■青あおとした青 03■
月曜日。教室に着いた瞬間、ニコニコしながら大和が寄って来た。
「いっちゃん、おはよー」
手を振る仕草が、やっぱり何処か女っぽい。そういう印象を一度持ってしまうと、もう大和がオネエにしか見えなくなってくる。身長百八十オーバーのオネエって、何かすげえな。我慢することが出来なくて、俺は小さな声で笑った。
「えっ、何。何でいっちゃん笑ってんの。もしかして寝癖ついてる?」
そう言って大和は、髪の毛をしきりに触る。俺は「や、別に」と言って、また笑いがこみ上げてきそうになるのを、咳払いしてやり過ごした。
そんな会話をしながら席についたら、今度は石橋が俺たちの方にやって来た。
「大和、オオサカ! 何だよ、土曜はふたりして欠席なんてさあ。次は来いよ、な!」
大和は「分かった分かった」と頷く。俺は笑って誤魔化した。
「そういえばさ、大和。高野っていつ帰ってくんの?」
思い出したように、石橋が大和に尋ねた。高野。聞いたことのない名前だった。俺が聞いても分からない話のようだったので、頬杖をついて窓の外に視線をやった。男子生徒の塊が、グラウンドを横切ってプールへと向かって行くのが見えた。ええな、プール。今日は殊更暑いから、気持ちが良さそうだ。
「ああ高野ね。来週っぽいよ」
大和が答える。こいつにしては珍しく、ややぞんざいな口調だった。
「おーもうすぐじゃん。大和、まめに連絡取ってんの?」
「いや、たまにメールするくらいだよ」
「ラブラブだよなあ、お前ら」
石橋の甲高い笑い声に、俺はほんの少しだけ耳を傾けた。
……何だ、高野ってのは女?
横目でちらっと大和の顔を見る。奴は眉をしかめて、手を振った。
「無い無い。そんなんじゃねえって」
「ええー、うっそだあ。……まあいいや、高野が帰って来たらお帰り会しようぜ。そんときは、オオサカも来いよ。絶対な!」
「え……いや、高野って誰すか」
そう言って、石橋の方に顔を向けた。彼は、「あれ?」なんて言って大きな眼をしばたかせる。
「あ、そっかオオサカは知らないんだっけ。高野ってのは、大和の彼女で」
「だからあ、違うってのに」
大和が、不服そうに口を挟んでくる。
「あれっ、マジで違うの?」
「マジ違うって。家が近い男女は全部カップルかよ」
「でもさあー」
「いやだから、高野って誰やねんな」
いい加減焦れた俺は、少々語気を強くした。そうしたら、石橋がたじろいだように「そ、そんな怒んなくていいじゃん」と口をもごもごさせる。
胸の中が、一気に冷えてゆく感じがした。俺は別に怒っていない。大阪弁って、そんなにキツく聞こえるのだろうか。めんどくせえ、という言葉が頭の中を転がる。もう、弁明するのも面倒くさい。
「え、別に怒ってないよな、いっちゃん」
俺の顔を覗き込むようにして、大和が言った。それを聞いた石橋が、「あ、そうなの?」と首を傾げる。
「……怒ってへんよ」
大和に代弁されてもムカつくな、と思いながらも俺は頷いた。
「何だあ、そっか! 良かったあ! いやあ、びびっちゃったぜ」
石橋は、ほっとしたように声をあげる。それから、嬉々とした様子で高野という人物の説明を始めた。
「高野……高野真奈って言うんだけどさ、交換留学で去年の一月からアメリカ行ってんの。俺と大和は去年高野と同じクラスでさ、そんで、大和は高野と幼なじみなんだよな」
「家が近いだけだけどね」
「素っ気ない言い方してるけど、ほんと仲良いんだぜ」
「もういいってのに」
大和は、呆れたように息を吐いた。石橋が喋ると脱線するからか、そこから先は大和が引き継いだ。
「で、その高野が来週、日本に帰って来んの」
「へえ、こんな中途半端な時期に?」
「ホームステイ先の都合らしいよ」
「そんで、何処のクラスなん?」
「うちのクラスだよ。名簿にも何気に名前載ってるよ」
「ふーん、全然知らんかった」
