っ繰り返りそうだ。何で僕がこんなに緊張してるんだ。

「うん、うん。え、何で?」

 相原の屈託のない相槌を聞いているといたたまれなくなってきたので、僕はそっと立ち上がり、トイレに行くふりをして居間を出た。廊下を何歩か歩いたところでしゃがみ込み、深々と息を吐き出す。

「あかん……心臓に、悪い……」

 僕は右手で、胸を押さえた。ぎょっとするくらい鼓動が早い。電話している小谷は、もっとどきどきしているんだろう。彼女の心境を想像すると、更に心音が加速した。そして平然としているのは相原ひとりなのだと思うと、何だか腹が立ってきた。理不尽な怒りだということは、自分でもよく分かっているのだけれど。

 廊下を適当にうろうろしてから、居間に戻った。ちょうど、相原が電話を切るところだった。

「吉川、おかえり」

 そう言って、彼は笑った。全く曇りのない笑顔。明日何が起こるのか、彼には分かっているのだろうか。いや、きっと分かっていない。

 僕は何だかいとしいようなやるせないような、微妙な気持ちになった。



 ……翌日、日曜日。僕は朝からそわそわしっぱなしだった。小谷はもう、相原に告白しただろうか。どうなっただろう。小谷は泣いてないだろうか。もしくは、相原がOKしたり……は、ない、よな?

 それはない。大丈夫だ。だって小谷にクラスメイト以上の感情を持つことはないと、相原が明言していたじゃないか。

  でも、小谷が、恋敵であるはずの僕が認めてしまうくらいの小谷が、面と向かって告白するのだ。あの大きな目で。赤い唇で。

 そう思うと、僕の中に突然焦りが生まれた。

 やばい。明らかにやばい。相原が何と言おうと、実際面と向かって告白されたらどうなるか分からないじゃないか。相原が「あっやっぱこいつ可愛い」と、我に返ってしまうかもしれない。

 僕は何を悠長に、小谷の心配をしていたのだろう。一番立場が危ういのは僕だ。僕と小谷、どっちが良いかなんて考えるまでもない。誰だって小谷を選ぶだろう。僕だって、吉川四郎と小谷唯なら、小谷の方が良い。

 どうしよう。相原が小谷と付き合うことになったら、どうしよう!

 忘れかけていた不安が蘇り、僕の心をもみくちゃにする。僕は自室のベッドに座って、相原か小谷から連絡はないかと、何度も何度も携帯を確認する。しかし十月某日十三時現在、メールも着信も一件もない。

 もし相原と小谷がくっつくことになったら、そのときは「ふられたときの三ヶ条」だ。泣かない、恨まない、未練を残さない。

 ……無理だ。そんなことになったら絶対に大泣きするし、きっと未練も残しまくってしまう。だって僕はもう、幸せを知ってしまった。それらをあっさりと諦めることなんて、不可能だ。

 いや、違う。相原を信じろ。相原は、僕のことを好きだと言ってくれたじゃないか。自分の好きな人の言うことを信じないで、何を信じるというんだ。

  ああ、でも、ああ、ああ!

 僕はベッドの上で悶えた。口から、「ああ」だの「うう」だの、意味不明の言葉がひっきりなしにこぼれてゆく。とにかく声を発していないと、懊悩に食われてしまいそうな気がした。