■青あおとした青 09■


 大和は、俺たちが座っている場所の、数段上で立ち止まった。こちらは座っている上に、下の段から彼を見上げる格好になるので、大和が一段とでかく見えた。 大和は無言でこちらを睨みつける。その眉間には、物凄い勢いでシワが寄っていた。うわキレてる。めっさキレてる。  

  彼はそのまま俺たちを追い越して立ち去る……と思いきや、突然俺の手を引っ張った。

「う、えっ?」

 全く予想していなかったので、身体が大きく傾いで転びそうになった。それでも大和は構わず、ほとんど俺を引きずるようにしてズンズン歩いていく。

「ちょお! 何やねんな!」

 叫びながら、もしかしてこいつは、高野と俺のことを何か誤解したんじゃないだろうか、と思った。放課後に階段で男女が並んで座り込んでる、なんて、怪しい雰囲気に見えたのかも。そうならば、どうにかして誤解を解かなければ。

 何がなんだか分からない内に、自分たちの教室に連れて来られた。教室の中は、誰もいない。傾いた陽の中で、蝉の声だけが響いていた。蝉の声が容赦なく耳に突き刺さって、俺は顔をしかめた。

 教室の扉を閉めて、大和は俺と向かい合った。電気のついていない教室は薄暗くて、全く知らない場所のように見える。 情けない話だけれど、このときの大和がやたらと真剣で、かつ、かつてない勢いで怒っている様子だったので、正直言って俺は少々びびっていた。屋上で相対したときも彼は怒っていたけれど、ここまで迫力はなかった。オネエでドMの癖に、何でこんなに威圧感があるんだ。

「……何か、高野と、良い感じだった」

 憮然とした口調で、大和が呟いた。ああやっぱり誤解してる、と俺は頭を抱えたくなった。

「いや、違うねんて、それは」

「泉って呼ぶとか、真奈って呼んでいいよ、とか」

 またお前は人の会話を聞いてたんかい、と頭の隅でちらっと考えたら、大和は面白くなさそうにこう付け加えた。

「……今度は、立ち聞きじゃないから。歩いてたら、その部分だけたまたま聞こえただけだよ」

「あ、ああ、そう」

 俺は視線を泳がせながら頷いた。一瞬、心の中を読まれたのかと思った。

 どうやって分かってもらおう、と頭の中で画策しつつ言葉を探していたら、意を決して、という風に大和が口を開いた。

「いっちゃん、高野のこと好きなの?」

  その切羽詰まった様子に、ああこいつはやっぱり高野のことが好きなんだな、と思った。高野と喋って若干上がっていたテンションが、急速に落ちてゆくのが自分でも分かる。

「……そんな心配せんでも」

 俺は、大和に掴まれていない方の手で、彼の肩をぽんぽんと叩いた。

「高野のことは、頼れるいい姉ちゃんやと思うけど、別に恋愛感情ではないし」

「ほんとに?」

 今日の昼休みの俺だったら、ここで、ほんまやって言うてるやろ! などと怒鳴ってしまっていたかもしれない。だけど今は、高野に話を聞いてもらって気持ちが落ち着いているし、大和の形相があんまり必死なので、あまり感情も大きく動かない。

