■きらめかない、ときめかない 05■
ああ死にたい。もう死にたい。今死にたい。死にたい死にたい死にたい!
また有り得ない夢を見てしまった。有り得ない中にも、佐々木さんに告白しただとか、微妙に現実とリンクした部分もあるところが、無駄にリアリティを生み出していてタチが悪い。
しかも、結局メグリとやっちゃってるし。十七歳に、アンアン言わされちゃってるし。俺は頭がおかしいのではないだろうか。自分が許せない。とかく死にたい。死んで地面に埋まりたい。
そしてまた、最終的にはメグリに振られる夢だった。現実では佐々木さんに振られ、夢の中ではメグリに振られるなんて、いくらなんでも俺が可哀想だ。夢の中でくらい、良い思いをさせて欲しい。いや気持ち良かったけれど。
……そうじゃなくて! そういうことじゃなくて!
大体、気持ち良いというのもおかしい。男同士なのに。男同士なのに!
本当に、意味が分からない。俺はどうしてしまったのだろう。どうなってしまうのだろう。メグリに惚れられて、全力で彼のことを意識してしまっているというこの状況を、どのように呑み込めば良いのだろう。
考えても考えても、答えは出なかった。なので俺は、とりあえず汚れた下着を洗濯機に放り込むところから始めようと思った。本当に最悪だ。
その日の職場にて、俺は更に気の毒な状況に追い込まれた。
彼女にするならどんな子がいい、というメグリの質問に「巨乳の子!」と俺が高らかに宣言するのを聞いていたパートさんがいたらしく、俺が巨乳好きであるという噂が店中に広まっていたのだ。それからは何かにつけて、乳ネタを振られるようになってしまった。
加えて、佐々木さんが露骨に口を効いてくれない。違うのに。本当に、違うのに!
俺はどこまで可哀想なのだろう。そろそろ本気で泣いてしまいそうだ。
そして、あれから俺はメグリのことをさりげなく避けるようになった。 だって、夢のこともあるし、気まずくて仕方がない。
自意識過剰かもしれないが、近くにいればメグリがこちらをずっと見ているような気がするし、言葉を交わせば、探られているような気になる。何かを期待されているような気にもなる。とかく落ち着かない。
だから俺は、さりげなくメグリの視界に入らない場所に移動したり、話し掛けられても返事は二、三言で済ませたりしていた。
だけど心の底では、そんな風に接してメグリに申し訳ないな、とも思っていた。だってメグリは何も悪くない。職場での彼はやっぱり気の良い男で、何の問題もないのである。
だけど俺は恐ろしかった。メグリの目を見るのが怖い。笑いかけられるのが怖い。肩や背中にふれられるのが怖い。恐ろしいので逃げるしかない。そうしたらどうしても、冷たい態度を取ってしまう。
……で、そんなことを一週間ばかり続けていたら。
「もっさん、最近俺に冷たくないですか?」
なんて、言われてしまった訳である。
俺は、シャッターを下ろそうとしていた手を止めた。風の冷たい秋の夜であった。 今日は俺が閉店作業担当で、メグリ以外のバイトは全員既に帰っていた。というか、メグリもバイトたちと一緒に一度は帰って行ったのに、しばらくして忘れ物しただの何だの言って戻って来たのだった。そして、この一言である。
メグリは俺から少し離れたところに立って、ふて腐れた表情で俺のことを見ていた。
「……あー、最近、忙しいから態度に出てんのかもな。悪いな」
俺は誤魔化すように言って、口元に笑みを貼り付けた。
「ほんとに、そんだけっすか」
「それ以外に何かあんの」
「おれ、何かしたかなって」
「何かって?」
「それが分かんないから、聞いてんじゃないですか」
メグリは口を尖らせた。俺は黙って、シャッターを最後まで下ろしてしっかりと施錠した。メグリからの視線を感じる。肌寒いくらいの気温なのに、手のひらに汗が滲んできた。
「……あの、一応言っときますけど、もっさんが巨乳好きっての、俺、誰にも喋ってないですから」
俺は思わず、シャッターに頭をぶつけた。がしゃん、という音が辺りに響く。痛い。色んな意味で、痛い。
「いや……っ。お前、あれは……」
違うんだ、そもそも俺は巨乳にそこまで固執している訳じゃないんだ、あれはお前の気をそらす為っていうかあのときのことは思い出させないで欲しいっていうか何よりも的外れにも程があるというか!
