■あなたのとりこ 06■
「ご、ごめん。いやあの、ええんかな、と思って」
僕は気を取り直して、言った。
「何が?」
「相原に彼女がいるのかとか、そういうこと聞かなくてええんかな、って」
そう口にした瞬間、小谷は何故か頭を抱えて机に突っ伏した。
「な……。こ、小谷っ?」
彼女に何が起こったのか分からず、僕はあたふたと腰を上げかけた。すると小谷が顔を伏せたまま、「もー!」と声をあげた。
「それ、めっちゃ訊きたいの我慢してたのに!」
何だかよく分からないが、どうやら僕は空気が読めていなかったらしい、ということは分かった。反省しつつ、椅子に腰を戻した。
「そうなん? 何でそんな我慢……」
「だって」
そう言って彼女は顔を上げた。そして力を込めて、こう言った。
「それ聞いたら、ここで終わっちゃうかもしれへんやん!」
どきっとした。その言葉は、やけに僕の胸に響いた。そうか、この場で相原に彼女がいるかどうかを聞いて、もし僕が「いる」と答えたら、彼女はここで失恋してしまうわけか。
彼女に共感するのはよそうと思っていたのに、ついつい相原に告白する前のことを思い出してしまう。想いを伝えたくてどうしようもなくて、だけど今の関係を壊してしまうのが恐ろしくてずっとぐるぐるしていた日々。今の彼女も、あのときの僕みたいな気持ちなんだろうか。
「どうせ散るんやったら、やっぱ、告白して散りたい……やん?」
細い指を胸元で組んで、小谷は控えめに言った。何だか嫉妬や共感を通り越して、小谷を尊敬したくなってきた。小谷唯は可愛いだけじゃなく、男気も持ち合わせているらしい。
ああ、彼女の好きな相手が相原でさえなければ、僕は全力で小谷を応援するのに!
「小谷、お前、偉いなあ……」
しみじみ呟くと、小谷は狼狽したように口をぱくぱくさせた。
「えっ、な、何でよ! 偉くないって」
「偉いって。おれ、絶対告白とか出来へんもん」
相原に告白出来たのは、色んな意味で追い詰められて精神状態が普通じゃなかったからだ。そうでなければ、ノンケに告白なんて絶対に出来ない。小谷は相原に告白するんだろうか。しそうだな。心臓が変な風に曲がったような気がした。痛いような切ないような、妙な気持ちだ。
「……そういえば、吉川は彼女とかいるん?」
小谷は思い出したように尋ねてきた。
「お、おお。おれには訊くんや」
と、僕は半笑いになってしまった。いや、ええねんけど!
自分のことに関しては、この手の質問にはいつ何を聞かれても戸惑わないように、常に回答を用意してある。手回しはばっちりである。自分の性癖を隠すためには、いつも準備しておかなくてはならない。
「いやあ、おってんけど振られてさあ」
僕は、情けない表情を作って答えた。この回答は、非常に便利なのである。嘘ではないので変に演技する必要はないし、こう言っておけば女子に興味がない素振りを見せても「ああこいつはまだ前の彼女が忘れられないんだ」と、勝手に良いように解釈してもらえる。正に万能だ。
ただひとつ問題なのは、いつまでも以前の恋人を引き合いに出すのは、相原に対して若干引け目を感じてしまう……ということだ。しかしこれが一番当たり障りのない言い訳なので、申し訳ないけれど僕は使い続けている。
「えっ、そうなん? わ、ごめん……!」
小谷は意外そうに声を大きくした。その驚きは、「吉川に彼女が存在した」ということにかかっているのか、もしくは「吉川が振られた」ということにかかっているのか、どちらだろう。少し気になったが、そこは突っ込まず「いや、ええよ」と微笑むだけにとどめた。
「どれくらい、付き合ってた人?」
相原の恋愛事情にはタッチしないのに、僕のこととなると随分と大胆に踏み込んでくる。こいつ、どんだけおれのことどうでもええねん、とちょっとおかしくなった。いや、ほんまにええねんけど。何だか可笑しくなってきた。
「えーと、一年ちょっとかな」
「一年ちょっと。結構長かってんね……。あの、何で駄目になったかとか……聞いても大丈夫?」
「そうやなあ。言ってしまえば相手の二股、的な」
終わったこととはいえ、思い出すと未だにちょっとブルーになる。だけどこうやってクラスメイトに話せてしまうのも、今が幸せだからこそだろうな、とも思う。相原には、本当に感謝しなくてはならない。
「うわ、酷い」
小谷は顔をしかめた。いや間男はおれやねんけど、と思うと、彼女の純真を踏みにじっているようで若干気まずくなった。とりあえず曖昧に笑って、誤魔化しておく。
「そっか……。吉川も色々大変なんや……。ごめんね、それやのにこんな相談しちゃって」
小谷があんまり済まなそうに言うものだから、僕は慌てて首を横に振った。
「いや、そんなん全然良いよ。おれなんかで良ければいつでも……」
僕はその言葉を最後まで言い終わらない内から、自分自身の言動を悔いていた。おれなんかで良ければいつでも、って。何を言ってるんだ僕は。何を安請け合いしているんだ。
「ほんまに? また、話聞いてもらっても大丈夫?」
小谷は、嬉しそうに表情を崩す。
「うん」
