■あなたのとりこ 05■
僕は放課後までの授業時間を使って、色んなことを考えた。
小谷の聞きたいこととは、一体何だろう。やっぱり、「相原には彼女がいるのかどうか」ということだろうか。やがて僕は、この単純な質問の回答が、実は物凄く難しいことに気が付いてしまった。
相原に彼女はいるのか。一体、どう答えれば良いのだろう。正直に、いる、と答えるべきだろうか。いや、厳密には彼女ではないのだけれど。
しかし相原に、付き合っている女性という意味での「彼女」がいないことは、少し彼を観察したら分かってしまう気がする。例えば、小谷がそういうことをする人間だとは思わないけれど、相原を何日か尾行でもすれば一発だ。何せ、彼は僕とずっと一緒にいるのだから。万が一小谷がそれを知るところとなったとき、相原と僕との関係に気付きやしないだろうか。
正直僕は、女子に怪しまれたらその時点で終わりだと思っている。彼女らのネットワークの広さは尋常じゃない。ひとりが僕らの関係に疑問を抱けば、「相原・吉川ホモ疑惑」の噂は瞬く間に学年中に広まってしまう。
かと言って、相原に彼女がいない、と答えることは出来ない。だってそんなことをしたら、小谷が本気で相原を落としにかかってしまうじゃないか。それは困る。本気で困る。相原は「小谷にクラスメイト以上の感情を抱くことはない」と言っていたし彼の言葉を信用もしているけれど、だけどやっぱり困る。というか嫌だ。それに自分で自分の存在を抹消するなんて、空しすぎる。一応、本当に一応だけれど、相原の恋人は僕なのだから。
……なんてことを悶々と考えていたら、答えの出ないまま放課後になってしまった。授業の内容は、見事なまでに全く頭に入って来なかった。高二の二学期は、受験に向けて一番大事な時期らしいのに。
授業が終わった瞬間、風のような速さで小谷が僕の席までやって来た。そして通り過ぎざまに小声で、
「手芸部の部室に来て」
と囁く。分かった、と言う暇も与えず、小谷は早足で何処かに行ってしまった。誰かに聞かれることを恐れたのだろうけれど、それにしても素早いことだ。
……何か、逢い引きでもするみたいやな。
そんなことを考えた瞬間、
「吉川、帰ろうぜ」
と、相原に声をかけられたので、心臓が止まりそうになった。何もしていないのに、何となく罪悪感を感じてしまう。
「あ、ごめん相原。先に帰っといて」
教科書を鞄に突っ込みながら、そう言った。なんせ僕は、これから小谷と逢い引きならぬ、対決をしなければならない。すると、彼は「何かあんの?」と瞬きをした。
「いや、小谷から『聞きたいことあるから残っといて』って言われとって……」
一応周りには聞こえないように、声をひそめた。すると相原は僕の語尾にかぶせる勢いで、
「えっ、聞きたいことって、何を?」
と、身を乗り出してきた。
「さ、さあ……。大したことじゃないらしいし、ほんま、先帰っていいで」
なるべく軽い口調で言ってみたが、相原は険しい表情で「ええー」と不服そうな声を漏らした。顔に、気になる、と書いてあるのが見えるようだった。
「後で、ちゃんと説明するから」
僕はもう一度、小さな声で言った。相原はまだ何か言いたそうだったが、やがて渋々といった風に頷いた。
「……分かった。ほんなら、帰っとくわ」
「ごめんな。後でメールか電話かするし」
「うん、分かった。そんじゃな」
相原は軽く手を振って、僕の席から離れて行った。僕は心の中で再度、相原ごめん、と謝った。流石にこれだけ人がいる場所で、きちんと説明することは出来ない。相原もそれを感じ取ったから、深くは追求せずに引き下がってくれたのだろう。なんて空気の読める相原。畜生好きだ相原。
いや、相原に惚れ直している場合じゃない。僕は椅子から立ち上がった。途端に緊張が腹の底からこみ上げてくる。これから僕は、恋敵とふたりで話をするのだ。それも、相手には僕がゲイだとか相原のことが好きだとか、あまつさえ相原と付き合っているなんてことを悟られないように。上手く立ち回れるだろうか。何せ僕は、そういう隠し事に全く自信がないから、今までなるべく人と親しくしないようにしていたのだ。
無意識に胃の辺りをさすりながら、慌ただしく動き回る掃除当番の間をすり抜けて教室を出た。
手芸部の部室……被服室には、既に小谷が来ていた。彼女は窓辺に立っていて、僕の姿を見ると僅かに顔を緊張させた。
「あ、ええと、どうも」
何と言えば良いのか分からなくて、僕は扉を閉めながら会釈をした。いよいよだ。緊張がマックスに到達する。胃が苦しい。窓際に並べられた沢山のミシンが、何らかの武器に見えてきた。油断したら、こちらに攻撃を仕掛けて来そうな。
「あの、ごめんね。わざわざ来てもらって」
済まなさそう小谷の声に、僕はくだらない妄想を中断させた。
「いや、別にそれはええねんけど」
