■あなたのとりこ 03■


  結局僕は、相原の真っ直ぐな視線に屈した。駄目だ。あの眼で見られると、僕は駄目なのである。

 とりあえず僕たちは居間の中に入って、腰を落ち着けることにした。相原は定位置であるソファの上で、「ほんで、ほんで? 何なん、何なん」と答えを急かす。

「いや、あの、相原が……、最近小谷と仲が良いから」

 口をほとんど動かさず、ごくごく小さい声で僕は言った。改めて言葉に出すと、なんてしょうもないんだろうと耳が熱くなる。

「へ? 小谷?」

 案の定というかなんというか、相原はキョトンとした表情になった。顔に「予想外」と書いてあるのが見えるようだ。

「そんな、仲ええかな?」

 相原は心からそう思っているようで、瞬きをしながら首を傾げた。

「仲ええっちゅうねん! 休み時間とか、しょっちゅう喋ってるやん」

 言いながら、おれがそれにどんだけ焦れてると思っとんねん、と心の中で喚く。しかし彼の様子を見ていると、どうもいまいちピンと来ていないらしい。本気だろうか。こいつは一体、普段何を考えて生活しているんだ、と少し心配になってくる。

「ああ、でもそれは席が隣やから、ってだけで。そんな、仲が良いってことはないと思うねんけど」

「……うん、相原はそれでええと思う」

 僕は溜め息をついて、苦笑いを浮かべた。鈍いけど鋭い。鋭いけど鈍い。そこも相原のいいところだ。もうしょうがない。惚れた僕の負けだ。そう思うことにした。

「え、何、ごめん。吉川怒ってる?」

 相原が少し不安そうな声を出すので、僕は慌てて「いや、怒ってへん怒ってへん」と否定した。怒っていないのは事実だし、相原に謝って欲しいわけでもない。

「おれ、あんま小谷と喋らんほうが良い?」

「え? いやいやいや!」

 控えめに切り出す相原に、僕は勢いよく首を横に振った。

「別に、そんな小谷と喋りたいわけでもないし、吉川が嫌なんやったら」

「いや、ちゃうねん! そういうわけではないねん。いや、そうやねんけど」

「どっちやねんな」

 相原が笑う。僕は頭の中で、言うべきことと相原には聞かせたくない本音の選別をしようと必死になったが、段々何が何だか分からなくなってきた。ああ、もういい、全部言うてまえ! と、僕は口を開いた。僕は器用な人間ではないのである。

「そらさ、相原と小谷が仲良さそうに喋ってるの見たら、ちょっとイーッてなったりするけどさ、でもおれは、男子とも女子とも仲良くする相原が好きなわけで!」

「お、おお」

「だからそんな、意識して小谷と喋らんようにする、とかせんでええねん。そういう相原はちょっと違う。相原は相原でええねん。あ、でもあんまり仲良すぎたら、ちょっとストップかけるかも」

 ノリに任せて一気に言い切ってから、唐突に我に返った。どうも自分は相当、いらんことをあれこれと口走ってしまった気がしてならない。相原は僕の勢いに気圧されたように、目をぱちぱちさせている。

「ご、ごめん。何かおれめっちゃわがままでうざい……!」

 僕は小さい声で言って、肩を縮こまらせた。自己嫌悪で死にそうになる。

「え、何で?」

「だってもう、嫉妬深い男なんて、みっともないにも程があるやん」

「みっともなくないって。それくらいやったら余裕やって。おれほんま気ィ回らんし、そういうのちゃんと言ってくれた方が良い」

「ストップかけるかも、って何様やねんて感じやし……」

「いや、ええって。ストップかけてくれてええって」

 相原はそう言って、うつむく僕の頭を撫でた。温かい手が髪の毛を混ぜる感触が心地よい。安心する。ああ相原お前が好きだ、と意味もなく告白したくなる。

 しかし、自分が思っているよりも相原は小谷のことを意識していないようで、それに関してはホッとした。ひとまずの脅威は去った、ような気がする。

「何か、色々考えさせてごめんなあ。おれももっと、吉川のこと考えんとあかんよな」

 相原は僕の頭から手を離し、ぽつりと謝った。彼の気遣いに胸が痛くなって、僕は顔を上げた。

「いや、ちゃうねん。ちゃうねんてほんま。おれが勝手にひとりで心配してるだけやし」

「でも……」

 と言いかけて、相原は口を閉じた。それから急に気が変わったように、

「何を心配することがあるんか、逆に聞きたいねんけど」

 と僕に問う。ここまで来たらもう本音を包み隠さず出してしまおうと、僕は口を開いた。

「だってさあ、小谷って可愛いやんか……」

「そうかあ?」

 即答だった。僕にはそれが意外だった。小谷は可愛い。これは、常識なのだと思っていた。よっぽど趣味の悪い男でない限り、そう答えるのは当然だと。相原は趣味が悪いのだろうか。まあ、僕と付き合ってる時点で……いや、やめよう。そこに踏み出してしまったら、当分卑屈迷宮から帰って来られなくなる。

「そうかあ、ってお前。あいつ、男ウケしそうやん」

 そう言ってみたら、相原は視線を上にやってしばし考え込んだ。

「ああーそうかな。そうかもな」

 気のない返事に、拍子抜けしてしまう。まさかここまで手応えのない反応が返ってくるとは。僕の今までのやきもきは何だったんだ。

「……なんや、ほんまに興味なさそうやな」

「ないよ。何で? だって、お前がおるし」

 またこいつは、こういうことをサラッと言う。しかも前後の脈絡も何も関係無しに、かつ顔色一つ変えずに、だ。その度に、僕は動揺しなければならないのである。相原誠という男と付き合うのも大変だ。