色んな思いが悶々と胸に湧き上がり、俺は頭を掻きむしった。それから落ち着くために、ひんやりとした空気を胸の中に吸い込んだ。
「あれは、バックヤードの前で聞いてたパートさんから、広まったんだよ。んなことは、分かってる」
俺は、一言一言噛み締めるように、じっくりと言って聞かせた。言い終わってから、鞄の中に店の鍵を放り込む。メグリは、それじゃあ何で最近冷たいんすか、とでも言いたそうな顔をしている。ああ、面倒くさい。俺は舌打ちをしたくなった。
「だからさあ、最近忙しいから、っつってんじゃん。大人には仕事以外にも色々あんのよ。分かる?」
俺は苛立ちに任せて、吐き捨てるように言った。口にした直後、後悔した。なんて感じの悪い、卑怯な物言いだろう。こんなふうに言われて、メグリが気を悪くしないはずがない。俺だって十代の頃、年上の人間にこういう言い方をされるのが一番嫌だった。大人って、どうしてこうも簡単に、自分がされて嫌だったことを他人にもやらかすんだろう。ああ、もう、自分に幻滅してしまう。
「……あの、これ、俺のただの想像なんですけど」
顔には出さず心の中で自己嫌悪と戦っていたら、メグリがぽつりと口を開いた。
「おう、何だ」
「最近のもっさん、佐々木さんとも微妙な感じじゃないですか? あんま会話がないっつうか」
「…………」
また、嫌なところを突かれて、俺は押し黙った。今も、佐々木さんは俺とあまり口を効いてくれない。しかしこれに関しては、百パーセント俺が悪いのだから仕方がない。
「そんで、あの、もしかして、もっさんて」
メグリは言いにくそうに、うつむいて口元をもぞもぞさせた。
「もっさんって、佐々木さんのこと、好きなのかなあ、って……」
俺は、眉間を震わせた。先程の後悔と慚愧が、いっぺんに何処かに吹っ飛んでしまう。何だこいつ、と思った。どうしてこいつは、こうも的確に俺の嫌なツボを突いてくるのだろう。
「それで、俺があの場で、もっさんの理想のタイプ聞くとか空気読めないことしちゃったから、怒ってんのかと思っ」
「あああーもう、うっせえなっ!」
苛々が臨界点に達した俺は、メグリの言葉を遮って怒鳴り声をあげた。突然の怒号に、メグリがびくりと肩を震わせる。俺の腹の中は激しく燃えていて、頭で考えるよりも先に口が動いた。
「佐々木さんのことが好きなんじゃないかって? おお、佐々木さんには告白して振られたよ! それがどうした!」
言ってしまってから、ハッと我に返った。一気に、身体の中が冷えてゆく。
何を言っているんだ、俺は!
最悪だ。いや、最悪どころの騒ぎじゃない。最悪よりももっと悪い場合、なんと表現すれば良いんだ。
「え……そう、なん……す、か……?」
メグリが、呆然とした面持ちで呟く。顔が真っ白で、今にも倒れてしまいそうだった。
「うわ、俺、そんなん……最悪……」
消え入りそうな声でメグリは言った。彼が悪いことなんてひとつもないのだが、俺は己の言動の、あまりの醜悪さにショックを受けてしまって、「ああ」とか「いやその」とか、阿呆のように口を動かすことしか出来なかった。
「すみません! 本当にすみませんでした!」
物凄い勢いで頭を下げ、メグリは俺の顔も見ずに走り去った。俺はあまりのことに、その場から動けなかった。
何であんなことを言ったんだ。何であんなことを言ったんだ!
どうしてあんな風に理不尽に、メグリに怒りをぶつけてしまったのだろう。佐々木さんに告白したのも一瞬で振られたのも、その後の俺の不用意な発言によって彼女から避けられていることも、全て自分が悪いんじゃないか。なのに、年下の(それも、まだ高校生の!)相手を怒鳴りつけるなんて有り得ない。
メグリは、直接俺に何かをした訳でもないのに。その上、俺のことが好きかもしれないのに。なのに俺から冷たくされて、更に八つ当たりまでされて、彼はどう思っただろう。
胃の辺りが、ぎゅっと押し潰されそうだった。メグリの、どうしようもない罪を犯してしまった、みたいな顔を思い出すとたまらない気持ちになる。
ああ、可哀想なメグリ! あいつは何も悪くないのに!
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