■きみが涙を流すなら 32■


「な、何やねんそれ……」

 壮大な肩すかしを喰らった僕は、半分笑いながらそう言った。こんなの、もう笑うしかない。こちらは、潔くふられる決意を固めていたというのに、まさか途中経過と来るとは。

「いや、だから、この数日間考えて来たことの途中経過をやな」

「何でやねんな。告白の返事の途中経過報告なんて、聞いたことないぞ」

 同じことを繰り返そうとする相原に、言葉をかぶせる。すると彼は、目をぱちぱちさせた。

「だって、ここまで来て、その話に全く触れへんで帰るっていうのも……なあ? おれもちゃんと考えてるんやで、ってことを一応証明しとかへんと」

「いやいやいや……」

「あ、言わんほうがええ?」

 そう言われると、

「……聞くけども」

  と答えてしまう。だってやっぱり、気になるじゃないか。

「聞くんやん」

 彼が笑うので、僕は小声で「うっさい」と呟いた。相原はもう一度笑ってから、居住まいを正した。

「えーと、そんでな……」

 相原は腕を組んで、視線を上にやった。何から話そうか、考えているようだった。僕は彼の口からどんな言葉が出て来るのか、固唾を呑んで見守った。

「そうそう、おれも実は、昨日合コン行ってん」

「え……。あ、そ、そう」

 僕は必死に平静を装うとしたが、上手く行かなかった。どうしても、頬が引き攣るのと、声が上ずるのを止めることが出来ない。

「ほんまに女があかんくなったんか、確かめようと思ってさ」

「……うん」

「でもなあ、キツかった」

 相原は、顔をしかめて首を横に振った。

「キツかった……?」

「うん、吉川と一緒。全然おもんなかったし、キツかった」

 それはたまたま、メンツが悪かっただけやろ。そう言いたかったが、僕は黙っていた。とりあえず、相原の話を全部聞こう。

「何かほんまに、どんどん女があかんようになってる気がすんねんな」

 彼はそう言って、溜息をついた。僕は言いたいことが山ほどあったけれど、口をつぐんでいた。相原は続ける。

「合コンもな、目の前の出来事やのに、別世界みたいに見えててん。こいつら何やってるんやろう、ってずっと思ってたわ」

 そのときのことを思い出したのか、相原は軽く眉を寄せた。

 僕は少し意外だった。相原なら、どんな状況にも順応出来ると思っていた。もしかして本当の本当に、女性が駄目に……? いやいや、騙されるな。ノンケの言うことに、いちいち期待してはならない。後で泣くのは自分だ。

 相原は今、家庭の問題で心が揺れている。そんな状況で合コンに行ったって、楽しめるわけがない。そういうことだ。

「最後の方なんかもう、ほとんど誰とも喋らへんで、ずっと野球のこと考えてたし」

 それには少し笑いそうになった。考えることが、僕と一緒だ。

「もう、合コンはええわ。吉川と阪神の話でもしてた方が、よっぽどおもろいもんな」

 不意を突かれて、僕は慌てて奥歯をきつく噛んだ。危ないところだった。うっかり泣いてしまうかと思った。どうして相原はサラッと、そういうことを言えてしまうんだろう。

「……んん? 何を言いたかったんか、よく分からんくなってきた」

 首をかしげる相原に、僕はぽつりと言葉を投げかけた。

「……それやったら、相原。いっこ聞いていい?」

「うん、何?」

「おれが告白したとき、何で『考える』なんて言ったん」

 僕は、一番理解出来ない部分を聞いてみることにした。相原本人にも何度も言ったように、考える必要なんてないはずなのだ。

「え、だってそれは、考えようと思ったから」

 微妙に的が外れた返事が返って来て、僕は小さく息を吐いた。

 ことこの話に関しては、僕と彼はすれ違いまくっている気がする。僕の言いたいことが伝わっている、という手ごたえが全く感じられないし、相原の言いたいこともイマイチよく分からない。

「……相原。お前、ゲイか?」

「と、とんでもない」

「やろ? それやったら何で考える必要があるん。男とは付き合えへんやん」

「んー……」

 相原は、分かったような分からないような顔をして、低く唸った。

「そう言われたらそうかもしれへんけど……でも、嫌な感じはしなかったしなあ」

「え?」

「だからさ、こないだ女子に告白されたって言ったやん? あんときは、嫌やってん。ほんまに。でも、吉川に告白されたときは、嫌とは思わんかってん。だから、考える、って答えたんかも」

 自分のことやのに、かも、とか言って悪いけど……と付け加えて、相原は苦笑いをした。僕は正座した膝の上で、両手の指を組んだ。

  相原は良い奴だ。真摯だし、誠実でもある。でも彼は、ものごとの本質を理解していない。

「……それはな。相原が、おれの告白の意味を理解してへんからや」

 僕がそう言うと、相原は少々ムッとしたように目を細めた。

「……そこまでおれ、アホとちゃうぞ」

「絶対分かってへん」

「分かってるっちゅうねん」

 頑なにそう言い張る相原に、頭の中がかっと熱くなった。

「おれが言う、好きっていうのはなあ!」

 僕はおもむろに、相原の両肩を掴んだ。相原が一瞬肩を震わせたのが、手のひらに伝わる。僕は相原に、顔を近づけていく。

  目にものを見せてやる。

  頭の中に浮かんだのは、そんな言葉だった。

  だって、相原は本当に分かっていない。僕の気持ちを理解していたら、一人で家になんか来ないはずだし、期待させるような物言いをするはずもない。今まで僕がいい子ぶっていたから、こいつは油断をしているんだ。僕が何もしないと思っているんだ。それなら、分からせてやる。ゲイに思わせぶりな態度を示していたらどうなるか、きっちりと理解させてや

 
 ……そこまで考えたところで、唐突に我に返った。

 僕の顔は、相原の唇に到達する直前に停止した。相原の濃い色の目が、短い睫毛が、どアップで視界の真ん中に現れる。

 僕は一体、何をやっているんだ?

 分からせてやるってお前、いや、それはあかんやろ。この強硬手段はなんぼなんでもあかんって。相原に不快な思いはさせないって、ついさっきお前が言ったんやんけ。

 突如として目を覚ました良識派の僕が、脳の隅で警鐘を鳴らす。分かっている。しかし僕は何で、こんなところで止まってしまったんだ。あまりにも相原と近すぎて、離れようにも身体が硬直して動かない。心臓がゴバンゴバンと異常な音を立てている。

  こんなことならいっそのこと、止まらずにドカンと行ってしまった方が良かったのかもしれない。あああ、どうしよう。どうしよう。いやほんま、どないしょう。

  それに、何で相原も全く動かないんだ。普通、避けるとか突き飛ばすとか、何らかのアクションを起こすものだろうに。というか、頼むから動いて欲しい。じゃないと、僕は動けない。

  もしかして相原も、驚いて固まっているのだろうか。有り得る。ええとそれなら、このまましばらく止まっていないといけないということか。あかんあかんあかん。それはあかん。耐えられへん。

  そのとき、相原が身じろぎをした。

  ああ良かった相原が避けてくれる。

  そう思ったのに、何故か相原は、僕の、唇に、自分の唇、を、触れ、させ、たのだった。