■あなたのとりこ 02■
「今週は、あんま見るとこなかったな」
ぼやきながら、僕は週刊ベースボールを売り場に戻した。「ほんまやなあ」と、相原も頷く。
放課後、僕たちは駅前大通りの本屋に来ていた。店内には、僕たちと同じ制服を着た生徒の姿がちらほら見える。放課後の本屋は、学生の憩いの場だ。
「相原、おれ、マガジン買ってくるわ」
僕は相原に声をかけた。
「おお、そんじゃ適当にこの辺で何か読んどくわ」
と言いながら、相原はメジャーリーグの雑誌を手に取った。
スポーツ雑誌売り場を抜けてレジに向かう途中、少し離れた本棚の陰で、女子ふたりが身を寄せ合ってこそこそ喋っているのが見えた。
あ、小谷や。
僕が立っていたところからそこそこ距離があったけれど、すぐに分かった。なんせ彼女は脅威だから。僕は身体の向きを変えて、彼女たちの方へ歩いて行った。小谷と一緒にいるのは、同じクラスで彼女と仲のいい女子だ。名前は……すぐには出て来ない。僕は本当に、女子の顔と名前を覚えるのが苦手だ。いくら興味がないからって、クラスメイトの顔と名前くらい一致させるべきだと思う。
「だからさ、行ったらいいやんか」
小谷の友達は、しきりに小谷をせっついている。小谷は必死で首を横に振り、
「いい、いいよ、いいって!」
と頑なな表情だ。
僕には話の流れがすぐ見えた。相原のところに行ったらいいやんか、という話をしているのだろう。休み時間の雑談で得た「水曜日は本屋に寄る」という情報を元に、早速ここで待ち伏せするなんて、大した熱意だ。僕としては、その熱意は是非とも別のところで発揮して頂きたい。もしかして、相原が僕と立ち読みしていたときも、何処かから見ていたのだろうか。そうなら、あまりいい気はしない。
僕は、ちょっとこいつらを突っついてやろう、という気分になった。
「自分ら、何してんの?」
僕は、何気ない調子でふたりに声をかけた。細い肩がふたつ、同時にびくっと震える。
「うわっ、吉川!」
小谷の友達が、こちらを振り返って驚いた声をあげる。黒髪ショートカットに、すべすべの広いおでこ。とても健康そうな女子だ。しかし顔を見ても、彼女の名前は思い出せないのだった。
「うわ、ってそんな……。化け物に遭遇した、みたいな声出さんでもええやん」
苦笑しながらそう言うと、小谷の友達はちらっと小谷の顔を見た。小谷はやや気まずそうに、明後日の方向に視線を向けている。そりゃあ気まずいだろうな。相原に声をかけるかどうか迷っていたら、そいつの友達に声をかけられたのだから。何となく得意になると同時に、自分の行動の女々しさに情けなくもなった。
「ねえ、唯。吉川に聞いてみたら?」
「は……えっ!? 青ちゃん何言ってんの!?」
小谷は動揺を露わにし、大きな声を出した。自分でも予想外の大声だったらしく、慌てて手で口を押さえる。僕は、ああそうそうこの人は青木さんだ、ということをやっと思い出した。青ちゃん、という呼び名でようやく分かった。
「唯が聞けないんやったら、あたしが聞いたるけど」
それは、相原に彼女がいるのかどうかとか、そういうことを? 僕は心の中で、乾いた笑いを漏らした。
「ま、待って、待って。青ちゃんちょっと待って。あ、吉川ごめんね。ちゃうから。ほんまに、ちゃうから」
「え、何がちゃうのん?」
僕は何も分かっていないフリをして、首をかしげた。小谷が、困ったような顔をする。
ああーくっそー、そんな表情も可愛いなこいつ。
腹立ちを通り越して、何だかへこんできた。小谷は、本当に可愛い。ゲイの僕にだって分かるくらい、可愛い。わざわざ敵をつっついて敗北感に苛まれるなんて、本当に僕は一体何をしているんだ。
「吉川、マガジン買った?」
背後から、相原の声がした。小谷が、緊張したように背筋を伸ばす。うわ、お前何で来るねん! と、声に出して言いそうになってしまった。
「え、あ、いや、まだ……」
