■青あおとした青 07■
慌てて通話ボタンを押し、電話を耳に当てた。
『もしもし、泉?』
「亮太!」
久々に聞く友人の声に、思わず泣きそうになってしまった。
『うっわ、めっちゃ久し振り! あ、今大丈夫やった?』
「おお、余裕で大丈夫。うわあ、ほんま久し振りやなあ! どうしたん」
『いや、今みんなで、泉どうしてるんかなあって話しとってさ』
そのとき受話器の向こうで、ガチャガチャッと大きな音がした。
『俺にも貸せや』
『俺も俺も』
『今俺がしゃべっとんのやんけ!』
と、言い争う声がする。誰の声かはすぐに分かる。雅史と健だ。二人セットで、トミーズと呼ばれていた。亮太と俺とトミーズで、大阪ではいつもつるんでいた。
『あ、もしもし? ごめんごめん、トミーズに電話取られそうになった』
亮太の声が戻ってきた。大阪弁のイントネーションを聞けるだけでも嬉しい。
「あはは、ええよええよ。お前ら、相変わらずやなあ」
『おお、全然変わってへんでー。あ、でも、雅史が彼女作りやがったぞ。別の学校の子やねんけど、えっらい可愛い子でさあ』
「マジでかよ。死ねって言っといて」
『雅史、泉が死ねって』
電話の向こうで、トミーズが大笑いする気配がした。ああ、いいなあ。いいなあ、この空気! 何も考えず喋ることが出来る。どうして俺は、ひとりだけ離れた所にいるんだろう。
『泉はどうなん。標準語になってへんやろうな。ナントカじゃん、とか言うようになってたら、マジしばくで』
「言うかあ! こっちでもめっちゃ大阪弁でゴリ押ししとるっちゅうねん」
『あっはは! ていうかお前が東京暮らしとか、何か有り得へんわ』
「ほんま有り得へんっちゅうねん。……もうさあ、ちょっと本気で大阪帰りたい」
『え、何、そっちで何かあったん』
亮太が心配そうに尋ねてくるので、俺は慌てて「いやいやいや!」と否定した。相手に見えるわけでもないのに首を思い切り横に振っていた。
「そういうわけでは全然ないねんけどさ、でもやっぱ……大阪のがいいわ。梅田行きたいー。アメ村行きたいー」
そう言うと、亮太が『ホームシックかよ!』と声をあげて笑ったので、俺はちょっとホッとした。危ない危ない。あいつらに心配かけるところだった。
それからしばらく、俺たちはどうでもいいような雑談をした。昨日見たテレビの話だとか、プロ野球の結果とかそんな話を。そういう話をしていると、自分は今大阪にいるんじゃないかと錯覚してしまいそうだった。
『あ、もうすぐチャイム鳴るやんな。そんじゃ泉、また電話するわ』
気が付けば、三十分以上話し込んでいた。名残惜しさが胸にこみ上げる。
「あ……うん、そやな。俺もまたメールとかする」
『うん、そんじゃまたな』
受話器の向こうから、『じゃあなー!』『また大阪にも来いやー!』というトミーズのがなり声が聞こえてきた。俺は泣きそうになった。
いやや、切らんといてくれ! ずっとお前らと喋ってたい!
そう叫びたかった。だけど、無情にも電話は切れてしまった。どうしようもなく、絶望的な気分になる。いつまでも未練がましく、通話の切れた携帯電話を見つめてしまう。
「……大阪の、友達?」
背後から声がして、俺はビクッと肩を震わせた。振り向くと、大和が立っていた。
何でこいつがここに? いつからいた? 何で?
