■青あおとした青 05■


 結局俺は、高野のお帰り会の参加メンバーに、きっちり加えられてしまっていた。あのとき頷いていなければ、と何度後悔したか分からない。そしてどうも高野がそのお帰り会をめちゃくちゃ楽しみにしているらしく、断るのも難しそうだった。曰く、

「クラス全員で、ってのが嬉しいよね!」

  とのこと。そう言われると、ますます断りづらい。俺の胸はずっしりと重くなった。

  大和に八つ当たりをしてしまった一件の後、大和の態度は全く変わらない。いつものように軽くてゆるくてオネエっぽくてドMだ。だけど俺は、あのときことが胸に引っかかり続けていた。こんな状態で、クラス全員参加の宴会に行くなんて嫌だ。無理だ。頼む勘弁してくれ。  

……なんて思っていたら、当日、日曜の朝、なんと俺は熱を出した。 三十七度七分。文句なしの数値だ。この奇跡に、俺は思わず拳を天に突き上げてガッツポーズをした。

  やった。これで堂々と、後ろめたさを感じることなく欠席することが出来る。だって本当に熱があるんだから、仕方ないじゃないか。うん、仕方がない。

 俺は早速、幹事である石橋に電話をかけた。メールだと嘘っぽくなりそうだから、電話だ。

「あ、もしもし……石橋?」

『うわっ、オオサカ、その声どうしたんだよ!』

 良い具合に声がガラガラになっていたので、より一層説得力を生むことが出来て、俺は大満足だった。

「ごめ……風邪引いた……」

 口調がウキウキ弾んでしまいそうになるのをどうにかおさえて、弱々しい調子で言った。

『うわあ、マジかよ。酷そうじゃん。そんじゃ、今日は無理だよな……』

「うん、マジごめん……」

『や、しゃあねえよ。みんなには言っとくから、早く治せよ』

「ありがとな。みんなによろしく言うといて」

 そう言って、俺は電話を切った。

「っしゃあ!」

  と、もう一度ガッツポーズをして布団をかぶった。頭がガンガンするし喉は痛いし咳も出るけれど、幸せな気分だった。それほどまでに、お帰り会に参加せずに済んだことが嬉しい。大和に会わなくて済むことが嬉しい。

 ……高野には申し訳ないような気もするけれど、でも正直、俺がいてもいなくても変わらないだろうし。

 咳、頭痛と戦いつつ、うとうとしたり漫画を読んだりして過ごしていると、おかんが部屋にやって来た。

「泉、お友達がお見舞いに来てくれたで」

「は?」

 おかんが何を言っているのか一瞬理解出来なくて、俺は顔をしかめた。怪訝に思って身体を起こしてみると、おかんの背後に何やら長い人影が見えた。まさかと思って、目を凝らしてみる。やっぱりそれは、大和勇一だった。

 は? 何で?

 熱で鈍った頭の中が、疑問符でいっぱいになる。いや、何でこいつがおんの?  熱が見せる幻覚だと思いたかった。だって、折角熱を出してお帰り会を回避したのに。こいつと遭遇せずに済んだと思ったのに。今日だけは面倒な人間関係から、逃げられると思ったのに!

「あ、中入っても大丈夫ですか」

「どうぞどうぞ」

「わーい、ありがとうございまーす」

 大和はおかんと和やかに言葉を交わし、俺の意見は全く聞かずに、ずかずかと部屋に入って来た。よく見たらおかんは麦茶を持って来ていて、 「大和くん、これ飲んでね」  なんて言いながら、俺の机の上にコップを置いた。いやいや、茶なんか出さんでええっちゅうねん、と言いたかったが、舌が動いてくれなかった。大和は人なつこい笑顔で、 「ありがとうございまーす」 と、おかんに礼を言った。

 おかんが部屋から出て行って、大和は未だ呆然としてる俺と目を合わせて微笑んだ。

「おはよー、いっちゃん。風邪引いたって? 大丈夫? あ、これお見舞い」

 そう言って大和は、コンビニの袋を差し出してきた。受け取ると中身は、プリンとポカリと漫画週刊誌だった。

「……いやいや、いやいやいや」

 俺は首を横にぶんぶん振った。風邪とは違う頭痛に、頭が圧迫される。

「うわ、いっちゃん。声が超かわいそうなことになってるじゃん。大丈夫? 熱何度くらいあんの」

「いやいや。それはええねん。そんなんはどうだってええねん」

「どうだってええ、てことはないでしょ」

「お前、何でここにおんの」

「え、だからお見舞い」

 何言ってんの、とでも言いたげな大和の顔に、俺はイラッとした。瞬間的に臓腑と脳が沸騰する。だから何でお見舞いに来るねん、とか、何で毎回アポ無しで来るねんとかツッコみたいことは山ほどあったのだが、とりあえず一番大事なことを単刀直入に言うことにした。

