■青あおとした青 01■


 とかく、東京は住みにくい。

  何か知らんけどみんなやたらと歩くの遅いし、エスカレーターでは立ち止まるし、巨人戦以外の野球中継はほとんどないし、マクドって言ったらマックって言い直されるし、冗談でしばくぞボケって言ったら本気で引かれるし。

  ああもう、あああもう! めんどいめんどいめんどくさいねん!

  前田泉、十七歳。大阪生まれの大阪育ち。親の仕事の都合で東京に引っ越して来て、三ヶ月が経つ。しかし、びっくりするほど、東京に馴染めない。言葉から文化から何から何まで、全てが肌に合わない。 俺は駄目だ。もう駄目だ。この東京砂漠で死んでいくんだ。そしてそのまま灰になってしまうんだ。

 俺は机に突っ伏した。昼休みの喧噪をかき消す勢いで、蝉がせわしなく喚いている。七月に入ってからこっち、俺とは対照的に蝉たちは絶好調だ。羨ましいことこの上ない。 蝉はいきなり地上の世界に出て来て、戸惑ったりしないんだろうか。俺みたいに、新しい環境に馴染めなくて悶えてる奴とか、いないのだろうか。というか、蝉が羽化して二週間で死ぬのって、実は地上が馴染めなくて死んで行くんじゃないか。

「なあなあ、オオサカ!」

 少し離れたところから、大きな声で呼ばれた。オオサカというのは、この学校でつけられた俺のあだ名である。女子にも、オオサカくんと呼ばれている。正直うんざりだ。どんだけ安直やねん、と思う。だけど俺は嫌な顔はせずに、

「何ー?」

 と、顔を上げて返事をする。一応、馴染んでいるフリだけでもしておかないと。自分の健気さに泣けてくる。

「オオサカさあ、今度の土曜日空いてる? みんなでカラオケ行こう、って言ってんだけど!」

  俺に声をかけた奴……石橋は小柄で声が甲高く、よく喋ってよく笑う。何処の学年にもひとりは必ずいるサル系の男子だ。

 カラオケ。カラオケな。大阪におるころは、よく行ったなあ。

 懐かしくなって、ついつい目を細めてしまった。

「オオサカ、六甲颪歌ってよ!」

 別の男子がそう言うと、周りから笑いが起こった。俺は周囲に気付かれないように、乾いた笑いを漏らした。

 大阪人はみんな阪神ファン。この安易な偏見に腹が立つ。向こうに悪気があるわけじゃない、場を和ませる為に言っているんだということはよく分かる。だけど腹が立つ。残念ながら俺はオリックスファンだ。というか、大阪近鉄バッファローズのファンだった。阪神は兵庫の球団だ。大阪なら近鉄だろう?

 ……なんてことを言ってもしょうがないので、黙っておく。

「まだちょっと空いてるか分からんから、またメールするわ!」

 行く気なんて微塵もないのに、俺はそんな卑怯な返事をした。最終的には断るのに、とりあえず返事を先延ばしにする。こういうのが日本人の悪いとこだよな、と自分でも思う。

「あっ、そお? そんじゃまたメールしてな!」

 石橋がそう言って、ひとまず会話は終了した。俺は、小さく息を吐き出した。ああ、いちいち疲れる。

「いっちゃん、飯食おうぜー」

  そんな声とともに、肩をぽんぽんと叩かれた。顔を上げると、クラスメイトの大和勇一の人なつこい笑顔と、明るい茶髪が視界に飛び込んできた。

  大和は席が俺の前で、転校当初から何かと親しげに絡んできた奴だ。 彼は百八十センチをゆうに越える長身なので、こちらが座っていて向こうが立っていると、随分遠くに顔があるように思える。俺が若干チビなので、尚更だ。

「いっちゃんは、今日は弁当?」

 言いながら大和は自分の椅子を、俺の席の方に向ける。 クラスの中で彼だけは何故か、俺のことをオオサカと呼ばなかった。それだけでも、彼のことは評価したい。いっちゃん、というのも微妙だと思うけど。

「今日の俺はさ、ダッシュした甲斐があって、なんと幻の海老カツサンドをゲット出来ちゃったんだぜ! ほら見て見て!」

 大和は、ほくほくした笑顔で海老カツサンドを誇らしげに掲げてみせた。その声を聞きつけた周囲の生徒たちが、おおっと歓声を上げる。俺は、ふっと鼻で笑った。

「あー、うんうん、せやね。かっこええね」

 無感動にそう言うと、大和は楽しそうに、はしゃいだ笑い声をあげた。

「俺、いっちゃんに軽くスルーされんの、ちょう好きー」

  意味不明なことを言いながら、彼は俺の机にパンを置いた。こいつはいつも笑っている。そして、俺が少々きつい言葉でツッコんでも引かない。そこもまあ、評価したい。

「そうだ、石橋が土曜にカラオケ行こうって。聞いた?」

 コーヒー牛乳の紙パックにストローを突き刺して、大和が尋ねてくる。

「ああ、うん。聞いた」

 頷きながら、俺も鞄の中から弁当箱を取り出した。

「いっちゃん、行く?」

「やー、まだ行けるか分からんくて」

 俺は曖昧に笑ってみせた。そうしたら、大和は不服そうに顔をしかめた。

「え、そうなの? いっちゃん来るもんだと思って、石橋に行くって言っちゃったよ」

「ふうん、ええやん。行って来いや」

「えー、いっちゃんと一緒に行きたい」

「何やそれ」

「だって、いっちゃんと遊びに行ったことないじゃん」

「そうやっけ?」

 とぼけつつ、口の中に唐揚げを放り込んだ。

  俺は大和のことがよく分からない。男女共に色んな奴と仲良くしているのに、昼休みは絶対に俺の所に来るし、帰るときも寄って来る。とかく俺と一緒に行動しようとするのである。別にひとりでもええねんけどなあ……むしろひとりの方が楽そうやねんけどなあ……、と思うものの、拒絶するほどこいつが嫌なわけでもないので、何となく一緒にいる。

「行こうよ、カラオケ。石橋、アイドルの歌すげえ上手くて、おもしれえんだぜ」

 そう言われても、イマイチ興味を抱くことが出来ない。俺は適当に笑って、「あはは、ほんまにい」なんて返事をしておいた。この三ヶ月で、愛想笑いだけは上手になった気がする。なんて不健全なスキル習得。どうやったら、東京生活を楽しめるんだろう。

 玉子焼きを咀嚼しながら、俺は視線を横にずらした。大和はまだ何かを喋っているが、いまいち耳に入ってこない。彼の声よりも蝉の声の方が、どんどん耳と脳に入り込んでくる。

 ああ、うるさい。

  あんなあ、新しい土地に来たからって、そんな風に露骨に自己アピールしとったら、ウザがられるねんで。ドン引きされるねんで。もっと大人しくしとけよ。俺みたいに。それはそれでおもんないけど。

 俺の心の声が蝉に届くはずもなく、奴らは全力で鳴き続けている。理解不能だ。