■きみが涙を流すなら 27■
吉川四郎、十七歳と二か月。
僕は今、梅田のカラオケボックスの中にいる。学割が効く、やっすいカラオケだ。
通された部屋はそこそこきれいだったけれど、六人で利用するには狭く、冷房は酸っぱい臭いを放っていた。
今はネクタイさんとミニスカさんが二人で、僕の知らない歌をうたっている。
そこそこ上手なネクタイさんと金切り声のミニスカさんのデュエットは、情緒不安定になりそうな旋律を奏でていた。
声が良い佐伯くんは、酒田とワンピースさんと三人で、何かを話して笑い合っている。
僕は、曲リストを眺めるフリをしながら、頭の中で「五年後の阪神開幕オーダー予想」を一生懸命組み立てていた。
リンはきっと四番でライトだ。そうであって欲しい。ああでも、桜井というセンも捨てがたいな。そいかしその頃まで、藤川は日本の球界に残ってくれているだろうか。メジャーに行ってしまったりしないだろうか。
……そんなことを考えていないと、さっきから隣に座っているネクタイさんの肩や肘が当たるのが、恐ろしくてしょうがないのだった。
今まで、自分は女嫌いではないと思っていた。
だから同じ学校の女子とも普通に会話をして、何の問題もなく学校生活を送っていた。体育祭でフォークダンスだって踊った。手を握っても、全くなんとも思わなった。
しかし、今は肘がちょっと触れるだけでも辛い。何故かはよく分からないけれど、とにかく辛い。
やっぱりこの、「合コン」というイベントが持つ、独特の雰囲気がいけないのだろうか。男女共に、さあ恋愛するぞ、という意気込みが感じられる空気が、僕に大きなプレッシャーを与えている気がする。
ゲイなのにこんなとこ来ちゃってすいません、という負い目もあり、非常に息苦しい。
「何歌うん?」
いつの間にか曲が終わっていたらしく、ネクタイさんが僕に声をかけてきた。
「え? あ、ええーと……」
僕は、ちっとも見ていなかった曲リストに、慌てて視線を落とした。
「何か部活とかやってる?」
唐突に、そんなことを聞かれた。
「いや、何も」
「中学のときは?」
「いや……」
会話終了。僕は駄目だ。駄目にも程がある。
何か話さなくては。そうだ、こんなときには質問返しだ。
「あの、部活、やってる?」
全く同じことを尋ねると、ネクタイさんはニコっと笑って頷いた。僕はほっとした。これで少しは、会話が繋がる。
「テニス部。サヤコもミキも同じやねん」
ネクタイさんは、ミニスカさんとワンピースさんを順に指差した。サヤコさんとミキさんか。覚えよう。
……あれっ、どっちがサヤコさんだっけ? もう分からなくなった。
会話が終了しない内に、何か話そう。テニス部か。テニス、テニスといえば……シャラポワ……。それくらいしか出て来ない。ああ、駄目だ。また不自然な間が空いてしまった。
「吉川くん、スポーツやんないの?」
また、親切なネクタイさんが話を振ってくれた。
一回しか自己紹介してないのに、僕の名前をちゃんと覚えているネクタイさんは凄いと思った。明らかにこの場から浮き上がってしまっている僕の相手をしてくれて、彼女はとてもいい人だ。
はにかんだような笑顔がとても可愛いし、この場にいるのが僕じゃなくてもっとまともなノンケの男子だったら、彼女のことを好きになったかもしれない。
「見るのは好きやねんけど……」
そして、そんなネクタイさんの気遣いに上手く乗っかれないのが、僕だ。
質問に答えるだけじゃなくて、自分から話を広げろよ。
そう思っても、なかなか実行出来ない。
「へえ、何見るん?」
「野球とか」
「高校野球?」
「……も好きやけど、プロ野球」
「ふーん」
ネクタイさんは、いかにも興味がなさそうに相槌を打った。
なんという手ごたえのなさ。最近は若い女性の野球ファンが増えたと言うけれど、まだまだ普及率は低いらしい。
野球という引き出しが使えないとなると、僕はいよいよ手詰まりだ。
酒田とミニスカさんが、何かを話して盛り上がっている。何をしゃべったら、そんなに盛り上がることが出来るんだ。
僕の脳裏に、不意に相原の顔が浮かんだ。むしょうに、相原と野球の話がしたくなった。ああ、相原。やっぱり僕にはお前しかいない。
コンコンと扉がノックされて、店員が室内に入って来た。誰かが注文したらしい、カルピスのグラスが運ばれてくる。
ネクタイさんがまた歌い出したので、僕はぼんやりと画面を眺めることにした。これも、僕の知らない歌だ。
そのとき、しゃがんでグラスをテーブルに置いたバイトらしき男性店員が、こちらを見ているのが視界の端に映った。それも、チラチラと見るのではなく、まっすぐ凝視である。
最初は画面に何かあるのかと思い、僕も思わず画面を凝視した。ブラウン管にはウネウネと踊る女性の姿が写っていて、特に何か異常があるようには見えない。
僕は店員の方をちらっと見た。大学生くらいの若い店員は、画面ではなく僕の顔を、じっと見ている。あまりに真剣な顔でじいっと見つめるので、僕は少々たじろいでしまった。
な、何や何や。何でこの店員は、おれにガンを……。
「あっ!」
僕は声をあげた。その場にいた全員が、いっせいに僕の方を向く。歌っていたネクタイさんも、口を閉じてこちらを見る。
僕をじっと見つめていた店員は、相原の兄さんだった。
一回しか会ったことがないけれど、僕はしっかりと顔を覚えていた。なんせ、相原の兄さんだから。
「……どうも。吉川くんやっけ」
浩一さんは、静かな声で言う。顔も声も何もかも、相原とは似ていない。
何で僕の名前を覚えているんだ。そんなの、忘れていていいのに。
「こ、こ、こんにちは……」
僕は頷きながら会釈をする。
そしてこの場から逃げ出しそうになるのを、自制心を総動員して堪えた。
合コン現場を、相原の兄さんに見られた。
何だろう。この気持ちを、なんて表現したらいいんだろう。恥ずかしくてバツが悪くて、何だかもうとにかく言葉にならない。大声で叫んで、ダッシュで部屋から出て行ってしまいたい。
「失礼します。ごゆっくりどうぞ」
僕が出て行くまでもなく、浩一さんはごく業務的な口調でそう言って、すたすたと部屋から出て行った。
「吉川、知り合い?」
酒田が首をかしげる。
アホみたいに扉の方を見ていた僕は、それで我に返った。
「お、おう。友達の兄貴やった……。び、びっくりした……!」
まだ平静を取り戻せていない僕の声は、みっともなく波打っていた。
ああ、何てことだろう。やっぱり、合コンなんて来るべきじゃなかったんだ!
時間よ戻れ!
相原、助けて!
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