■きみが涙を流すなら 06■
※前回を読み飛ばした人のための、あらすじ
二人で甲子園に野球を見に行って、楽しく盛り上がりました。以上!
「えっらい遅くなったなあ……」
帰りの阪神電車に揺られながら、相原は呟いた。
ちなみに電車の中も、タテジマのユニフォームでいっぱいだ。
現在の時刻は、二十三時近く。
試合終了してからすぐに駅に向かったが、観客の大半が一斉に帰る為、駅の周辺も中も凄い混雑だった。
電車に乗るまでに、えらく時間がかかってしまった。
「ほんまやな……。相原って、家どこやっけ?」
「箕面」
「遠いなあ。終電とか大丈夫なん?」
「んー分からん。吉川ん家泊まったらあかんかな」
「えっ」
僕は絶句してしまった。
彼が遊びに来たことはあれど、泊まって行ったことはない。
「あかん?」
相原が、もう一度繰り返す。僕の答えはひとつしかない。
「……いや、全然いいよ」
心臓が咆哮している。
展開が! 早すぎる! 僕自身も、心の中で咆哮した。
落ち着け、落ち着け。一人で舞い上がるな。
「ほんまに? ごめんなあ」
本当に、済まなそうに言われてしまった。
彼が家に来るのを嫌がっている、と思われただろうか。そういうわけじゃないのに。
というわけで、相原とふたりで家に帰って来た。
ただでさえ野球で脳内物質が出ていたのに、こんなことになってしまって、僕の頭はパンク寸前だった。
エレベーターのボタンを押し間違えたり、家の鍵を取り落としたり、挙動不審なことこの上ない。
頼むから落ち着いてくれと思うのだが、どうにもならなかった。
とりあえず相原には風呂に入ってもらって、その間僕は、どうしようどうしようと居間の中を歩き回った。
どうしようも何もないのだが、そわそわしてしょうがない。
何があっても、変な気だけは起こさないようにしないと。
そこだけは遵守しなければならない。
頑張れ。頑張れ、おれ。
その時突然何処からか、大音量で「六甲颪」のメロディが流れてきて、僕は飛び上がらんばかりに驚いた。
音楽は、テーブルの上に置かれた相原の携帯から聞こえてくる。
さすが相原。なんて、基本に忠実な着メロだろう。
僕は思わず、風呂場の方と携帯を交互に見た。
ずいぶん長い間鳴り響いているので、メールではなく着信らしい。
どうしよう……と思っている内にワンコーラスが終了し、音楽は止まった。
なんとなくホッとしていたら、数秒後にまたも「六甲颪」の音楽が鳴り出した。
そしてワンコーラス終了後に、止まる。
僕は彼の携帯を持って立ち上がり、風呂場の戸からニメートルくらい離れた位置で立ち止まった。
風呂場の中からは、シャワーの水音が聞こえる。
今僕が立っている位置からは、角度的に風呂場の戸は見えない。
ここが、正気を保てるギリギリのラインだと思った。
「相原ー!」
声を張り上げると、水音の隙間から「何ーっ?」という相原の声が聞こえてきた。
「何かさっきから、何回もお前の携帯鳴ってるでー!」
「マジでー? 誰やろ。ごめんやけど、着信履歴見てくれるかー!」
「えっ、いいのん!?」
「いいよー!」
ドキッとした。
人の携帯の中を見るなんて、良いんだろうか。しかも、相原の携帯だ。
否応なしに、心拍数が上がってくる。
「そんじゃ、失礼しまっす……」
誰も見ていないのに携帯に会釈して、僕は電話を開いた。
良いんだろうか。いや、良いんだって。相原が、見てくれって言ったんだから。
でも何だか無性に、悪いことをしてしまっているような気がする。
恋愛が絡むと何でも大事件になる……と、誰かが言っていたけれど、本当だ。
僕は震える指で、着信履歴のボタンを押した。
それと同時に携帯が震え出し、画面に「通話中」と表示された。
着信に、うっかり出てしまったようだ。
「えっうわっ! 相原どうしよう! 電話出てもうた!」
「え、おれ出られへんで! 吉川適当に相手しといて」
「えええ、ちょ、ちょっと待てや!」
そう言っている間にも、ディスプレイに表示されている通話時間は、着々とカウントされていく。
その分だけ、受話器の向こうにいる相手を待たせてしまっている、ということだ。
仕方なく、僕は受話器を耳に当てた。
『もしもし、もしもし? 誠くん? あたしやけど』
聞こえてきたのは、同年代くらいの女の子の声だった。
瞬時に、背筋が寒くなった。
え、これ、誰?