僕は適当な机の上に鞄を置いて、椅子に腰を下ろした。小谷も、僕の近くの席に座る。そしてしばしの沈黙。耳の奥がキンとしそうな静けさが広がった。おいおい聞きたいことあるんやったら聞いてくれや気まずいやんけ、と僕はこっそり奥歯を噛んだ。
そして僕は、相原の恋人の有無を聞かれた場合何と答えるか、未だ決まっていないことを思い出した。やばい、ちゃんと考えておかないとテンパってしまう。ここでそんな不審な真似をするわけにはいかない。
僕は必死で頭を回転させた。
そうだ、イエスともノーとも答えられないなら、「答えない」というのはどうだ。例えば、相原に彼女がいるかどうか知らない、と言う。……それは流石に不自然だろうか。いや、そんなことはない。知らないものは知らないと言い張れば良い。よし、そうしよう。僕は直前になってようやく方針を固めた。
「……あの、聞きたいことっていうのはね」
小谷はうつむいて、そう切り出した。
「吉川って普段、相原とメールしたりする?」
「へ?」
思わず、素っ頓狂な声が口から飛び出した。相原とメール? 何で? 唐突すぎて、意味が分からない。しかし小谷の口調は真剣だ。僕はしばらくの間、口を開くことが出来なかった。今まで必死に考えていたことが未だに頭の中に居座っていて、他のことを考えるスペースが空いていない。
「えーと、メールって……携帯の?」
やっとのことで、僕は言葉を絞り出した。小谷が下を向いてくれていて助かった。彼女がこちらを見ていたら、吉川は何で目が泳いでいるんだ、と訝しまれたことだろう。
「そう、携帯の」
「はあ、うん、普通にするけど」
僕がそう言って頷くと、小谷は胸の辺りでもじもじと両手の指を組み合わせた。
「……それってどういうメールやろ」
話がどんどん自分の想像とは違う方向に転がっていって、僕は戸惑うばかりだった。相原とどういうメールのやり取りをしているか。改めて聞かれると、すぐには出て来ない。
「どういうメールって言われても……。色々、としか」
答えに躊躇していると、小谷は若干慌てたように「ご、ごめん」と語調を強くした。それから、こう続ける。
「いやあの、相原ってさあ、用もないのにメールしたら、ウザイ、とか思うかな」
僕は数度、瞬きをした。そしてやっと、質問の意図を理解した。どうして女子の話って、こうも遠回りなんだろう。一番最初に、それを言ってくれたらいいのに。
「ああ、えーと……、相原にメールしようと思ってんの?」
彼女の言いたいことが分かって、僕はほんの少しだが心に余裕が出て来た。舌も先程よりは滑らかに動いてくれる。すると小谷は一層恥ずかしそうに身を小さくした。
「そ、そうやねんけど、『今何してる?』とかそういうメール、大丈夫かなあと思って」
「はあ」
僕は気の抜けた返事をした。だって彼女の聞きたいことが、こんなささやかなことだとは思っていなかったのだ。相原へのメールの内容に悩み、僕に相談してくるなんて。
……悔しいけどやっぱりこいつ、可愛いな。
多分こういうのを、いじらしいって言うのだろう。僕には全くない要素だ。
「そう、やなあ。んー……どうなんやろ。あんまそういうメールせえへんから、ちょっとよく分からんわ」
僕は首を捻った。相原のことを小谷に教えたくないのではなく、本当に分からなかった。
よく考えたら、僕と相原のメールは九割方が野球の話題だ。今何してる? なんてそんなカップルっぽいメールは、一度もしたことがない。今度してみよう。
「あ、それとね、絵文字とかいっぱい使ったらウザいと思う?」
小谷からの次の質問も、実に可愛らしいものだった。僕は何だか、微笑ましくなってしまう。
「絵文字くらい、別に良いんちゃう? 相原も普通に使ってるし」
「そうなん?」
「うん。よく、意味もなく野球ボールの絵文字使ってる」
「そうなんや。相原って、ほんまに野球好きやねんね」
「そうそう。阪神の話題振ったら、めっちゃ食いつき良いで」
「へえ、やっぱり」
小谷は頷いて、くすぐったそうに笑った。
しまった。あまりにも小谷に邪気がないので、思わず普通に答えてしまった。何を素でアドバイスしているんだ、僕は。ここはライバルを蹴落としておかないといけない場面じゃないのか。もっとこう、自分の手の内は見せずに相手を牽制して、相原のことを諦めさせるように持って行くとか……。
うん、無理だ。
僕は二秒で諦めた。そんな器用なことが出来るなら、今まで苦労していない。
「……あの、小谷」
「うん、何?」
「一応聞いときたいねんけど……小谷は相原のこと、好きなんやんな?」
尋ねると、小谷はいっぺんに顔を赤くした。それから僅かに潤んだ目でこちらを見上げ、
「そんなん、言わんでも汲み取りいや」
と、早口で言った。表情も仕草も口調も完璧だった。多分僕がノンケだったら、瞬く間に落ちていたと思う。すげえ。小谷すげえ。そしてこの場に相原がいなくて良かった。僕は胸を撫で下ろした。色んな意味で、命拾いをした。
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