■きらめかない、ときめかない 03■


 この上なく素晴らしい切り口で真っ二つにされ、俺はしばし言葉を発することが出来なかった。

「先輩、何血迷ってんですか」

 佐々木さんの溜め息に、俺はハッと我に返った。

「いや、血迷ってるっていうか……嫌ですって……嫌ですってきみ……振るにしても、もうちょっとマイルドな言い回しがいくらでもあるだろうに、嫌ですって……」

 呟きながら、俺は胸を押さえた。彼女は、こんなにきつい物言いをする女性だっただろうか? 俺の記憶では、もうちょっと優しい人だった気がするのだけれど。 今のは、結構本気で傷付いた。

  このときには俺も既に、突然彼女に告白したことはどう考えても間違いであったと悟っていたし、彼女の言う通り血迷っていたということも自覚していたが、それでも『嫌です』の一言は、心の奥深くに突き立った。大ダメージである。

「だって先輩、いきなり『付き合って下さい』は無いですよ」

「はい……すみません……」

 俺は肩を落とした。色んな意味で打ちのめされていた。

「先輩、何かあったんですか?」

 佐々木さんはコミックの在庫群から視線を離し、俺の方を見た。俺も、佐々木さんを見る。

「いやあの、何というか、自意識過剰かもしれないんだけどさ、うちの店の子でひとり、俺に気があるんじゃないかなーっていう子がいて」

 普段だったら年下の女の子に悩みを打ち明けるなんてことは絶対にしないのだが、このときは心が弱り果てていたので、ついつい吐き出してしまった。ただし、部分的に事実は伏せておく。俺なりの気遣いである。

「へえー、それが、私だと思ったんですか?」

 佐々木さんはそう言って、俺を見た。目の色が、若干冷ややかに見えるのは俺の気のせいであろうか。

「えっ、いやっ、そういうわけじゃないんだけど」

「じゃあ何で、付き合って欲しいなんて言ったんですか」

「それはその、テンパっておりまして……」

「テンパってた?」

 佐々木さんが語調を強くしたところで、バックヤードの扉ががちゃりと開いた。中に誰かが入って来る。

「失礼しまー……あれ」

 戸口のところで足を止めたその人物は、メグリだった。背が高くて、髪型も服装も今風だけれど、イケメンというにはあと一歩足りない、という風情のメグリ。俺は、扉を振り返った格好のまま固まってしまった。

「あっれー、もっさんに佐々木さん。ふたりで何やってんですかー?」

 戸口で立ち止まり、メグリが笑う。口から八重歯がこぼれるのが見えた。今まで、メグリの歯なんて気にも留めたことがなかったのに、何故かそんな細かいところに目をやってしまう。我ながら意識しすぎだ。

 そして彼の口元を見た瞬間、俺は昨日の夢のことを思い出してしまった。唇の触れたときの感触とか、口の中に絡みつく舌の動きだとかが脳裏に蘇って、この場から逃げ出したくなった。

「私は在庫点検で、先輩は休憩。メグリくんこそ、どうしたの? 今日って五時からでしょ?」

 まだ全然早いよ、と続けて佐々木さんは壁の時計を指さした。ガラスにヒビが入っているアナログ時計は、三時半を指している。

「いやー、暇だったから」

 メグリはそう言って、俺の方を見た。どきりとする。俺は咄嗟に目をそらしてしまった。恥ずかしい。色々な意味で恥ずかしい。男子中学生か、俺は。どういう顔をすれば良い。俺は今まで、どうやってこいつと目を合わせていたのだろう。そんな簡単なことが、全く思い出せない。

「そうだ、もっさん」

「えっ、あっ、うん、何」

 メグリに話し掛けられて、俺は若干背筋を伸ばした。もっと自然にしてろよと自分を叱咤するが、どうしたって緊張してしまう。

「うん? どうしたんすか、何でそんな挙動不審なんすか」

 軽く笑うメグリに、俺は更に口調がぎこちなくなってしまう。

「そお? 全然、そんなことないけど?」

「もっさん、何かおかしいっすよ!」

「いや、それで……えー、何?」

「そうそう。俺、昨日もっさんに電話したのに」

「ああ……悪い。ちょっと出られなくて」

 俺は無意識に、携帯を突っ込んでいる尻ポケットに手をやっていた。昨日の振動を思い出す。取ることが出来なかった。出来るはずがなかった。

「あ、もしかして、彼女と一緒だったとか?」

 からかい半分、冷やかし半分という調子でメグリは言った。それは純粋に他人の色恋に興味津々、という風に聞こえたが、俺には女子高生たちから得た『メグリはバイト先の上司が好きらしい』という先入観があるので、そんな他愛のないひとことも探りを入れられているように感じられる。