「大丈夫、ほんまやから」

 と、静かに言えた。

「それじゃ、高野に告られたりしたの?」

 大和の発言が急に飛躍したので、俺は思わず素で「はあ?」と言ってしまった。しかし、彼は至って真面目な顔をしている。

「いや、何で? 何でそうなんの? 何であの人が、俺に告んの?」

「だって、いっちゃんて、高野が好きなタイプだから」

 今度は吹き出しそうになった。真剣な顔で、何を言い出すんだこいつは。

「いやいやいや! 違うやろ! お前、普段何見てんの? 高野が好きなんは、お前やろ?」

 呆れ返ってそう言うと、今度は大和が「はあ?」と顔をしかめた。

「何、いっちゃん。石橋の言うこと、本気にしてんの? 高野が、俺のこと好きなわけないじゃん」

「何でやねん。どう見ても、お前のこと好きやんけ。高野、お前と喋ってるときはいっつも、お前の目ェめっちゃ見つめてるやん」

「そんなん、高野は誰と喋るときでも、目ェ見て喋ってるよ」

 嘘つけ、と言おうとしたが、脳裏に高野の揺るがないあの目が蘇って、口をつぐんだ。そういえば、彼女は俺と話しているときも、じっとこちらの目を見ていた。

「いやでも……明らかに、他の奴らよりもお前と仲良くしてるやんけ。特別って感じするやん」

「昔から知ってるから、遠慮ねえだけだって。だってあいつ、俺みたいなのタイプじゃねえもん。小柄でかわいい子がいい、って言ってたし。いっちゃんじゃん。それ、超いっちゃんじゃん」

「何で、それが俺になるねん。つうかそんなん、テレ隠しで言うてるだけに決まってるやろ! 高野が好きなんは、お前やっちゅうねん!」

 俺はついつい、声を荒げて主張した。そうしたら向こうも、ムキになって反論してくる。

「ガキの頃から知ってんだから、あいつが俺のこと好きなら、流石に気付くっつの! ぜってえ俺じゃない!」

 俺たちは何故か、高野が好きなのは俺じゃなくてお前だ、ということで言い争っていた。その論点は、何かがおかしくないだろうか。

「……いや、あの、だからな。ほんまに、良い感じになってたとか、そんなことは全くなくてやな」

 この言い争いが不毛だと気付いた俺は、事態を収束させるべく、淡々と事実を述べることにした。

「お互い下の名前を呼ぼうぜ、みたいな話してたじゃん」

 大和はまだ譲らない。こいつもしつこい男だ。そんなに高野を名前で呼びたいんなら、呼べばいいじゃないか。

「ちゃうねんて。高野には、相談に乗ってもらってただけで」

「相談? 何の?」

 聞き返されて、俺は言葉に詰まった。しまった、余計なことを言わなければ良かった。だけど、ここで隠したり誤魔化したりしたら、彼の誤解を解くことが出来ないかもしれない。それにほら、アレだ。コミュニケーションは気持ちだ。自分のことを、相手に理解してもらおうとしないと。高野姉さんのお言葉を、今こそ実践すべきだ。俺は意を決して、口を開いた。

「……俺が東京に馴染めへん、って話してたら、高野も最初はアメリカ無理やった、って。そんで、コミュニケーションは気持ちが大事とか、意外と考えすぎやったりするから気にすんなとか、そういうアドバイスを頂いてただけやねんけど」

 言いながら、俺はめちゃくちゃ恥ずかしくなった。改めて、俺かっこ悪い。

「だからほんまに、お前が思っているようなことは何も」

 これで誤解も解けただろう。そう思って大和の顔を見上げたら、彼の表情は依然険しいままだった。

「何だよ、それ……!」

 大和は、絞り出すような声で言った。

 え、何で? 何でこの人、まだキレてんの?  俺は全く理解が出来なくて、焦ってしまった。これでもまだ誤解されるようなら、もうお手上げだ。

「何で、俺に言ってくんないの……」

 苦しそうに、大和は言った。俺は、ハッとしてしまった。

「そんなの、俺に言って欲しかったよ。そのアドバイスも、俺がしたかった。そういう相談して欲しくて、ずっと待ってたのに」

 俺は、昼休みの屋上での会話を思い出した。彼に『東京の何が嫌なの』と聞かれたとき、俺はなんと返した?

『お前には言いたくない』

 そう言った。しかも、自分でもどうかと思うくらい、嫌味な口調で言った。

 最悪、だ。 違うんだ、あのときは俺も訳が分からなくなっていて、目に映るもの耳に入るもの全てが自分への悪意に思えて、もう駄目だったんだ。

 そう思うが、上手く言葉にすることが出来ない。