■きみが涙を流すなら 09■
家族ってものは、無条件に分かり合えるものだと思っていた。
何でって家族だから。
よく分からないけれど、とにかく家族だから。
深く考えることもなく、そう信じきっていた。
僕と両親の家庭関係は、至極良好だったと思う。
父は、それなりの学歴を経てそれなりの企業に入社した会社員で、世間一般では親父のことを「エリート」と呼ぶらしい。しかし、家では全然そんな感じはしなかった。元阪神の真弓と中西が好きな、ごく普通の大阪のおっさんだ。
母は専業主婦で、「大阪のおばちゃんには絶対ならない」というのが信条だった。それゆえ、豹柄と光沢入りの黒パンタロンを忌み嫌っていた。
その割に、街頭で配っているティッシュをやたらともらってきたり、地図を持ってウロウロする観光客に
「どないしたん、迷子なりはったん。何処行きはるの?」
と率先して声をかけたり、行動は完全に大阪のおばちゃんだった。
そりゃあ、両親がうざいと思ったことは何度もあるが、よその家庭に比べたら僕は相当温厚な息子だったはずだ。
約半年前。
その頃まだ、僕は小林と付き合っていた。そしてそのことについて、最高潮に悩んでもいた。
当たり前だけど、男と付き合ってるなんて両親に言えるはずがない。
小林には家庭があったし、胸を張れる要素がひとつもない恋愛だ。
とにかく両親に申し訳なくて、当時僕はかなりグルグルしていた。そのとき何を考えていたか、今ではもう半分くらいしか覚えていないけれど、罪悪感といたたまれなさに、相当思い詰めていたことはよく覚えている。
高校生になってから、母はちょくちょく「学校どう? 彼女まだ出来てへんの?」と聞いてくるようになった。その度に、後ろめたさと罪悪感で胸が重くなった。
多分僕は、一生女性を愛することはない。一生こんな大きくて重い隠し事を抱え、両親を欺き続けて生きるなんて、僕に出来るのだろうか。
その重圧に耐え切れるのだろうか。
それ以前に、隠しきれるかどうかも疑問だ。これから先、何歳になっても結婚はしないし彼女もいない……。そんな息子を見て、両親が怪しまないはずがない。
それだったら、早めに打ち明けてしまった方が良いんじゃないか。
僕は次第に、そう考えるようになった。
最近は、テレビなどのメディアに同性愛の話題が登場することも多いし、昔に比べたら同性愛者もオープンになってきたって言うじゃないか。
それに、「家族にカミングアウトしたら、意外とあっさり受け入れてもらえた」という話だってよく聞く。うちだって、そんな風になるかもしれない。いや、そうなるような気がする。
そう思ったのは、普段から家族の信頼関係を築けているという、自信があったからだ。それと、「家族だから」という何の根拠もない思い込み。
もしかしたら、泣かれたり殴られたりするかもしれない。だけど、縁を切られたりはしないはずだ。根気良く話し合えば、きっと分かってくれる。
胸を張って恋人を紹介することは出来ないけれど、とりあえず、自分の息子がどういう人間かくらいは知っておいて欲しい。
きっと、あの両親なら分かってくれる。
だって、家族だから。
うん、そうだ。きっとそのはずだ。
そうであってくれますように……。
「おーい、集中しろー」
頬を軽くと叩かれて、僕はハッと我に返った。目の前に、小林の顔がある。
ここはどこだ。
僕の体内で、大きな異物が動く感触がした。思わず息を詰める。
ああそうだ、ここはホテルだ。そして今は、ことの真っ最中なのだった。
こんな状態で考え事をするなんて、どうかしている。
「気持ちいい?」
「……あんまり」
僕は正直に答えた。どちらかというと、苦しい。
右手で、額に浮かんだ汗をぬぐう。
大分慣れてきたつもりだけど、やっぱり最初は辛い。全身いっぱいいっぱいという感じで、快感はまだ遠かった。
「四郎は可愛くないよなあ」
小林は苦笑いして、僕の下半身に手をのばした。 ゆるやかにさすられて、背中が震える。
思わず小林の手をつかんだら、やんわりと払われた。
「あ……、それは、気持ちい……い」
切れ切れに声をあげると、小林が笑う。
「そういうときの、四郎は可愛い」
「はは……」
僕も笑った。可愛いと言ってもらえて嬉しかった。
彼が手を動かすたびに、身体が熱くなってくる。
あんなに、両親に対して申し訳ないだの何だの言っておいて、しっかりセックスはしている辺り、僕も所詮動物だなと思う。
小林は今、何を考えているんだろう。
彼も最中に、奥さんに申し訳なくなったりするんだろうか。
……とりあえず、その話は置いておこう。やっと気持ちよくなってきたし。
そんなことを考えていたら、せっかく生まれた熱が冷めてしまいそうだ。
もう動物でも何でも良いから、今は快感のみに集中しよう……。
「親に、言おうと思ってんねん」
ベッドの上で肩を回しながら、僕はそう言った。隣で寝転んでいる、小林の肩が一瞬震える。
「……何を?」
「ひとつしかないやんけ」
自嘲気味に笑いながら、今度は首を回した。ゴリッという、嫌な音が鳴った。
「おれのことも、言うつもりなんか」
小林が、静かな声で尋ねた。
「……いや、さすがに不倫してるとか、そういうことは言われへんけど」
そこまで言ってしまったら、殴られるだけでは済まなそうだ。
小林は息を吐いて、身体を起こした。引き締まった、大人の身体だ。
僕と違って、きちんと完成されている骨格と肉付き。
「何で、急に?」
彼がこちらを見ている気配がしたが、僕はじっと前を見ていた。くすんだ壁に、微妙な絵がかかっている。それをひたすら凝視していた。
「……苦しいから」
視線を動かさずに、呟いた。
少し間を置いて小林は、言いにくそうに口を開いた。
「むっちゃ自分勝手なこと言うけどさ……」
この上なく、暗い口調だった。首をめぐらせてみると、彼は妙に不安そうな表情をしてうつむいていた。
「両親にカミングアウトして、もしそれで揉めたら、おれと別れるとか言わへん?」
その言い方がやけに子どもっぽかったので、僕は思わず吹き出した。
「何やそれ! 言わへんよ。言わへんっちゅうねん」
僕は笑いながら、小林の頭を撫でた。コシの強い黒髪を、ぎゅっぎゅっと揉む。自分がヘロヘロで軟弱な髪質なので、彼の髪の強い感触が好きだった。
「……小林は、苦しくないん?」
髪の毛をかきまぜながら、僕は声の調子を落とした。
小林は、困ったように口の端を曲げた。
「そら、たまに苦しくなるけど……」
そう言って、僕の手を取った。まっすぐに、こちらを見てくる。
「でも、四郎のこと愛してるから、頑張れる」
「そっか……」
なんとなく気まずくなって、僕は眼を伏せた。
僕だって、小林のことを愛してる。本当の本当に、愛してる。
だけどそれだけでは、頑張れそうにない。
何故なんだろう。
僕が子どもだからだろうか。それとも、自分は所詮浮気相手だと、心の何処かで思っているのだろうか。
もしくは、そういうこととはまた別の、もっと根本的な問題なんだろうか。
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