■きらめかない、ときめかない 07■


「何かね、メグリ、振られたんだって!」

 そのひとことに、俺はテーブルに頭を打ち付けそうになった。

 振られた? メグリが? ……というか、俺が振ったということか。

 それは心外だ。振ってはいない。振った覚えは何処にもない。だってそれ以前にまず、告白すらされていない。それなのに、振られたって一体何だ。

「こないだ言ってた、バイト先の上司に?」

「えええー、そうなんだあ」

 ブルースとアニメ声は、興味津々といった様子で身を乗り出す。早口は、友人たちの耳目を集めてやや誇らしげであった。俺は、良いから続きを話せ、と思った。だって、全くもって意味が分からない。

「昨日、岩田のところにメグリから電話があって、すっごい沈んだ感じで、振られた……って言ってたんだって」

 また岩田か!

 俺は胸の内で叫んだ。この間も、岩田から情報が漏洩していたのではなかったか。昨日の夜にメグリから電話を受けて、今日の午前中にはもうここまで話が回ってきている。その男は、どれだけ口が軽いんだ。そしてこいつらは、メグリのことを一体なんだと思っているのだろう。  俺はテーブルの下で拳を握り締めた。ふつふつと頭が煮立ってくる。色んなことを我慢するのに必死だった。

「ええー、メグリ可哀想……」

 吐息混じりに、アニメ声が呟く。

「振られたってことは、告白したんだよね。メグリ、勇気あんね」

 続いたブルースの声に、俺は内心でぶんぶんと首を横に振った。それは違うぞ、ブルース。俺は告白なんて一切されていない。

 それなのにメグリが俺に振られたと思っているのは、佐々木さんに告白したということを彼に話したからだろうか。しかし、彼女には振られているのである。メグリにも、きちんと言ってある。

「岩田が言ってたけど、メグリ、泣いてたって」

 早口の言葉に、俺の胸は裂けそうになった。泣いていた。メグリが。俺が泣かせてしまったのだ。後悔が、昨日よりも大きく膨らんでゆく。  俺がぐじぐじと心を痛めていると、ブルースとアニメ声は同時にこう言った。

「きもーい」

「かわいそーう」

 前者がブルースで、後者がアニメ声である。俺は、どちらにもカチンときた。そして、岩田とやらにも心底腹が立った。男の涙を、不用意に他人に話すなど言語道断だ。本当に、友達は選べとメグリに言わなければならない。

 ……そうだ、メグリにだって腹が立つ。振られた、って何だ。告白されてもいないのに、どうやって振ると言うのだ。

 確かに昨日は相当理不尽にきついことを言ってしまったけれど、あれはただの八つ当たりであって、別に振ったわけじゃない。それとこれとは、話が別だ。泣いて友達に電話するくらいなら、まず俺に告白して来いよ!

 自分でも無茶苦茶な主張であるという自覚はあったが、止まらなかった。おとな気の無い自分にも、口が軽すぎる岩田にも、無責任にはしゃぐ隣の三人組にも、俺の知らないところで流されたらしいメグリの涙にも、全てに腹が立つ。

 どいつもこいつも、誠実さが足りない。

 ……何処かで聞いたことのある言葉だ。そうだ、夢の中でメグリに言われた言葉じゃないか。

(そういうの、不誠実って言うんだよ)

  くそ、全くもってその通りだ。夢の癖に、的確なことを言う。

 気が付けば、俺は立ち上がっていた。きゃあきゃあ騒ぐ三人組の方は見ないようにして、足早に店を出る。そしていの一番に携帯を取り出し、メグリに電話をかけた。

 不誠実、という言葉が頭を駆け巡る。悔しい。無性に悔しい。きっちりメグリと話をつけよう、と思った。そうでないと、気が済まない。

 メグリは出ない留守番電話サービスに繋がった。俺は荒々しく電話を切り、間髪入れずリダイアルボタンを押した。奴が出るまで続けるつもりだった。頭の裏側で、お前ちょっとストーカーっぽいぞ、という声が聞こえたが無視した。岩田とかいう男には電話をかけるくせに、俺からの電話に出ないメグリが悪い。

 四回目か五回目のチャレンジで、ようやくメグリは電話に出た。おせえ、と怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、そこはどうにか堪える。そんな風にキレてしまっては、昨日の二の舞だ。俺は大人として、誠実さを見せなくてはならない。飽くまで穏やかに話を進めるのだ。

「もしもし、メグリ?」

『え、あ、はい……』

 受話器の向こうから聞こえる声は、何処までも固かった。俺は前髪を掻きむしった。

「お前、今日って、休み?」

 穏やかに、穏便に、と自らに言い聞かせつつ俺は尋ねる。

『え……休み、ですけど……?』

 メグリの口調からは、戸惑いと若干の怯えのようなものが感じられた。俺は、それに気付いていないふりをして、続けた。

「そんじゃ、今から出て来られる?」

『…………』

「何だよ、黙んなよ。無理なら良いけど」

『いや、無理じゃないです! でも』

「でも?」

『今からじゃなくて、もうちょっとだけ待ってもらって良いですか?』

 あんま、人に会える状態じゃなくて……と、消えそうな声でメグリは付け足した。何で、とは聞かなかった。そんなに泣いてたのか、と苦い気持ちになる。

「うん、良いよ。じゃあ店の裏の、坂道下ったとこにある公園で待っとくから、都合良くなったら来いよ」

『……はい』

 微かな返事を聞き、俺は電話を切った。穏便に……話したつもりだが、どうだろう。メグリはどう思っただろう。また泣いたりしないよな。泣くようなこと言ってないよな。うん、言ってない。