「お……いや、待って。待ってな。ちょっとニヤけそうになんのこらえるから、ちょっと待っててな」

 僕は両手で、頬の筋肉を揉んだ。ともすれば緩みそうになる顔を引き締めようと、懸命に力を込める。それを見て、相原はひとごとのように笑う。お前のせいだと言うのに。

「……えーと、その。おれのこととか置いといてな、小谷のこと可愛いって思ったりせえへんの?」

 どうにか顔の筋肉が元に戻った僕は、改めてそう尋ねた。すると返って来るのは、やはりシンプルな答えだ。

「ないなあ」

「マジで? いや、おれに気ィ遣わんでええねんで? ちょっとくらい、あっこいつ可愛いって思ったことあるやろ?」

「ない」

 僕は顔をしかめた。嘘つけ、という言葉が口を突いて出そうになる。にわかには信じられない。だって健康な男子なら、ああいう女の子らしい女子を可愛いと思うはずだろう? それともそれはゲイの思い込みで、ノンケの心はもっと複雑なのだろうか。

「相原、ほんまに? おれですら、小谷のことは可愛いって思うのに」

 そう言うと、今度は相原がむっと眉間にしわを寄せた。ソファの上から身を乗り出すように、僕を見る。

「え、マジで? 何それ。何それそんなん初めて聞いた」

「ちょ、キレんなキレんな。所詮おれはゲイやって。ゲイが女を可愛いと思うことに他意はないねんて」

「ほんまにー?」

「や、おれのことはええねん。それやったらさ、相原。おれと付き合う前は、どうやったん。小谷のこと可愛いとか思ったやろ? 思ったやんな?」

 僕は何故か、小谷が可愛い、と相原に言わせようと躍起になっていた。自分でも、何をそんなにムキになってるんだと思う。

 このときの僕は、相原は僕に気を遣っているのだと思っていた。だけど僕は、彼にそういう気兼ねをして欲しくなかった。確かに僕は嫉妬深いし卑屈だけど、相原が僕のことを好きだと言ってくれれば大丈夫なのだ。だってお前がおるし、と言ってくれれば、相原が小谷のことを可愛いと思ってたって生きていける。いや、そりゃ多少は嫉妬するけど。でもそれは、僕の問題だ。

 ……しかし僕は間違っていた。彼には、全く別の思いがあったのだ。

「だからあ、ないってば」

 相原は多少呆れたように、手を緩く振った。僕はここで初めて、彼は本当に、心からそう言っているのかも、と考えを改める気になった。

「言い切るなあ……。ノンケこそ、ああいうのが好きなんやと思ってた」

 意外やわあ、と付け加えると、相原から思いもよらない言葉が飛び出した。

「だってあいつ、ちょっと香織に似てるし」

 そう言って相原は、唇を尖らせる。僕は絶句してしまった。

 香織ちゃんは相原の妹で、彼の鬼門でトラウマの原因だ。近親相姦やら刃物やら流血やら色々あって、相原は目下女性不信まっしぐらなのである。彼の口から香織ちゃんの名を聞く度に、僕の胸は少し重くなる。

「……そんな、似てるかな?」

 僕は首をかしげた。すると彼はもどかしげに、「んー」と唸り声をあげた。

「いや、顔とかは別に似てへんねんけど、なんて言うんかな……」

 相原は胸の辺りで、両手をもやもやと動かした。説明したいけど言葉に出来ない、という感じだ。その動きに、彼の表現しようとしているアレコレが詰まっているような気がして、僕はつい彼の手元を凝視した。

「なんていうか、ほら、女くさいっていうか、オンナオンナしてるっていうか……とにかく雰囲気が」

 考え考えしながら、相原は懸命に言葉を出す。彼の言わんとすることは分かったので、僕は頷いた。

「ああ、うん。何か、分かった気がする」

 確かにそう言われてみれば、香織ちゃんと小谷は雰囲気が少し似ているかもしれない。ふたりともとても女の子らしくて華やかで、甘くて柔らかだ。香織ちゃんはその可愛い見た目の内側に、ぞっとするような激情を抱えていた。小谷も同じだとは限らないし相原もそれは分かっているだろうが、心情的に小谷から一歩引いてしまうのかも。

「クラスメートとして普通に喋るくらいなら平気やし、悪い奴じゃないとも思うけど、それ以上はない。ていうか、無理やな」

 相原は断言した。僕はどうにも返事が出来なかった。相原の口からはっきりと、「小谷に対してクラスメート以上の感情を持つことは有り得ない」と聞いて、安心はしたけれど複雑な気分だ。

 相原は兄妹の問題で深く深く苦しんでいたから、妹に似た雰囲気の女子を可愛いとは思わないし恋愛感情も抱かない。それは当たり前のことだと思う。相原は何も悪くない。

 そして、小谷も何も悪くない。彼女は本当に可愛いし、純粋に相原に恋をしているのも分かる。だけど小谷は相原の妹に雰囲気が似ているから、どうやっても相原を振り向かせることは出来ない。たまたま相原は僕なんかと付き合っている訳だけど、仮に僕がいなくても、小谷の恋は決して成就しないのだ。

 うわ、何かそれって、めっちゃ切なく、ない?

 そんなことを考えていたら、泣きそうになってしまった。何をやってるんだ僕は。