■きらめかない、ときめかない 02■


 案の定というかなんというか、その日はメグリの夢を見た。 しかも夢の中の俺たちは、付き合っているという設定だった。更に何だかもう、フォローの入れようがないくらいにいちゃついていた。

 場所は、何処なのかよく分からない。とりあえず室内だ。俺たちは手を繋いで、隣合わせで床に座っていた。メグリはにこにこと上機嫌であった。俺は、これが夢だということを何となく理解しているのだが、がっちりと絡まった指をほどくことも出来ず、メグリが楽しそうに喋るのを、うんうんと頷きながら聞いていた。

 と、そのとき、何処からか電話の鳴る音が聞こえた。じりりりん、という今時聞かない黒電話の音だ。ああ出ないと、と思って立ち上がろうとしたら、繋いだままの手をメグリに引っ張られて再び腰を落とした。

 メグリの方を振り返ると、何故か彼は拗ねたような表情をしていた。「何?」と尋ねても、何も言わない。その間も、電話の音は鳴り続いている。

 メグリは更に俺の手を引っ張って自分の方に引き寄せ、唇を合わせてきた。

「……っ!」

 驚愕の余り、俺は眼を見開いた。まさかこんな展開になるとは思っていなかった。手を繋ぐまでは何となく許容範囲だと思えるけれど、これは流石にちょっと待ってくれと言いたくなる。

 メグリの舌が口の中に入って来て、俺は肩を竦ませた。夢だというのに、濡れた舌のぬるりとした感触が異様にリアルだった。電話はまだ鳴っている。ベルの音と、メグリが舌を動かすたびに漏れる水音とが頭の中で混じり、訳が分からなくなった。

 待ってくれ。本当に待ってくれ。

 俺は心の中で、ひたすらそう繰り返していた。メグリの指が、首筋を這ってぞくぞくする。これは夢だよな。夢なんだよな?

「ちょ……っ!」

 口が離れると同時にメグリの手が下方に伸びて来て、俺は心底焦った。流石にそんな夢は勘弁してくれ、とメグリの肩を押しのけようとするが、びくともしなかった。これが若さか。違う。夢だからだ。

「やめ……っ、やめろって……!」

 そのとき一際電話の音が大きくなって、俺の声をかき消した。メグリは黙々と、俺のベルトを外している。焦燥と恐怖で眩暈がした。

「メグリ……っ」

 俺は言葉の途中で息を呑んだ。メグリの手が無遠慮に、下着の中へ突っ込まれたからだ。

 メグリは俺のものを掴んで、上下に擦り始めた。眩暈が酷くなる。瞬く間に全身が熱くなった。

「う……っ、あ……っ」

 俺は喉をそらして掠れた声をあげた。震える手で、メグリの服を掴む。次第に先端から透明な液体が溢れてきて、メグリが手を動かす度にぐちゃぐちゃと卑猥な音を立てる。喉と耳が焼けそうだった。 現実でないはずなのに、どうしてこんなにもメグリの指の感触がはっきりと感じられるのだろう。時折先端を撫でながら、的確に俺を追い詰めてゆくメグリの指。認めたくないけれど、気持ちが良い。どうにかなってしまいそうだ。

 断続的に、背筋を震えが駆け上る。耳の後ろがざわざわした。限界が来そうになって、俺は一際強い力でメグリの服を握り締めた。

「……やめた」

 ぽつりと言って、メグリは手を止めた。それと同時に、電話の音も止まった。

「な……っ」

 極限まで上り詰めた熱を突然放置され、俺は戸惑った。それに、今まで耳の中を支配していた音がいっぺんになくなって、何やら落ち着かない気分になる。 メグリはやけに真面目な顔をして、俺のことをじっと見ていた。

「おれやっぱり、もっさんと別れる」

 彼はきっぱりと、そんなことを言った。俺は一瞬何を言われたのか分からなくて、ぱちぱちと眼を瞬かせた。するとメグリはゆっくりと、同じ言葉を繰り返した。

「もっさんと、別れる」

「なん……」

「だってもっさん、使ってない部屋の電気を消さねえし」

 俺は咳き込みそうになった。何だその理由。リアルなのか、そうでないのかよく分からない。ああだけど確かに、俺はしょっちゅう電気を消し忘れる。しかしそれは、そんなに悪いことなのだろうか。

