■青あおとした青 02■


 土曜日、俺は何をするでもなく、真っ昼間から部屋の中でボーッとしていた。

 石橋からのカラオケの誘いは、昨日の内に断ったので、今日は一日特にすることがない。 家には誰もいない。大して面白いテレビ番組もやっていないし、読みたい本も雑誌もない。暇だ。

  特に用事もないのに、携帯を開く。そして意味もなく、メールセンターに問い合わせをしてしまう。受信ゼロ件。大阪の友達連中の顔が浮かぶ。何やねんあいつらメールして来いよ、なんて身勝手なことを考えた。

  こちらからメールしてみようか……と、俺はキーに指をかけた。しかし、待てよ。最後に、あいつらにメールしたのはいつだっけ。そうだ、一昨日の夜だ。あんまり頻繁に連絡するのも、どうなんだろう。こっちに友達がいないことがバレバレで、それはそれできまりが悪い。  俺は、携帯電話をベッドの上に投げ出した。

 あいつら何してんのかなあ。みんなで遊んでんのかなあ。東京来て三ヶ月も経つのに、こんなこと考える俺って気持ち悪いかなあ。気持ち悪いかも。

「三ヶ月か……」

 ベッドに寝転がって、ぽつりと呟いた。まだ三ヶ月しか経っていないのか。大阪にいるときの一年はあっという間だったけれど、東京では一分一秒が長く感じられる。ああ、大阪が恋しい。

「……あかん。何か食おう」

 そして気分を変えよう。そう思って、立ち上がった。クーラーを点けているので部屋の窓は閉め切っているが、それでも外の蝉の声がうるさく響く。何をそんなに喚いとんねん、と、俺は窓の外を見た。蝉は庭の木にでも止まっているのだろうか。姿は見えないけれど、鳴き声は結構なボリュームだ。

 部屋を出る。外の熱気が全身に絡みついてきて、非常に不快だった。顔をしかめながら階段を降りていたら、ドアホンが鳴った。急ぐのも面倒くさいので、のろのろと歩いて玄関に向かった。もしも大事な用事なら、多少待たせても相手は帰らないだろう。

「はい、なんすか」

 気のない声でそう言ってドアを開けると、見知った顔が視界に入った。

「やっほう、いっちゃん」

 大和だった。予想外の訪問者に、俺はのけぞりそうになってしまった。 大和は、ニコニコ顔はいつも通りだったけど、私服なので少し印象が違って見えた。学校以外でこいつに会ったことがなかったので、私服姿を見るのも初めてだ。 大和はおしゃれだった。というか、多少調子に乗ってる感じの服装だった。何、そのピンクのTシャツ。無駄にかっこいいバックルにスニーカー。そういう服は、もっとイケメンが着てこそやろ、と胸中で呟く。