あたしやけど、って。
『誠くん? 聞こえてる?』
通話相手は、怪訝そうに何度も相原の名前を呼ぶ。
そうだ、固まってる場合じゃなかった。
「あ、えっと……」
どうにかして口を開けると、受話器の向こうから『えっ?』という若干上ずった声が聞こえてきた。
『何、誰……ですか?』
相手の声に、警戒と戸惑いの響きが混じる。
「あの、相原の友だちなんですけど……相原、今電話に出られなくて」
思わず早口になってそう言うと、向こうは小さな声で『そうですか』と呟いた。
「かけ直すように言いますか?」
「え、いえ……あの、またかけます。すいません」
そう言って、電話は切れた。
切れた瞬間、今の何? とか、誰? とか、相原のこと誠くんとか呼んじゃってたけど、どういうこと?
とかが、僕の心に津波のように押し寄せてきた。
「ほんまに……何やったんやろ……」
呟きながら、ディスプレイに視線を落とした。
「通話時間一分四十七秒 料金〇円」と表示されている。
「ごめんごめん、誰やった?」
急に背後から声をかけられて、僕は尋常じゃないくらいにびっくりした。
いつの間にか風呂から上がったらしい相原が、タオルを肩に立っていた。
風呂上りの相原にときめく……なんていう余裕もない。
それくらい、先ほどの電話が衝撃だった。
「いや、誰か分からんねんけど……」
自分でもうんざりするくらい、沈んだ声になってしまった。
分かりやすい。分かりやすすぎる。
相原が、このトーンダウンっぷりに気付いていなければ良いのだが。
「ああ、妹やん」
僕から携帯電話を受け取った相原は、画面を確認してそう言った。
「えっ妹? 彼女じゃなくて?」
「だから、彼女なんかおらん言うてるやん」
相原は、口を尖らせた。
彼女だと思ったら妹だった、って……。
ベタだ……ベタすぎる……!
あまりにもありがちな展開に、僕は恥ずかしくなってきた。
先ほどまで、一人で勝手に勘違いしていた時間を返してくれと言いたい。
「なんなん吉川、勘違いしたん?」
人の気も知らないで、吉川はニヤニヤしている。
「いやだって、妹も紛らわしいわー。お兄ちゃん、とか言ってくれたら分かるのに、誠くんとか言うねんもん」
「上に、もうひとり兄貴がおるからさ。お兄ちゃんなんて久しく呼ばれてへんわ」
「へえ、三人きょうだい?」
僕の言葉に、相原は頷いた。
兄貴と妹。相原は真ん中か。
三人兄弟の真ん中は何かと苦労するらしいが、彼もそうなんだろうか。
その辺をまた、もうちょっと仲良くなったら聞いてみよう。
「そうや、相原の妹。またかけるって」
「……ああ、ほんま」
相原は目を細めて、睨みつけるようにして携帯電話を見た。初めて見る表情だった。
いつも人懐こい笑顔を浮かべてる相原が、こんな顔もするのか。
「電源切ったれ」
そう言って、力を込めて電源ボタンを長押しする。
「おいおい。ええんかい」
「ええよ、別に。うっとうしい」
吐き捨てて、吉川はソファの上に携帯を投げ出す。
僕はその動作を、ぽかんとしながら見入ってしまった。
「……えっ、何なに? どうしたん、吉川」
「いや、相原も家ではそんな感じなんかー、と思って……」
「だってほんま、うっとうしいねんもん」
本当に嫌そうな口調だった。
相原の、知られざる一面を見た気分だ。僕は少し嬉しくなった。
単純だから、彼がらみのことなら何だって嬉しいのである。
「いいやん、妹。おれも可愛い妹が欲しかったわー」
……それは全く本心ではなかったが、普通の男子高校生ならこう言うだろうな、と思って口にした。
「可愛くないって! 一人っ子で一人暮らしの吉川が、マジ羨ましいもん!」
「はは。妹、名前なんて言うん」
「えー。香織やけど」
「名前も可愛いやん」
「……ありえへんわ」
相原は、天井を仰いだ。
そんなお前が一番可愛い、と思った。
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