 なんと答えよう、と俺は必死で考えた。

 彼女がいる、と答えておけば、もしかしたら全て解決するのではないだろうか。先程、佐々木さんに告白したときにも考えたことだが、俺に彼女がいるとなれば、メグリも俺のことは諦めるだろう。

  しかし、今この場所にはまだ、当の佐々木さんがいる。清々しいほどまでに容赦無く、俺を撃墜した佐々木さんが、だ。ここで、そうそう彼女と一緒にいてさあ、なんてニヤニヤ答えようものなら、彼女はきっと俺のことを、振られた直後に年下に見栄を張る小さな男だと思うだろう。幻滅されることは必至である。告白した時点で俺の評価は急落しているわけで、これ以上自分の株を下げたくはない。

「ばーか、彼女なんていねえよ」

  佐々木さんの前で、これを口にするのもなかなか悲しいものがあった。彼女は今、こちらに背を向けて積み上げられたコミックの梱包を数えているが、このやりとりを聞いてどう思っているだろう。

「あ、そうなんすか? 何か意外だなあ」

  驚きを含んだメグリの声に、何処かほっとしたような響きが滲んでいたように思えたのは、俺の気のせいだろうか。

「じゃあ、もっさん。彼女にするなら、どんな子が良いっすか?」

 何だよそんなこと聞いてくるなよ、と俺は泣きそうになった。そんなことを聞いてどうするんだ。参考にするのか。参考にして俺の彼女……彼氏だろうか……のポジションを狙うつもりなのか。そういうことなのか。

 ならば、どうやったってメグリには体現出来ないことを言ってやろう、と思った。何があっても参考にならない、理想の彼女の条件をこいつに突きつけてやるのだ。 料理が上手いだとか優しいとか、そういうのは駄目だ。女の子らしい、というのも却下である。女性的な男なんていくらでもいる。もっとこう、絶対に女にしか当てはまらない条件を……。

「巨乳の子かなっ!」

 俺は勢いよく言った。どうだ、と思った。これならば真似出来まい。完璧である。しかし、俺が完璧だと確信したときには常に穴があるようだった。

「最低」

 吐き捨てるような、佐々木さんの声が聞こえた。うわあ、と叫びたくなった。

  そうだ。そうじゃないか。佐々木さんがいたんじゃないか。メグリとは程遠い条件を言おうとそればかりを考えていて、他のことが頭から全部消え失せていた。なんという浅はかさだ。彼女の言うとおり、俺は最低である。

 しかもまた、佐々木さんは結構胸が大きいのである。ああ、これじゃあ、俺が彼女の胸だけを見て告白したみたいじゃないか!

「ち、ちがうっ、ちがうんだ佐々木さん!」

 俺は慌てて佐々木さんの方を振り返り、弁明しようとした。しかし、彼女は全く俺の話を聞いてくれない。

「いえ、良いんじゃないですか? 巨乳好きで」

「いやだからほんと、ごめんなさい、違います、違うんですマジで!」

 俺はまさしく必死であった。普段は使わない敬語で平身低頭謝り倒す。するとメグリがぱちぱち目を瞬かせ、こう言った。

「びっくりしたー。もっさん、女の人の前で何を言い出すのかと」

「違うん、だってば!」

 俺は大きな声で叫んだ。だって本当に違う。別にそこまで巨乳が好きなわけじゃないし、胸を見て佐々木さんに告白したわけでもない。

「あはは、だってば、って何か可愛い」

 楽しそうに言うメグリの言葉に、俺は更に死にそうになった。可愛い、という言葉が物凄い勢いで胸と頭にめり込んでくる。可愛い。可愛いとか言われてしまった。それはどういう意味だろう。そういう意味だろうか。俺はそれを聞いて、どうすれば良いのだろう。どうしよう、どうしよう!