「ていうか……何してんの、お前。カラオケ行くんちゃうの」

「いっちゃん来ねえって聞いたから、やめた」

 歯を見せて笑う大和に、俺は顔をしかめる。

「うわ、何それ感じ悪っ」

 考えるより先に、言葉が出た。

「何で感じ悪いんだよ」

「だってお前、行くって言ってたやん。それをドタキャンってお前」

「いっちゃんもドタキャンじゃん?」

「いや、俺は最初から、行けるかどうか分からん、って言ってたし」

「石橋たちは、別にこんくらいじゃ気ィ悪くしねえって」

「……ああ、そう」

 俺は大和から目をそらして、小声で言った。

「そんなわけだからいっちゃん、中入ってもいい? 外あっついわ」

「え? いや、つうかお前、何で俺ん家知ってんねん」

「学校でもらった住所録があるじゃん」

「それを見て、わざわざ家まで来ようと思う神経が気持ち悪いわ」

 本心からそう言ったのに、何故か大和は楽しそうにアハハと笑った。

「いやいや、アハハじゃなくて。本気で引いとんのやぞ」

「まあ、いいじゃんその辺は。いっちゃんも暑いっしょ、中入ろうって」

 そう言いながら、大和は勝手に扉を大きく開いて玄関の中に入って来た。

「おっじゃましまーす!」

 大和はさっさと靴を脱ぐ。俺は諦めた。玄関への侵入を許した時点で負けだ。というか大和の言うとおり暑すぎて、追い返すのも面倒くさい。

「いっちゃんの部屋、何処? 二階?」

「二階やけど……」

 俺の言葉が終わらない内に、大和はさっさと階段を上った。おいおい部屋入るんかい、と思ったけれど、何だかもうどうでもよくなってきたので止めなかった。

「あ、何かめっちゃ普通ね」

 部屋の中に入って、大和は開口一番そう言った。俺はその一言にややカチンときて、顔をしかめた。

「何や、阪神タイガースのポスターでも貼っとけば良かったんか? ごめんな、サービス悪くて」

「え、そんなこと全然思ってないよ。ただの素朴な感想じゃん。いっちゃん、何で微妙にキレてんの」

 大和はぱちぱちと目を瞬かせる。俺は返事をしなかった。心の中で、うっさい、と吐き捨てるだけにしておいた。

「いっちゃん、今何してたの?」

 大和は勝手に、ベッドに腰を下ろす。

「特に何も」

 うっかり、正直に答えてしまった。言ってしまってから、後悔する。何か適当な用事を作れば良かった。だるいからカラオケに行かなかったことが、バレバレじゃないか。いや、こいつが家まで来るってことは、既にその辺は見抜かれているのか?

 俺は己の失言にしばし打ちのめされたが、大和はあまり気にしていない様子だった。ふーん、とかそんな適当な相槌を打ちつつ、

「卒業アルバムとかないの?」

 なんて聞いてくる。俺は追求されなくて良かった、と少しほっとした。しかし、卒業アルバムを見せろとは。ベッタベタな上に面倒くさいことを言う奴だ。

 中学生活は楽しかった。物凄く楽しかった。今の東京暮らしにいまいちテンションが上がらないのは、中学が楽しすぎたせいもある。高校も、仲の良かった連中はほとんど同じ学校に進学したので、同じように楽しかった。俺はずっと、あいつらと一緒にいたかった。大阪での思い出は冗談でも何でもなく宝物で、他人に踏み込んで欲しくない領域だった。

「卒業アルバムは……あるけど、何処にしまったっけなあ。ごめん、ちょっと分からんわ」

 俺はそう答えた。嘘ではなかった。引っ越してくるときに一気に片付けをしたので、何処にやったのか曖昧なのである。そして今は敢えて、卒業アルバムを探さないようにしていた。だって思い出を見ちゃったら、大阪に帰りたくてどうしようもなくなってしまう。