「だから、別れるわ」

淡々と告げるメグリは見たこともないような冷たい顔をしていて、俺は何だかよく分からないが泣きそうになった。










  ……目が覚めた瞬間、死にたくなった。 最悪だ。最悪である。こんな酷い朝は初めてだ。 確かに昨日の出来事はインパクト大であったので、メグリの夢を見てしまったことは、まあ仕方ないのかもしれない。それは不可抗力だ。うん、仕方がない。 そして、夢の中でやたらと電話が鳴り響いていたのは、昨日メグリからかかってきた電話が心の中に残っていたからだろう。それも分かる。

  だけど、何であいつと付き合っている設定なんだ。何故そんな夢を見た。しかもどうして、いやらしい展開になった。相手は男だというのに。更に信じがたいことに、控えめに言っても気持ち良かった。最悪だ。最悪としか言いようがない。

  そして一番の疑問は、何故俺が振られるというオチなのだ、ということだ。惚れているのはあいつじゃないか。いや、確定事項ではないのだけれど。 それでもどうして俺が、あんな状態で放置された上に、三行半を突きつけられないといけないのだ。意味が分からない。何よりも、自分の頭がどうなっているのかが分からない。どうしてあんな夢を見た。 何でだ。何で? 何で?

  その日の仕事は散々だった。本の山を倒すこと三回。レジを打ち間違えること四回。「お待たせ致しました」で噛むこと二回。何をやっているんだろう。

「ああ、駄目だ。俺は駄目だ……!」

 休憩時間中、俺はバックヤード……いわゆるひとつの倉庫にこもって頭を抱えた。悶々とした思いは何時までも消えない。気を抜くと、すぐにメグリのことを考えてしまう。 大体、俺は学生時代からもてない男だった。だから、こういうことに慣れていない。身近な人間が、自分のことを好きかもしれないだなんて。ましてや、相手は男だ。動揺しないはずがない。

 俺はふと、壁に貼り付けてあるシフト表を見やった。本日、メグリは……出勤だ。十七時になったら、メグリが店に来てしまう。 どうしよう。ああ、どうしよう。またこれだ。昨日から、こればかり脳内で繰り返している。これ以上、進むことも戻ることも出来ない。

 実際問題、こういう場合はどうしたら良いのだろう。俺は大混乱で、まともな思考が全く出来なくなっていた。頭の中がミキサーでぐちゃぐちゃとかき混ぜられる。

  そんな中、ふと、彼女を作れば良いんじゃないか? という考えが胸の中に落ちてきた。 後から考えたらそれもまた訳の分からない理屈なのだが、そのときは、これ以上ない名案に思えた。今、自分はフリーだから、こうやってメグリについてあれこれ悩んでいるのだ、と。彼女がいれば、たとえメグリが俺を好きだとしてもどうしようもないし、また、どうする必要もないじゃないか。

 俺は、自分の結論に拍手を送りたくなった。完璧だ、とそのときは確信していた。

 そして次の瞬間、驚くほどタイミング良く、コミック担当の佐々木さんがバックヤードの中に入って来た。

「あ、先輩、此処に居たんですか。ちょっと、奥のコミック在庫を点検しますね」

 そう言って佐々木さんは、大股で部屋の奥へと向かう。彼女は黒のロングヘアをいつも頭の高い位置でお団子にしていて、青いフレームの眼鏡をかけている。見るからに文系女子、という感じだ。しかし実際は体育会系らしく、俺のことを「先輩」と呼ぶ。

 彼女を作ろう、と決心した瞬間、自分の目の前に女性が現われた。それも、割と可愛い。気立てだって悪くない。さて、俺はこの後どうしたか。

「佐々木さん! 俺と付き合って!」

 何も考えず、勢いのみで佐々木さんに告白したのである。前置きも何も無く、いきなりの交際申し込みだ。冷静に考えたら、意味不明である。しかし、このときの俺は掛け値無しに本気だった。本気で、佐々木さんと付き合うつもりで力強く告白をしたのだ。

 これに対する佐々木さんの答えは、大変にシンプルであった。

「嫌です」

 見事玉砕である。この間、僅かに二秒足らず。自慢ではないが、新記録だ。俺はこの瞬間、最短失恋記録の自己ベスト(ワーストかもしれない)を更新した。