■きみが涙を流すなら 26■
「はあ……」
僕はため息をついて、スニーカーに突っ込みかけていた足を抜いた。
靴を履きたくない。履いたら、外に出なくてはならない。外に出たら、僕は行かなくてはならない。出来ることなら、行きたくない。しかし、僕は行かなくてはならない。
僕はもう一度、靴に足を入れた。が、やっぱりすぐ引っ込めてしまう。
「あー……何で行くって言うてもうたんやろ……」
その場にしゃがみ、両手で髪の毛をかき混ぜる。後悔で、脳と心臓が重かった。
僕は今珍しく、相原、野球、家族以外の要因で頭を悩ませている。いや、この三つに関しても悩んでいるのだけれど、今直面している問題はそれらとは関係のないものである。
……ちなみに告白してから三日が経つが、あれから相原とは会っていない。メールも電話も一切なしだ。
この沈黙が、「時間を置いて冷静に考えたら、やっぱり引いた」ということだったらどうしよう……とかなんとか、考えてもしょうがないことを考えてしまう僕がいる。
引かれて当たり前なのだから、どうしようなんて思う方がおかしいのに。
家にこもっているのがいけないんだ、外に出よう。
そう思って、僕は近所の本屋に出かけた。昨日のことである。今思うと、それが間違いだった。
雑誌コーナーで立ち読みをしていたら、偶然中学時代の同級生と会った。
「わ、吉川やんか! ひっさしぶりやなあ!」
彼は酒田……下の名前は忘れた。小柄で明るい奴、ということはよく覚えている。
二年生のときに同じクラスだった男子なのだが、髪の毛が明るい茶色になっていて一瞬誰だか分らなかった。中学時代は、普通より少し地味めな容姿だったのに、華やかに高校デビューを決めたらしい。
彼とは特に親しかったわけでもないけれど、酒田は十年来の親友に会ったかのように、大げさな仕草で僕の肩を叩いた。
「お、おお、酒田……。久しぶり」
僕はそんな酒田にちょっと気圧されつつ、読んでいた野球雑誌を閉じた。
「吉川、誰かと待ち合わせ?」
「いや、単なる暇つぶし」
「一人でかよー。寂しいなー。彼女とかおらんの。お前共学やろ? おれ男子校でさあ。早速めっちゃ後悔してんねん」
「はは……共学やけど、彼女なんか全然出来へんで」
軽く笑って手を振ると、相手は予想外の出方を見せたのだった。
「あっほんまに? そんなら丁度ええわ。明日合コンすんねんけどさ、男ひとり足りんねん。吉川来てや!」
「ごっ」
思わず、声が上ずってしまった。
合コン? 僕が? ゲイが? どんなネタだ、それは。
「良かったー。何か全然つかまらんくってさあ、どうしようかと思っててん」
酒田は既に僕が来るものと決めつけ、安心したように笑っている。冗談じゃない。僕は焦って首を振った。ここは断固、拒否しておかなくては。
「い、いやちょっと待って……。行くとは一言も……」
「可愛い子来るで」
「いや、だからそうじゃなくて……」
やばい、舌がもつれてきた。どう断ればノンケっぽく見えるのかが、全く分からない。あんまり頑なに断ると、怪しまれるだろうか。
もしかして、ノンケはそもそも合コンの誘いを断ったりしないとか? いや、そんなことはないはずだ。合コン嫌いのノンケだっているに決まっている。
そうだ、彼女がいることにして……。駄目だ、さっき彼女はいないと言ってしまったのだった。
「な、ほんま頼むわ! マジ人数足らんねん。ここで偶然会ったのも、運命やと思ってさあ!」
酒田は譲らない。僕は断る口実を必死に探したが、全く何も出て来なかった。
「吉川、来てくれる?」
「お……う」
頷いてしまってから、明日は用事がある、とか適当なことを言えば良かったんだ、ということに気が付いた。ノンケっぽい云々以前に、非常にシンプルでスタンダードな断り方だ。
こんな単純なことに、どうしてすぐ思い至らないんだ。予想外の誘いを受けて、パニックになってしまった。なんてアドリブの利かない脳みそだろう。