「ええー何でよー。中学時代のいっちゃん、見てみたいよ」

 だだっ子のように、大和は頬を膨らませた。俺は苦笑いしつつ、手を振る。

「いや、別に変わってへんから。今のまんまやから」

「いっちゃん中学のとき、部活何やってた?」

「俺? 野球」

「えっ、まじで? そんじゃ坊主?」

 大和は何がそんなに嬉しいのか、目をきらきらさせて言った。その勢いに、俺は若干引いてしまう。

「いや……顧問イマイチやる気なかったし、普通にみんな長かったで」

 そう言うと、大和は明らかに落胆した様子だった。

「なんだあ。坊主いっちゃん見たかったのになあ」

「何でそんな、坊主に期待しとってん」

「だって、いっちゃん坊主似合いそうじゃん」

「何や、それは褒めてんの? けなしてんの?」

「褒めてんだよー。あ、そんじゃ、今度俺ん家おいでよ。卒アル見せるよ」

「え……いや、いいよ」

 俺はまた、正直に答えてしまった。駄目だ。自宅だから、微妙に気が緩んでいるんだろうか。

「何だよ、もっと俺に興味持てよ」

 大和が笑いながらそう言ったので、俺はほっとして息を吐き出した。良かった、気にしてはいないらしい。

「ああうん、持ってる持ってる。めっさ興味津々」

「出た。またスルーだよこの人」

「いや、ていうか……なんとなく、お前の中学時代って想像つくし」

「えっマジで? どんなだったと思う?」

「今とおんなじように、チャラかったんちゃうの」

「ちょ、いっちゃん、俺のことチャラいとか思ってたのかよ」

 傷付くー、なんて言いながら、大和は笑う。つられて、俺も少し笑ってしまった。

「そういえばいっちゃんはさ、彼女とかっているの?」

 大和は突然、そんなことを聞いてきた。何と答えようか一瞬迷ったけれど、ここで見栄を張っても空しいだけに思えたので、

「……おらんけど」

 と素直に答えた。じゃあお前は? と聞く前に、大和は「俺もいないよ!」と嬉しそうに手を挙げた。ちょっと意外だった。普通にいそうなのに。そう言うと、

「マジで? おれってそんな、モテるように見える?」

 などと調子に乗り出したので、相手に聞こえるように舌打ちしてやった。

「す、すいません調子に乗りました」

 大和は肩をすくめて謝った。

「……そんじゃいっちゃん、好きな子はいないの?」

「えー、おらんなあ」

 俺は首を傾げた。何だかもう、日々の東京暮らしで精一杯という感じで、誰が好きとか気になるとか、意識出来るほど心に余裕がない。

「ほんとに?」

 疑うように聞き返されて、俺は顔をしかめた。

「ほんとに、って何やねん」

「だっていっちゃん、転校してきてから三ヶ月も経つのに、未だに心に壁を感じるんだもん」

 大和は冗談めかした口調で言って、胸元に手を当てた。俺は、心臓を突かれたような思いだった。  

  ……やっぱりそういうのって、相手にも伝わるものなんや。顔や態度や素振りに出てしまっているのだろうか。俺は無意識の内に、頬に手を当てていた。 不自然な沈黙が流れる。嘘でもいいから、そんなことないよ、とか適当な返事をすれば良かったのかもしれない。しかし、時すでに遅しだ。

 どうして俺は上手くやれないんだろう、という気持ちと、何でお前に分かったような口をきかれんといかんねん、という気持ちがないまぜになって、息苦しくなってきた。

「……お前は、おんの? 好きな子とか」

 これ以上沈黙が続いてもキツイので、俺はそう誤魔化した。すると大和は、これ以上ないってくらいに弾んだ声で答えた。

「いるけどー、でも、ひーみつー」

「そ、そうなん」

 大和の勢いに気圧されて、俺は口の中でもぐもぐと頷いた。彼の、このテンションの上がりっぷりは、一体どうしたことだろう。

「でもいつか、いっちゃんだけにはちゃんと教えてあげるよ」

 そう言って、大和は親指を立てた。

 いっちゃんだけには、ってことは、石橋たちにも教えてないのか。少し意外だった。大和なら、包み隠さず周りに言いそうなのに。というか、好きな子が出来たらすぐ告白してしまいそうなイメージだ。

「そんなら、今教えてや。聞いても多分誰か分からんし、恥ずかしいこと何もないやん」

「ええー。ダーメー」

 大和は嬉しそうに、俺の背中をバシバシ叩く。何でこいつは、こんなに幸せそうなんだ。

「……ていうか大和って、アレやんな。ちょっとオネエっぽいよな」

 ふと気が付いて、俺は言った。大和はびっくりしたように、背筋を伸ばす。

「えっ、何でだよ! めちゃめちゃ男らしいよ、俺!」

 そう言って胸を張り、拳をぐっと握りしめた。それが男らしさのアピールなんだろうか。全然サマになっていなくて、俺は吹き出した。

「いやあ、それでも何かオネエっぽいわ。M入ってる感じもするし」

「いやいやいや、Sだよ俺。ドSだよ。泣く子も黙っちゃう勢いだよ」

 大和は首をぶんぶん横に振って、全力で否定する。だけど、どうにも説得力が感じられない。

「でもお前、俺に関西弁でスルーされんの好き、とか言ってたやん」

「あ、うん。いっちゃんに冷たくされると何か嬉しい」

「ドMやんけ! 気持ち悪いわ!」

 間髪入れずにツッコミを入れると、大和は慌てたように身を乗り出した。

「ちーがうって! そこ例外! 俺のSっぷりを知ったら、いっちゃんもびびるぜ、絶対」

「そんならどの辺がSなのか、説明してや」

「そうだな、例えば……」

 そこまで言って、大和は言葉を切った。

「いや、やっぱやめとく」

「何やねんな」

「もっといっちゃんが遊んでくれるようになったら、教えるよ」

「何やそれ」

「だからまた今度、どっか行こうよ」

「ええー……」

 めんどくせえ、と、口には出さず心の中のみで呟いた。

「何でそんな嫌そうな顔すんのさ。いいじゃん、もっと遊ぼうよ」

「ええけども……」

 渋々承知すると、大和は飛び上がらん勢いで大喜びした。

「絶対な! 忘れんなよ!」

「お、おお……。ていうかお前、何でそんな常にテンションが臨界点なん……」

 正直ちょっとしんどいねんけど、と思いつつ俺は言った。しかし大和には聞こえていないのか、俺の顔を見て「うふふふ」と笑った。その笑い方が女みたいで、不気味さとおかしさが同時にこみ上げてきて、俺はついつい笑ってしまった。笑いながら、大和は変な奴だな、と思った。