そう言って振り返ると、呆れた顔の相原が視界に入った。
「はよ買えってー。何やってんねんな」
相原は、僕の腕をぐいと引いた。僕は馬鹿だから、そんな動作にちょっとときめいてしまった。
「お、おお。買う買う」
「そうや、吉川。さっき、より子からメールが来ててんけど」
「ああ、おかんから?」
「そうそう。晩飯勝手に食って来いって。だからどっかで食って行こうで。……あ、また携帯ブルってる」
相原は頷いて、鞄の中をごそごそと漁った。どうやら彼は、小谷と青木の存在に気付いていないらしい。僕は少しほっとした。ああ何だ、相原にとって小谷ってそんなもんなんだ。そう思うと、胸がスッとする。我ながら性格が悪い。
と、思ったの、だが、
「……あれ。小谷、青木?」
相原が鞄から顔を上げ、小谷と青木の存在に気付いた。気付いてしまった。
「うわ、ごめん。全っ然、気ィついてなかった!」
彼が謝ると、小谷と青木は顔を見合わせ、
「えええ、ひっどー!」
「めっちゃ目の前におんのにー!」
と、女子特有のノリで、はしゃいだ声をあげた。女子という生き物はどうして、こういうときのコンビネーションは抜群なのだろう。先程まで所在なさげだった小谷も、今はいきいきとした表情をしている。逆に、僕が身の置き所に困ってしまう。女子のこういうテンションが、少し苦手なのである。
「あはは、ごめんごめん」
相原は笑う。僕の一番好きな笑顔を、小谷と青木にもあっさり見せてしまう。小谷はさぞときめいたことだろう。
ああ、僕はなんて小さい人間なんだろう。こんなことで腹を立てるなんて、心が狭いにも程がある。相原は、誰に対しても相原だ。そこが好きなはずなのに、どうしてこんなに苛々するのだろう。
「相原、おれ、マガジン買ってくるな」
僕はそう言って、相原の肩を軽く叩いた。小谷の顔を見ないようにして、レジに向かう。
「あ、吉川、おれも行く。青木、小谷、そんじゃなー」
背後から、女子ふたりの
「じゃあねー」
「ばいばーい」
と言う高い声が聞こえた。その声が、耳に突き刺さるようだった。
「……たっだいまー」
無人の我が家に声をかけて、僕は玄関で靴を脱いだ。そして、ほっと息を吐き出す。後ろから相原も入って来て、「ただいまー」と声をあげる。彼が僕ん家に来て、ただいま、と言ってくれることが、ちょっと嬉しい。
そのまま廊下に足を踏み出したら、相原が僕の手をぎゅっと握ってきた。こうやって、彼がくっつきたがりなのも嬉しい。ふたりきりになれば、僕たちはちゃんと恋人同士なんだ、と安心することが出来る。
小谷唯、ざまあみろ!
女々しいとは思いつつも、胸中でそう叫ばずにはいられない。学校でどれだけ仲が良かろうと、本屋で顔を合わせようと、今触れ合っている体温は僕だけのものだ。それを実感出来ることが、この上なく幸福だった。小谷に知らせてやれないのが、残念かつ悔しくもあるけれど。
「なあ、吉川」
「うん、何?」
返事をしながら、居間に入った。少し気持ちが軽くなったので、声も若干明るくなる。手を繋いだまま、相原も居間に入った。
「吉川」
もう一度呼ばれたので、「何?」と僕も再度返事をして振り返った。そうしたら思ったよりも間近に相原の顔があったので、ぎょっとして足を止めた。
「あ、相原、どうしたん」
「吉川、何か機嫌悪かった?」
そう言って、彼は首を傾げる。僕はウッとなって視線を泳がせた。
相原は、鈍いようで鋭い。見ていないようで、ちゃんと見ている。ただ、恋愛絡みの事柄に関しては、局地的に鈍感なだけだ。
「いや、そんな大したことじゃ……」
「でも機嫌悪かったのは、ほんまなんや」
笑って流そうとしたが、相原の顔は真剣だった。嬉しいのだけれど、原因が自分の矮小さにあるので、胸の辺りがもぞもぞする。
僕はなんと答えようか迷ってしまった。
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