メンツを確保できた酒田は大喜びで、待ち合わせの時間と場所を告げた。僕はそれを携帯にメモしながら、えらいことになった、と思った。まさかこんなことになるなんて。
そうか、高校生にもなると、合コンなんてイベントがあるのか。ある意味勉強になった。
「好きな女の子のタイプは」「巨乳と貧乳どっちが好きか」辺りの質問には、いつでも淀みなく答えられるように回答を用意してあったけれど、合コンの誘いに対する準備は全く出来ていなかった。
今度からは、もっと上手く断れるように言い訳を考えておこう。
「お嬢様学校の女の子でな、めっちゃ可愛いらしいで。女三人、男三人な。男もうひとりは、うちの高校の奴を連れてくから」
酒田は無邪気にニコニコ笑っている。そうなんや良かったなあ、と人ごとのように言いそうになって、慌てて口を噤む。
「そうなんや、楽しみにしとくわー」
なんて心にもないことを言って、その日は酒田と別れた。
で、今日である。
僕はようやく、靴を履いた。行くと言ってしまったのだから、ここでゴネていても仕方ない。それに、合コンも一回くらい行っといた方がいいかもしれない。ノンケの社会を勉強して、今後のカモフラージュに活かそう。
そんな、前向きなのかなんなのかよく分からない結論に達した僕は、勢いをつけて玄関の扉を開けた。
その途端、暴力的な真夏の日差しが全身を降り注ぎ、僕は早速家の中に戻りたくなった。暑い。容赦なく暑い。
「何でこんな暑い中、合コンなんかに……」
呟きかけて、いやいやと首を振った。
これも社会勉強だ。社会勉強。今日の合言葉はこれで行こう。何があっても、それは社会勉強だ。
そんな風に己自身と闘いながら、僕はどうにか待ち合わせ場所の梅田に到着した。玄関でモタモタしていたせいで、少し遅刻してしまった。
僕以外のメンツは、もう全員集合しているようだった。酒田のそばに背の高い男と、三人の女の子が立っているのが見える。
「お、吉川やっと来たー」
「ごめん、おそなった」
僕は酒田に謝りながら、横目で彼の連れの男を見やった。
茶髪でピアスで眉毛が細くて、如何にも今っぽい風貌だった。男前……のようにも見えるけど、正直微妙だ。あんまり僕の好みではない。残念。やっぱ僕は相原がいい。
……違う。
そういう話じゃない。今日は、社会勉強に来ているのだ。ノンケのフリをしないといけないのに、真っ先に男を品定めしてどうする。
僕は今度は、女の子たちの方を見た。
女の子三人は全員色白で上品そうで、かつ似たような髪型、メイクをしていた。全員可愛いのだけれど、いまいち見分けがつかない。
興味がないからだろうか、僕は女の子の個体識別が苦手だった。クラスの女子でさえ、未だ全員の顔を覚えられていない。
全員揃ったんで、と前置きして、酒田がメンツの紹介を始めた。
「こっちが中学のときの友達で、吉川。そんでこっちは、今おんなじクラスの佐伯」
佐伯くんが「よろしくー」と行って僕と女の子たちに会釈をしたので、僕も同じようにした。佐伯くんは、意外と良い声だった。そこは好みだ。
いや、だから違うって。
今度は、三人の中で中央にいた女の子が女子メンバーの紹介を始めた。が、聞いた瞬間もう忘れた。覚えようとしていたにも関わらず、右から左へ光速で通り過ぎてしまった。
やばい。早くも躓いてしまった。
仕方ないので、服装の特徴で判別することにした。ミニスカさん、ネクタイさん、ワンピースさん、と呼ぶことにしよう。本当に口に出さないように、気を付けなくては。
……こんなことで、僕は大丈夫なんだろうか。
人生初めての合コンが始まって、約一分。早くも先行きが不安になってきた。僕は今日一日を、無事に乗り切ることが出来るのだろうか?
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