俺がそう言うと同時に本鈴が鳴ったので、石橋は慌ただしく席に戻って行った。大和も自分の席……すなわち俺の前の席に腰を下ろす。
高野。高野真奈。大和の幼なじみで、傍から見たらラブラブらしい。何だ、好きな相手は秘密、とか勿体ぶってたけど、順当にその高野のことが好きなんじゃねえの。
そんなことを考えながら大和の背中を見ていたら、急に大和がこちらを振り向いたのでびっくりしてしまった。
「石橋が訳分かんないこと言ってたけど、ほんと高野は家が近いだけだから」
お前は俺の心の声を聞いてたのか、と思った。
「はあ、そう」
俺は気のない返事をした。そうとしか言いようがない。高野に会ったこともないし。というか別に、いいじゃないか高野とラブラブでも。結構なことだと思う。
……それから一週間後、教室に入ったら何やら人だかりができていた。教室内がいつもの二倍くらい騒がしい。何やこれ、と思っていたら後ろから肩を叩かれた。
「いっちゃん、おっはよー」
大和の声だった。俺は振り向きながら、「何事なん、これ」と尋ねた。大和は、ああ、と頷いてから、
「高野が帰って来てんじゃない」
と言った。
「ああ、アメリカからの帰国子女の」
そこまで言ったところで、人だかりの中心から「大和!」と大きな声がした。ひとりの女子が、大きな紙袋を持って大股でこちらに歩いてくる。見たことのない顔だったので、彼女が高野真奈なんだろうと思った。
高野は背が高かった。俺と同じくらいの身長に見えるので、多分百七十センチ前後はあるだろう。髪が長く、細身なのに胸がドカンと前にせり出していて、すげえ、とガキのように感嘆してしまった。
「久し振り! うわっ、やだ、また背が伸びたんじゃない?」
高野は大和の身長を見上げて、眩しそうに目をぱちぱちさせた。
「よ、久し振り。高野は髪が伸びたなー」
大和は笑って手をあげる。俺は大和と高野を交互に見た。これが噂の幼なじみか。ラブラブか。
「それよりもさ、昨日電話したのに、何でずっと話し中だったのよ。お土産、先に渡そうと思ってたのに」
高野の声はハキハキしていてよく通った。顔立ちは、美人かと問われたらそうでもないかもしれないけれど、全体的にパーツがクッキリとしていて意志が強そうに見えた。こういう顔、なんて言うんだっけ。そうだ、凛々しい、だ。高野はとても凛々しかった。
「えー、だって昨日は珍しく、いっちゃんが電話に出てくれたから。な?」
大和はそう言って、俺に同意を求めてきた。いや。な? と言われても困る。確かに昨日は、こいつからの電話に出たけれども。 大和はちょいちょい俺に電話をしてくるけれど、ほぼ百パーセント用事も中身もない電話だから、無視することが多かった。だけど昨日は、たまたま物凄く暇で暇でしょうがなかったから電話に出た。そして雑談に付き合った。
けど、それを今言うなよ。高野からの電話にお前が出なかったのは、俺のせいみたいになるじゃないか。
「いっちゃん?」
高野が首をかしげる。俺はこっそり、大和たちから離れて席につこうとした。そうしたら、大和に腕を掴まれた。
「そう、いっちゃん」
こいつこいつ、とでも言いたげに大和は俺の腕を持ち上げる。高野の強い目がこちらを見る。同じ高校生のはずなのに、キャリアウーマンみたいな空気を持った少女だった。アメリカ帰りだと思うから、そう感じるのだろうか。
「彼は、うちの学年? あ、転校生?」
「そうそう、四月に大阪から転校してきたんだよ。前田泉」
大和が、そう紹介する。
「ああ、オオサカって君のことなんだ」
高野は、合点が行ったように頷いた。俺は溜め息をつきたくなった。誰だ、彼女にそんなどうでもいい話をしたのは。石橋か。石橋だな。ああ、またここに、俺のことをオオサカ、だなんてしょうもないあだ名で呼ぶ人間が誕生するのか。
「高野真奈です、よろしく。大和とは家が近所で腐れ縁なの」