僕は心の中で自分自身に往復ビンタを食らわせつつ、頷いた。この流れでほんまに? と言われたら、うんと言うしかないじゃないか。まさか、さっきのは勢いで言っちゃっただけで本当は恋愛相談なんて困ります、なんて答えるわけにもいかない。
「わあ、ありがとうございます」
小谷は笑顔でそう言って、小さく拍手する真似をした。僕も笑みを返しながら、胸の底で、やってもうたー言うてもうたー何でこんなことなってんねーん、と後悔しきりだった。
今まで気付いていなかったが、もしかしたら僕は八方美人なのかもしれない。どうも無意識に、誰に対しても良い顔をしようとする傾向にあるようだ。そしていつも、それで自分自身を追い詰めている。僕は本物のアホだ。
小谷との話はそれで終了し、被服室の前で僕たちは別れた。それほど長く話をしたわけではないけれど、随分と身の詰まったひとときだった。僕はどっと疲れてしまった。薄暗くなった廊下をとぼとぼ歩きながら、相原に何て説明しよう、と頭を悩ませる。だけど、頭がぼうっとしてしまって何も考えられない。
靴を履き替えようと靴箱に向かうと、そこに見知った姿を発見した。
「相原?」
傘立てにもたれかかるようにして、相原が携帯を片手にぼんやりと立っていた。僕の声にこちらを向き、
「よお」
と笑って片手を上げる。僕の一番好きなその笑顔に、胸が詰まりそうになった。
「……相原、ずっと待ってたん? 先に帰るって言ってたのに」
「うん、そうやねんけど……とりあえず、出ようぜ」
相原はそう言って、ホールの出口を指さした。
九月になったとはいえ、暑気はまだまだしぶとく居座り続けていてる。傾いた陽の攻撃力の高さに、僕は目を細めた。
グラウンドでは、野球部とサッカー部と陸上部がスペースを分け合って練習している。相原と並んで校庭脇の道を歩きながら、僕の視線は無意識に野球部に向かって行く。今年は、というか今年の夏も、うちの野球部は全く駄目だった。残念ながら、我が校の野球部は弱小なのである。来年こそは、確変でも起きて甲子園に行ってくれないかな……と、そんな無茶なことを夢見てしまう。
校門を出て、周りに同じ学校の生徒がいないことを確かめるなり、相原は口を開いた。
「いやだってさあ、やっぱ、めっちゃ気になるやん!」
「お、おお」
前置きも何も無しに発せられた、熱のこもった相原の言葉に僕は少し驚いた。
「何かちょっと、吉川の気持ちが分かった」
「え、それはどういう」
「相手は女やし、吉川とはどうもならへん、って分かっててもやっぱ嫌なもんは嫌やな。何喋ってんねんやろう、って、ずっとそればっか考えてた」
僕は反射的に下を向いた。やばいめっちゃ嬉しい! 一分でも一秒でも、相原が僕のことを考えてくれるだけで嬉しいのに、嫉妬してくれていたなんて。陳腐な言い回しだが、夢みたいだ。
「そんで、何の話してたん」
相原は真剣な顔で言った。
「ああ……小谷、片想いしてるらしくってさ。それについて、話を聞いてただけやって」
相原に嘘はつきたくないし、小谷を裏切りたくもないので、間を取った結果、中途半端にぼかした説明となってしまった。これで納得してもらえるだろうか……と不安になりつつ相原の表情を窺うと、彼は首を傾げてこう言った。
「へえ? あいつの好きな奴って誰なん?」
相原の言葉に、僕は口を開けかけて固まった。こいつは正気だろうか。しらばっくれているわけでも何でもなく、本気で小谷の好きな相手が分からないのだろうか。
小谷が僕に恋愛相談をする=小谷の好きな人は、僕のよく知る人物=相原
って、そんなに難しい公式だろうか。だって、僕は普段、小谷とそんなに親しくしているわけではない。少なくとも、いきなり恋愛相談を受けるような間柄では断じてない。そんな僕に恋愛相談を持ちかけるのは、彼女の好きな人が相原だから……って、普通考えないだろうか?
……いや、相原なら分からない。僕をゲイだと知った上で、告白されるまで僕の気持ちに気付かなかった男だ。彼の鈍さは神域に達していると言っても過言ではない。
「いや、それは、誰にも言わんといて、って言われたから……」
「あ、そうなん? そんなら良いや」
相原はあっさりと引き下がった。小谷はあんなにも可愛くてかっこいいのに、こいつは何でここまで興味がないのだろう。いや、興味を持たれても困るのだけど。
「吉川、ほんまにそんだけ?」
「ほんまにそんだけ」
疑うところはそこやないぞ、ツッコミ所は別にあるんやぞ、と思いながら僕は頷いた。
「ほんまに?」
「ほんまやって! 信用ないなあ」
再度確認してくる相原に、強い口調でそう言うと、彼はやっと頷いた。
「……ん、分かった信じる」
それを聞いて、僕はほっと息を吐いた。相原の相原っぷりには毎度びっくりだが、ある意味それで良かったのかもしれない。伝聞で小谷の思いが相原に伝わっても、ふたりとも嬉しくないだろうし。
「でも、何で吉川に相談すんの?」
本当に分かっていないらしい相原の言葉と表情に、僕は肩を落としたくなった。
「……さあ、何でやろうな……」
力ない声が、口から漏れた。心の底から、小谷が気の毒だ。
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