すっかり動揺してしまった俺は、咄嗟に返事をすることが出来なかった。
「何だよ、そんな風に笑えるんじゃん」
やや不服そうに、大和は言った。俺はムッとして顔をしかめる。
「聞いてんなよ」
舌打ち混じりにそう言って、携帯電話を閉じた。
「聞くつもりなかったけど、聞こえたんだもん。あんな楽しそうに喋るいっちゃん、初めて見たからびっくりした」
俺は返事をしなかった。食いかけの弁当箱を荒々しく閉じて、立ち上がる。そのまま大股で大和の横を通り過ぎようとしたら、物凄い力で腕を掴まれた。
「いった……。何やねん」
「話、まだ終わってないじゃん」
「あ? 何の話があんねん」
「さっき、大阪に帰りたいって……。そんなに東京が嫌?」
俺は思わず、鼻で笑ってしまった。
「おうよ。ほんま、今すぐにでも帰りたいくらいやわ」
すると、向こうもムッとしたように眉を寄せる。
「何だよ。何が、そんなに嫌なんだよ」
「お前には言いたくない」
「うわ、その言い方、ムッカつくわあ……」
俺も、大和のその言い方にイラッとした。久々に亮太たちと喋って楽しかった気持ちが瞬く間に萎えて、黒々とした思いが胸の中に広がってゆく。
「勝手にムカついとったらええやんけ」
俺は大和の肩をドンと突いて、今度こそ大和の横を通り過ぎた。
「待てよ!」
大和の静止を振り切る為に、俺は走った。
人の電話を立ち聞きしといて、あの態度は一体何なんだ。腹の中が震える。本気で腹が立った。大阪の友達と喋っているときの、無防備な自分を見られたことにも、それで何やら怒っているらしい大和にも、彼に対してはとことんまでに感じの悪い自分にも、とにかく全てに腹が立つ。
ああもう、むかつく! むかつく! むかつく!
俺はカッカしながら、教室に戻った。教室内は相変わらず和やかで騒がしく、お前らは何がそんなに楽しいねん、と、それにもまた腹が立った。駄目だ。今は、何を見ても腹が立つ。
荒々しく席に着いたら、隣の席の女子が驚いたようにこちらを見た。それにも臓腑が熱くなる。目の前に大和の机があるのが嫌で嫌でしょうがなかった。
くそ、何でこんな席近いんやろ。あいつ、帰って来んかったらええのに。
そう願うも、ほどなくして大和が教室に戻ってきた。俺は舌打ちをしつつ、窓の外を見る。大和は何も言わずに、席についた。気温は高いはずなのに、俺と大和の周りだけ空気が冷えていた。
大和と一言も喋らず、目も合わせないまま授業が終わった。俺はホームルームが終わった瞬間、鞄を掴んで教室を出た。胸がムカついてしょうがない。
あまりにも腹が立ちすぎて、すぐには帰る気になれなかった。俺は気を紛らわせるために、意味もなく校内をウロウロした。図書室に行ったり、裏庭の池を眺めたり、炎天下のグラウンドで死にそうな顔をして練習している、運動部の連中を横目で見ながら歩いたり、校舎内を歩き回ったりした。全く気分は落ち着かず、その間中、ずっと俺はイライラムカムカしていた。
もう嫌だ! 嫌だ! ぜんぶ嫌だ!
相変わらず、けたたましく蝉が鳴いている。うるさい。騒音に、胃が締め付けられる。 俺はたまらなくなって、階段の踊り場にしゃがみ込んだ。ぐるぐると目の前が回る。何でも良いから、叫びたい衝動に駆られた。
鞄の中から、携帯電話を取り出す。誰でも良いから、自分のことを理解してくれる人と話がしたかった。咄嗟に、亮太やトミーズの顔が浮かぶ。あいつらなら、きっと分かってくれる。
声が聞きたい。心配かけてしまう。こんな無様な自分を知られたくない。話を聞いて欲しい。
様々な感情が交錯して、頭がクラクラする。
だけどもう耐えられなくて、亮太の携帯に電話をかけた。でも……出ない。
「何でやねん……」
弱々しく呟いて、次は健に電話をかけた。留守番電話センターにおつなぎします。震える指で、今度は雅史。留守番電話センターに以下略。
そういえば、雅史には彼女が出来たんだっけ。可愛い子だと言っていた。亮太はバイトが忙しいし、健は他の友達と遊んでるんだろう。あいつらにはあいつらの人間関係があって、俺抜きでも上手くやっているんだ。
俺は頭を抱えた。真っ黒な気持ちだった。軽音部の下手くそな歌声、野球部の掛け声、蝉の声、全部が別世界の音のように聞こえる。自分は今、正に一人なんだと思った。
この孤独。
孤独!
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