そう言って、高野はにこっと微笑んだ。笑うと彼女のきっちりとした感じが少しほどけて、年相応の顔になった。
「あ、どうも。前田泉です」
俺は、ぎこちなく会釈した。
「それじゃ、前田にもお土産渡しとくね。あ、あたし、アメリカに留学してて、昨日帰って来たの」
高野はそう言って、紙袋をごそごそやり始めた。そんな彼女を見ながら、俺は少し驚いていた。 前田って呼ばれた。オオサカって呼ばないんだ。
物凄く久々に、同世代から本名で呼ばれた気がする。何だか新鮮だ。
「高野、俺のは?」
大和が高野の紙袋を覗き込んで、手を出そうとした。彼女は、
「あんたのは後。前田が先」
と言って、その手をぴしゃりと払う。
「はい、これ」
高野は笑って、俺にスナック菓子の袋を差し出した。原色バリバリで、派手なパッケージだった。
「え、これ、ええの?」
戸惑いつつも、それを受け取る。
「うん、勿論。お近づきのしるしってことで」
高野は笑い、それから大和の方に向き直った。
「そんで、大和のはこれね。で、これとこれがおばさんので、これがおじさんの。この紙袋ごと持って行って。あ、重いから気を付けてね」
「ちょ、多いっつの……! 何で今、一気に渡すんだよ。しかも、ほんとにめちゃくちゃ重いし」
「だから、昨日渡そうと思ったのに、あんたが電話出ないのが悪いんじゃない」
「だったら今日、家まで持って来てくれりゃいいじゃん……」
「今日は学校終わったら直接、横浜のおばあちゃん家に行かなきゃなんだもん」
「ああ、ばあちゃんな。こないだスイカもらったわそういえば。ついでにお礼言っといて」
「はいはい。ていうか、あんたも来たら?」
「え、いいよ。ばあちゃん、久々に孫に会えるんで楽しみにしてんだろ? 俺が行ったら邪魔になっちゃうじゃん」
そのままふたりは、その横浜のおばあちゃんとやらの話を始めたので、俺はそっと彼らの側を離れて自分の席に向かった。机の上に鞄と米国産スナック菓子を置きながら、何や普通に仲いいやんけ、と思う。
俺はちらりと、大和と高野の方を見た。まだふたりは話し中だった。それも楽しそうに。その姿は、どう見ても仲の良いカップルにしか見えなかった。
しかも、高野は大和の目をじっと見つめながら喋っている。熱い視線、というのだろうか。とにかく、見ているこちらが恥ずかしくなるくらい、彼女は大和の目を凝視していた。
何が、家が近いだけで何でもないから、だ。少なくとも、高野は大和のこと好きなんじゃないか。そりゃ、石橋も冷やかしたくなるという話だ。アホらしい。
俺は目を細めた。本当に、こいつらは付き合ってないんだろうか。例え付き合ってないとしても、時間の問題なんだろう。
きっと、大和と高野は付き合う。 そうなったら俺、一人になっちゃうな。あーあ。
……そこまで考えて、はたと我に返った。ちょっと待て、前田泉。お前は今、何を考えた?
一人になっちゃうな、って。しかもちょっと、それでテンションが下がらなかったか?
己の思考が信じられなかった。一人になっちゃうな、て。何よそれ。ええやん別に。だってもう、俺は東京に馴染むのは諦めていて、一人になったって構わないと思っていたはずだ。あと一年半は適当に耐えて、大学受験を機に大阪に帰れば良い、と割り切っていたはずなのに。
まさか俺は、実は一人になることを恐れていたのか? ずっとくっついてくる大和のことを少しウザイとか思いつつ、本当は彼を頼りにしていたのだろうか。
まさか、まさか!
俺は呆然としてしまった。一瞬でも、そんなことを考えてしまった自分が許せない。 いや、平気だよな? 大和と高野が付き合ったって、別に俺には関係ないよな?
そう自問してみたら、腹の中と肩胛骨あたりがザワザワして寒くなってきた。
何やこれ。
何やこれ!
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