  そんなことを考えながら、俺は公園に向かった。










 そういえば土曜日である。公園は、子どもたちの笑い声で溢れていた。サッカーボールがせわしなく行き交い、砂場は大混雑だ。天気も良いし皆楽しそうで、はしゃぎ声を通り越して絶叫している幼児もいる。子どもって、どうしてあんなにも容易く臨界点を突破出来るのだろう。

「……どっか、店に入っとくって言えば良かったかな……」

 ベンチに腰掛けてメグリを待つ俺は、場所の指定を誤ったかと少々後悔していた。どうにも騒がしく、落ち着いて話をするには向かなさそうだ。しかし、静かな場所でメグリと向き合ってもきっと気まずいだろうし、考えようによってはこれくらいやかましい方が良いのかも知れない。

「……ども、遅くなりました」

 しばらくして、メグリがやって来た。思ったよりは待たなかった。 彼はうつむきがちだったので、顔はよく見えなかった。なので、あえて観察しようとはしなかった。ただ、掠れた声をじかに聞き、あらためて胸がちくりと痛んだ。

「や、急に呼び出してごめんな」

「そんなん、全然」

 メグリはゆるゆると首を横に振った。いつもはうざいくらいに明るいのに、今日は普段の溌剌さが全く感じられなかった。俺は細く息を吐く。

「なあ、立ってないで座れよ」

 ベンチの隣を指さしてそう言うと、メグリは少し躊躇うような仕草を見せたのち、遠慮がちに俺から少し距離を置いて腰を落とした。

 しばし沈黙が流れる。俺は、何をどう話そうか考えていた。何か言いたいことが沢山会った気がするのに、いざメグリを前にしたら何がなんだか分からなくなってしまった。昨日の出来事や夢のことや、女子高生たちの噂話なんかが頭の中でミックスされて、てんやわんやだ。

「お前さあ、友達に岩田って奴いる?」

 何も考えずに口を開いたら、そんな言葉が飛び出した。自分でも、何でそこから入るんだ、と思ったが、言ってしまったものは仕方がないので岩田の話をすることに決める。

「え? 何でもっさんが、岩田のこと知ってんですか?」

 メグリは目を大きくして、俺の方を見た。そこで初めて、俺はきちんと彼の顔を正面から捉えた。瞼と目が赤く腫れ上がって、イケメン予備軍くらいには整っていた顔が台無しである。俺は再度胸が締め上げられると共に、そこまで泣くことかよ、と心の中でこっそりと吐き出した。

「いるんだな、岩田って友達が」

 俺は、再度繰り返した。メグリに岩田という友達がいるのなら、今更だがあの女子高生たちの話していた「メグリ」は今俺の目の前にいるメグリのことだと確定するわけである。

「い、いますけど」

 メグリは俺の勢いに気圧されたように、恐る恐るといった調子で頷いた。

「今度店に連れて来いよ。一発ブン殴るから」

 拳で手のひらを軽く叩きつつ、俺は言った。メグリはぎょっとした表情で「な、殴るって……何で?」と尋ねる。それを見て、ああこいつは岩田がどういう奴が知らないんだなと思い、俺は大層微妙な心持ちになった。

「ほんっと、お前、友達選んだ方がいいぞ」

 しみじみと、俺は言った。メグリは訳が分からない、という風に瞬きを繰り返す。

「はい?」

「あいつから、バンバン漏れてんだよ、お前の情報が。色々と。それが何故か、俺の耳にも入ってくんの。別に聞きたくもねえのに、色々と!」

 俺が、あの女子高生にも負けないくらいの早口でまくしたてると、メグリは「はあ」と気の抜けた声を出した。それからしばらく黙り、やがてハッとした表情で頬を引き攣らせた。

「情報って、どういう」

「……色々だよ」

「い、色々」

 俺の言葉を復唱し、メグリは頬を真っ赤にして下を向いた。両手で、頭を抱えている。彼の混乱と焦りが、手に取るように理解出来た。バイト先の上司が、会ったこともない自分の友人の名を知っていて、しかも彼づてに自分の情報が色々漏れているのだと言われたら、そりゃあパニックにもなるだろう。

「……昨日は、きつい言い方して悪かったよ。あれは、我ながらおとな気なかった」

 混乱中申し訳ないとは思ったが、俺はもう言いたいことを全部言ってしまうことにした。謝罪を口にした瞬間、胸が少しすっきりした。どうだ俺は誠実だろう、などと威張りたくなる。

「え、いや、そんなん、もっさんが謝ることじゃないし!」

 メグリは赤い顔のまま、首を勢いよく横に振った。俺は軽く手を持ち上げて、それを制する。

「いや、あれはただの八つ当たりだった。昨日の閉店後のやりとりに関しては、俺が全部悪い。それは認める。でもな、そっから先は別だからな」

「そっから先?」

「お前な、勝手に振られたとかって泣いてんじゃねえぞ」

 俺の言葉に、赤かったメグリの顔が更に赤くなった。目を見開き、口をぱくぱくさせる。