■あの子が涙を流すなら! 02■
麻紀ちゃんに場所を告げて電話を切り、かや子の元へと戻った。かや子は晴れ着の裾や袖が汚れるのも構わず、道の隅にしゃがみこんで顔を覆っていた。
「麻紀ちゃん、来てくれるって」
より子も彼女の傍らにしゃがみこんで声をかけると、かや子の細い肩がひくりと震えた。
「お姉ちゃん……ごめんなさい……」
くぐもった声が聞こえて、より子は苦笑した。
「あたしには謝らなくていいけど、お父さんとお母さん、それと相手方にはちゃんと謝らんとあかんよ」
そう言うと、かや子は消え入りそうな声で「うん」と頷いた。少し落ち着いたようで、ほっとする。
「ほんま、びっくりしたわー。そこまで嫌なんやったら、最初にお父さんに言えば良かったのに」
「言った」
そこだけ、かや子はきっぱりとした口調で言った。横目で妹の顔を見ると、厳しい顔を前に向けていた。
「わたし、言った。お父さんにちゃんと言ったよ。お見合いなんて嫌やって。でもお父さんとお母さんが、何度も何度も勧めて来るから」
「あー……」
より子は言い淀んだ。末娘のことを心配する両親の気持ちも、よく分かるからだ。この控えめで気弱な彼女が短大を卒業し、社会に出て上手くやっていけるか不安だから、早く家庭に入って欲しいのだろう。父も母も、逃げ出す程かや子が嫌がるなんて、思わなかったに違いない。かく言うより子も、全く予想だにしていなかった。
何となく返答しづらくて、より子は黙って空を見た。頭がクラクラしそうなほど、青い空だった。
それから十五分ほどで、麻紀ちゃんが走ってやって来た。より子は麻紀ちゃんに会ったことがなかったが、どういう子なのかはかや子から聞いていたので、すぐに分かった。背が高くて、頭の高い位置でまとめられた長いポニーテールがトレードマークな麻紀ちゃん。細身のジーンズがよく似合っていた。実際の年齢よりも、すこし大人っぽく見える。
「麻紀ちゃん!」
かや子は叫ぶと、麻紀ちゃんに飛びついた。麻紀ちゃんも「かや子!」と、かや子の身体をしっかり抱きしめる。
「麻紀ちゃん、ごめんね、ごめんね!」
かや子は麻紀ちゃんの胸の中で、泣きながら何度も謝っている。
「かや子、何で何も言ってくれなかったん!」
「だって、だって、言ったら麻紀ちゃん、怒ると思ったから……っ」
「そりゃあ、怒るよ。怒るに決まってる。でも、隠されるのはもっと嫌!」
「ごめんなさい、麻紀ちゃん……!」
かや子は悲痛な声をあげ、泣き声を大きくした。
より子は少し離れた位置で、ややぽかんとしながらその光景を見つめていた。なんとも情熱的というか、何というか。女の友情って、こんなんだっけ? と思ってしまう。少なくともより子はこんな風に、号泣しながら女友達と抱き合ったことなんてない。憲次とだって、ない。
これが女子校のノリなのか、それともより子には分からない事情があるのか。
すっかり蚊帳の外になってしまったより子は、身の置き場に困ってしまった。なんとなく、居心地が悪くてそわそわする。 何なん、かや子ってば。あたしよりも、麻紀ちゃんが来たときの方がリアクション大きいやんか。
などと、つまらない嫉妬心が頭をもたげた。だけどそれ以上に、メロドラマに出てくる恋人同士のような二人に圧倒されていた。
「あの、お姉ちゃん……」
かや子が、恐る恐るといった調子でより子に声をかける。「何?」と言ってかや子の目を見ると、彼女は言いにくそうに目を伏せた。
「わたし、今日は麻紀ちゃんの家に泊まっても、いい?」
「えっ」
より子は、目をパチパチさせた。気が付けば、かや子は麻紀ちゃんの手をしっかり握っている。誰が何と言おうと今日は帰らない、という意思表示のように見えた。
確かに、帰りづらいのは分かる。両親に会いたくないのも、分かる。だけど、何だろう、この胸に生じた違和感は。
「でも、かや子。そんな急に泊まるったって、麻紀ちゃん、実家でしょ? 向こうの都合も」
「いえ。うちは、大丈夫です」
きっぱりとした口調で麻紀ちゃんに言われて、「そ、そう」とより子はたどたどしく頷く。
「明日は、絶対に帰るから。今日だけ、今日だけだから……」
潤んだ瞳で妹に懇願されたら、姉バカのより子は、
「しょうがないな、もう」
と答えるしかない。かや子は、ほっとしたように表情を明るくした。
「お父さんたちには、あたしが伝えとく。ほんまに、明日は絶対帰って来んねんで?」
「うん……。お姉ちゃん、ごめんね。ありがとう……」
そう言って控えめに微笑むかや子が可愛くて、より子は胸に芽生えた違和感を忘れた。ああ、やっぱり、あたしの妹は可愛い!
家に帰ったら、両親が烈火の如く怒り狂っている……というのを想像していたのだが、実際はそうではなかった。父も母も、「かや子が急にいなくなった」ということに対する驚きと心配の方が勝っていて、怒るどころではないようだった。なのでより子が、かや子は友達の家にいることを伝えると、物凄くホッとしていた。
「そやけど何で、かや子は黙っていなくなったりしてん。先方に頭下げて、大変やったんやぞ」
安心したら怒りが湧いてきたのか、夕食の席で、父は苛立ったような口調で言った。
「お父さんが、無理矢理お見合いなんて勧めるからやわ……」
母が小声で呟き、お茶を一口すすった。父は「何や、全部わしのせいか」と声を荒げる。より子は溜め息をついて、両者の間に割って入った。夫婦喧嘩の仲裁は、より子の役割だ。
「はいはい、その話はまた後でね。それより、相手は怒ってたん?」
「……いや、それがな」
父は神妙な表情になって、身を乗り出してきた。
「どうも、二人になったときから、かや子の様子がおかしかったらしいねん。ひとっことも喋らんし表情も硬いし、異常なまでに緊張してる風やったらしい。それで向こうさんも、これは無理なんと違うか、今日はとりあえず帰った方がいいんちゃうか、って思ってた……て、言うてはった」
「せやから、全然怒ってはらへんかってんよ。むしろ心配までしてくれて」
母は頬に手を当てて、ふうっと息を吐き出した。
「何それ。めっちゃ良い人やん。かや子が逃げ出すくらいやから、どんな嫌な奴やねん、て思ってたのに」
より子が目を丸くすると、父は、心外そうに顔をしかめた。
「何や。そんな嫌な奴を、お父さんが紹介するかいな」
「あ、うん。そうね。そうよね。さっすがお父さん」
父の機嫌を損ねないよう、より子は適当に持ち上げた。そして味噌汁の茶碗に口をつけながら、かや子のことを考えた。
お見合いから逃げ出したかや子。あんなに取り乱すほど、お見合いを嫌がっていたかや子。相手は問題じゃないと言っていた。そして、麻紀ちゃんとの、やけに熱いやり取り。
一時は忘れていた、ざわざわとした違和感が胸の中に蘇ってきた。まさか。まさか。まさかね?
かや子は、味噌汁を一気に飲み干した。
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