「いや、来んなよ。お帰り会行けや」

 現在の時刻は、十一時すぎ。お帰り会の待ち合わせは、まさしく十一時だったはずだ。俺ん家にプリンなんか届けてる場合じゃないだろうに。

 すると何故か大和は、怒ったように口を曲げた。

「石橋から、いっちゃんが風邪引いたって聞いたから、心配になって来たんじゃん。何でキレてんの?」

「別にキレてへんわ。高野のとこ行ったれよ。あの人、今日のこと楽しみにしてたやんけ」

 高野の顔が、頭に浮かんだ。大和と喋っているときの、彼女の弾んだ声や表情が思い出される。

「キレてんじゃん。それに、お帰り会が中止になったわけじゃないんだから、俺が行かなくても別にいいっしょ」

 こいつは何も分かってない。高野は大和が好きなんだから、大和が行かないと意味ないじゃないか。

「キレてへん言うてるやろ。とにかく、今からでも行ってこいや」

 そう言うと、大和は深く溜め息をついた。

「……いっちゃんさ、最近、俺と喋ってたら高確率でキレるのは、何でなの? ここんとこ、こんなんばっかじゃん」

 俺は黙った。聞こえるのは、ミンミンゼミとアブラゼミ鳴き声のみになった。

  ミンミジー。ミンミンミジー。

 地上に出て来て一週間か二週間しか生きられない蝉。これだけ激しく鳴いてるのは、もしかしたら、地中に帰りたいって叫んでいるのかも。

  俺も帰りたい。だって大阪にいるときは、こんなことなかった。こんな風に何をしゃべっても噛み合わなくて、その度に自分のアホさや矮小さが浮き彫りになって、どんどん自分が嫌になっていくことなんて、一度だってなかった。

 俺は頭を押さえた。クラクラする。熱い。熱が上がって来た気がする。

「……お前のせいで、風邪、悪化してきたやん、け……」

 そう言って、俺は身体を倒した。喉が詰まったようになって、スムーズに言葉が出て来ない。

「え、うわ、ご、ごめん!」

 大和はそう言って、俺の額に手を当てようとした。反射的に、俺はその手をはらいのけてしまった。大和が息を呑む気配がする。やがて彼は、傷ついたように目を伏せた。 最悪だ。そんなことするつもりじゃなかったのに。俺はまた、自分のことが嫌いになった。

「……うん、帰るよ。ごめん、いっちゃん風邪引いてんのに、色々言って」

 大和は、俺に背を向けた。何か言わないと。そう思うのだが頭が働いてくれなくて、俺は無意識に、

「大和、お帰り会、行けよ」

 と口走っていた。大和は何も言わず、部屋から出て行った。



 それから俺は、ほとんど気を失うようにして、眠った。嫌な汗をたくさんかき、嫌な夢もたくさん見た。夢の内容は詳しくは覚えていないが、大和がらみであることだけは確かだ。俺は大和といると、どんどん自分が嫌いになる。もう嫌だ。こんなのは嫌だ。夢の中で、ひたすらそう叫び続けていた気がする。



 目を覚ましたら、夜になっていた。熱は若干下がったような気がするが、身体はまだ重い。そして、尋常でなく喉が渇いていた。

  何か飲むものを、と手を伸ばしたら、枕元に放り出してあったポカリのボトルが手に当たった。大和が持って来たものだ。 ちくりと心臓を刺されたような気分になったが、俺はポカリのキャップを開けた。ごぶごぶと飲む。少し口の端からこぼれたけれど、構わず飲んだ。ぬるい、とかそういうことは全く思わなかった。美味い。全身が水に浸ってゆくようだった。

 一気に半分ほど飲んで、息をついた。首をゆっくりひねると、傍らにプリンが転がっていた。封を開け、ビニール袋の中に入っていたデザートスプーンで一口すくって、舌の上に乗せた。柔らかい、何処か懐かしい食感に、ほうっと息を吐き出す。

 それにしても、わざわざ見舞いの品を持ってやって来るなんて、気配りが行き届いているというか、何処か母親チックだ。やっぱり、あいつの心の半分くらいは女なんじゃないだろうか。そう考えると、少し笑えた。

 ……大和は、本当に俺のことを心配して、わざわざ来てくれたんだよな。

 今になってやっと、素直にそう思うことが出来た。なのに俺は、ありがとうのひとつも言わなかった。それどころか喧嘩を売るような物言いばかりして、なんて嫌な奴なんだろう。折角見舞いに来たのに相手に邪険にされて、大和はどう思っただろうか。

 すぐ近くで、携帯がチカチカと点灯しているのが見えた。メールが来ているらしい。プラスチックのスプーンを噛み締める。大和からだろうか。見るのが怖い。それでものろのろと携帯を手にした。

 メール着信は二通。石橋と、高野からだった。大和からは来ていない。ほっとしたような息苦しいような気分になった。

 まず最初に、石橋からのメールを開いた。絵文字だらけで眩しいメールだった。

『オオサカ、風邪大丈夫かー? こっちは盛り上がってますよー』

 そんな文章に、カラオケボックスらしき場所の写真が添えられていた。画面の右の方に、高野と大和が写っている。高野は大和に何かを耳打ちしているようだった。

 ああ、大和、行ったんだ。

 何故か口から、乾いた笑いが漏れた。それからまた喉の渇きを覚えて、ポカリを呷る。

 次に、高野からのメールを見た。

『風邪、大丈夫? 大和が押しかけたって聞いたんだけど……ごめんね、悪化してない? 今日は来られなくて残念。また遊ぼう』

「はは……」

 乾いた笑いが、口を突いた。

「……よくご存知で。めっちゃ悪化しましたわ」

 俺は大きく息を吐いた。頭が痛くて涙が出そうだった。