■あの子が涙を流すなら! 04■


「ああー……」

 より子は深く溜め息をつき、学食のテーブルに額を押しつけた。

「どうしたん、今度は」

 向かいに座る憲次が、きつねうどんの油揚げを頬張りながら尋ねた。より子はもう一度溜め息をつき、持っていたスプーンをカレーの皿に置いた。具がほとんど入ってないカレーは、半分も減っていない。昨日のことで頭がいっぱいで、食欲がなかった。

「ねえ……。女同士の恋愛ってどう思う……?」

 ぼんやりとした調子でより子が尋ねると、憲次は「えっ」と、ぎょっとしたように固まった。

「な、え、ちょ……っ。まさかより子、そっち方面に目覚め……っ」

「は? 何言ってんの。あたしやなくて、かや子の話」

 より子は眉をひそめる。憲次は、心底ほっとしたように胸をなで下ろした。

「あ、何や。かやちゃんか。ああ、良かったあ。……って、えっ? かやちゃんが? えっ?」

「レズビアン、なんやって。女の子の恋人がいるって」

 より子は、投げやりに吐き捨てた。憲次は目を丸くして、「はああ……」と、驚愕とも感嘆ともつかない、微妙な声をあげる。より子はスプーンでカレーをすくい、ご飯の白い部分にかける。かけるだけで、食べはしない。

「へええ……。あ、だからお見合いから逃げたんや、かやちゃん」

「そういうことらしいわよ、本人曰く」

「なるほどなあ。男嫌いなんは知ってたけど、ほんまに、そういうのやったんや。ていうかそういう世界って、ほんまにあんねんなあ。初めて聞いたわ」

 憲次は、納得したように何度も頷いた。それからより子の顔を見て、

「ええんちゃう?」

 と軽い口調で言った。それを聞いて、より子は信じられない気持ちになった。腹の底から、ふつふつと怒りがこみ上げきて、スプーンを放り投げた。

「ええんちゃう!? 何それ! ええわけないやんかっ!」

 より子は腰を浮かせて憲次の胸ぐらを掴んだ。彼は、「うぅえっ」と、爽やかとはほど遠い声をあげた。

「ひとごとやと思って! 何やねんな!」

「よ、より子……っ。ごめ、わかっ分かった、悪かったから……!」

 泣きそうな声で懇願するので、より子は憲次の胸元から荒々しく手を離した。彼は崩れるように椅子に腰を落として、大きく肩で息をする。

「いや、より子は妹ちゃん大好きやねんから、かやちゃんのことなら何でも理解すると思ってた」

 憲次は襟元を整え、こちらの様子を窺うように、遠慮がちに言った。

「あたしやって、何でも理解出来ると思ってたわよ。でも、同性愛よ同性愛。それは流石に、いきなりは理解出来へんわよ。同性愛やで? 同性愛」

「何回、同性愛って言うねんな。……おれはほんま、ええんちゃうかな、って思うねんけどなあ。かやちゃんが真剣なんやったら」

「アホ言わんといてよ! あたし、かや子の子どもを一番に抱かせてもらうのが夢やのに!」

「何やそれ」

「だってさあ、あんだけ可愛い子の子どもよ? どんだけ可愛いと思う? このままやったら……、あの子の子どもなんか見られへんやんか!」

 そんなん嫌やわ! と、より子はテーブルに突っ伏した。向かいで、憲次が笑う気配がする。

「そんなら、より子がかやちゃんの分も、子ども産んだらええやん。おれ、子どもいっぱい欲しい。明るい家庭を築こうや」

「何言うてんのよ。あたしの子どもと、かや子の子どもは全然ちが……って、え?」

 はたと気付いて、より子は喋るのを中断させる。それから顔を上げ、まじまじと憲次を見た。彼は、いつも調子で穏やかに笑っている。

「……何、今の。プロポーズ?」

「うん」

 彼の表情は、変わらず爽やかでにこにこだ。

「言うても、実際に結婚出来るのは、もうちょっと先やろうけど。でも、一緒に良い家庭を作ろうな?」

「え、あ……うん」

 より子は無意識に頷いたが、すぐに我に返って頬を赤くした。

「もお!」

 そう言って、憲次の頭をバシンと叩く。憲次は「いだっ」と声を上げたが、顔は嬉しそうだった。より子は頬に手を当てる。びっくりするくらい熱くなっていた。

「もー嬉しいけど! でも何で、わざわざこんな学食で言うんよ。ムードないわあ!」

「え、ああ、ごめん。そんなん全然考えてなかった」

「ほんま、憲次は無計画やねんから」

「ごめんごめん。より子がしっかりしてくれてるから、ついつい」

 憲次はアハハと笑う。そして食べ終わったきつねうどんの器を横にずらし、生協で買っていたアンパンの袋を開けた。

「そういえば昨日、かやちゃん帰って来たんやんな? おじさんとおばさんとは、どんな感じやったん」

「え? あ、ああ……」

 憲次からのプロポーズが嬉しすぎて一瞬妹のことを忘れていたより子は、慌てて居住まいを正した。

  ああ、プロポーズに浮かれて妹のことを忘れるなんて、何てこと! かや子、未熟者なお姉ちゃんを許して!

「昨日はね、かや子がお父さんとお母さんにちゃんと謝って、お父さんとお母さんも、そこまでかや子が嫌がってるって知らなかった、っていう風に謝って……。それで来週、お見合い相手にも謝りに行くみたいよ。まあでも相手も怒ってないらしいし、この話はそれでお終いなんちゃうかな」

「そうなんや。それは良かったやんか」

「良かった……ような、そうでないような……。まあ、変に揉めんかったんは良かったけど」

 何でこんなことになっちゃうの、とより子は溜め息をついた。

「まあまあ、そんな深く考えんと」

 憲次は手をひらひらさせて笑っている。彼はいつもこんな調子だ。プロポーズされてから五分も経っていないが、より子は早くも、この人と結婚して大丈夫やろうか、と思った。



 それから一ヶ月ほどは、何事もなく過ぎた。かや子の見合い相手への謝罪も済み、その件は至極あっさりと収束した。事情を知らないなりに両親も「かや子に見合いや結婚の話題はタブーらしい」ということを感じたらしく、かや子にはその手の話題は一切振らなくなった。

 かや子と麻紀ちゃんは、その後も順調なようだった。姉に告白して気持ちが軽くなったのか、かや子は前よりも少し明るくなり、よく喋るようになった。それ自体は非常に喜ばしいことのはずだが、姉としては若干複雑だ。

  たまにかや子はより子の部屋に来ては、今日は麻紀ちゃんがこんなことを言って、麻紀ちゃんとこんな所へ行って、というような話をした。そういう話は前から聞いていたものの、彼女らが恋愛関係にあるということを踏まえた上で聞くと、胸の中がモヤモヤして仕方なかった。

 より子は未だに、己はどうしたら良いのかが分からない。同性愛のことを勉強しようにも、図書館や本屋では人目が気になって難しい。妹を理解したいとは思うが、何から始めれば良いのかが分からなかった。

  麻紀ちゃんが悪い人間でないことは分かる。どうやらかや子を大事にしているらしい、ということも分かる。だが、そこから先へと進むことが出来ない。どうしても恐ろしくて、思考にストップがかかってしまうのだった。