■キリン耳とネコ耳の話 22■


 一瞬、桜崎はぽかんとした表情で眼を瞬かせた。
やがて、みるみるうちに顔が赤くなっていく。

「な……何でそうなるんですか……!」

 桜崎は、声を荒げた。耳まで赤い。
今まで、冷たくていけすかないという印象しかなかった桜崎が、こういう顔もするんだな、と少し意外になった。

「それ、いいね。雅も、たまには素直にならないと」
「か、会長まで何ですか……!」

 楽しそうに炊き付ける浅葱に、桜崎は一層動揺したようだった。

「BL香炉なんてちょこざいな小道具に頼らず、男なら直球勝負で行け!
 小細工なしで、ストレートに想いを伝えればいいじゃん」

 間髪を入れず、メガネがけしかける。ここに来て、一番イキイキした表情をしている。
 対して桜崎の方は、相当テンパッているようだった。
ポーカーフェイスが完全に崩れているし、視線も定まらない。

「相手にされてないって分かってるのに、何でそんなことを……」
「分かってないねえ」

 メガネは外国人のように肩をすくめて、首を横に振った。

「告白されて、初めて相手を意識する……そういうことだってあるんだぜ。なあ、ベリショ?」
「なっ、何でおれにふるんだよ」

 僕はしどろもどろになった。
いや、別におれは水無月のことなんて気になってなんかないよ?
まして、メガネなんて問題外だよ?
  と、誰も聞いていないのに、心の中で言い訳をする。

「告白しちゃえよ。この中にいるんでしょ? 好きな人がさ」

 メガネが、にやりと笑って言う。
桜崎は、「なっ……!」と絶句し、言葉を詰まらせた。
 非常に分かりやすい反応だ。何だか微笑ましくなってくる。

「桜崎、男を見せろ!」

 僕は無責任な言葉を投げた。こういうシチュエーションは、自分が立たされるのはまっぴら御免だが、人が立っているのを見る分には楽しい。

「な、何で僕が!」

 桜崎は、声を高くした。
しかし、水無月とやりあっていたときのような迫力はない。

「だってさ、告白せずにこのまま終わったら、絶対後悔するよな?」

 メガネがこちらを見る。
彼は何が何でも、この場で桜崎に告白をさせる気でいるらしい。相変わらず、野次馬根性が旺盛な奴だ。

 しかし、僕もメガネに負けず劣らず下世話だった。香炉のことなどはひとまず置いといて、この桜崎が告白するところを見たい! という好奇心が、むくむく膨らんでくる。

「そうそう。だって、高校生活ってたった三年だろ? 出来ることはなんでもしとくべきだよな」
 僕は適当なことを言った。
「そういうことだよ、雅ちゃん」
 メガネが、桜崎の眼をまっすぐ見る。

 桜崎は、たじろいだ。
このままだと後悔するかもしれない、という思いは、既に彼の中にあったらしい。
もしくは、部屋の中に充満するBL香のせいで、彼もテンションがおかしくなってしまっているのか。

  少しして桜崎は、きっと前を向いた。
その顔には、決意の表情が浮かんでいた。

「お、行く気だ」

 メガネが小さく、弾んだ声をあげた。
 僕はひとごとながら、ドキドキしてきた。

桜崎はどういう風に告白するのだろう。
そして告白された人物は、どういう返事をするのか。
浅葱は、桜崎の気持ちに気付いているのか。

 桜崎はひとつ深呼吸をし、とうとう口を開いた。

「ずっと……、ずっと好きでした。……水無月先輩」



 時が止まった。



  ……子どもの頃、水と間違えて、コップに入ったラッキョの汁を飲んでしまったことがある。
あれは衝撃の体験だった。
 なんせ、無味無臭の液体だと思って口に含んだら、あの刺激臭だ。舌と鼻と脳がびっくりした。
いやあ、あのときは大泣きしたなあ……。



  何故か僕は、脈絡もなくそんなことを思い出していた。
思考があらぬ方向へと、暴走してしまっているようだ。
 ラッキョの汁事件にひけを取らないくらい、今回の桜崎の告白も衝撃的だった。

「えっえええー!」

 誰かが叫んだ。
 いや、叫んだのは僕だった。無意識のうちに、声が出ていたらしい。

「えっお前? お前なの? 何で!」

 自分でも理由は分からないが、僕は水無月に詰め寄っていた。

「ぼ、僕に聞かないでよ……! というか、ほ……ほんとに……?」

 水無月にとっても予想外のことだったらしく、どうしていいか分からないという風に、視線をおろおろとさまよわせている。
 混乱しまくる僕や水無月とは違って、メガネと浅葱は大して驚いていないようだった。

「何だよメガネ、その余裕は……! まさかお前、知ってたとか言うんじゃないだろうな」
「いや、おれは雅ちゃんが好きなのは会長さんだと思ってたから、びっくりだよ」

 それなら、もうちょっと分かりやすく驚きのリアクションを見せて欲しい。

「僕は知ってたよ」

 浅葱が、誇らしげに胸を張った。

「嘘つけ! 誰がどう見ても分かんないだろ……!」

 僕の主張に、水無月もコクコクと頷いている。
 桜崎の水無月への態度は、何処からどう見ても敵意丸出しだった。逆立ちしたって、あれは好意には見えない。

「眼を見れば分かるよ、眼を」

 自分の眼を指さして、浅葱は笑った。
僕はそれにも、嘘つけと思った。

「だって桜崎って、水無月にモロ喧嘩売ってたじゃん!」
「雅は素直じゃないからねえ」
「素直じゃない、なんて言葉でまとめられるもんじゃないだろ……!」

 天邪鬼という次元ですらないと思う。どんな歪んだ愛情表現なんだ。

「自分の気持ちを周囲に気付かれないようにって思う余り、ああいう態度になっちゃったんじゃない? ねえ、雅」

 桜崎はうつむいたまま、恥ずかしそうに頷いた。

 彼の態度から察するに、本当の本当に、水無月のことが好きらしい。
驚いた、どころの騒ぎじゃない。

「僕も桜崎くんは、青磁のことが好きなんだとばっかり……」

 水無月の言葉に、桜崎は顔を上げた。
なんだか悲しそうな眼をしている。こいつ、こんなに表情豊かな奴だっけ?

「……会長のことは尊敬しています。それ以上でも以下でもありません」
「うわあ。そう言い切られちゃうと、ちょっと寂しいなあ」

 浅葱は袋の中から再びハート型のパンを取り出し、それを真っ二つに裂いて胸のところに当てた。
リアクションが欲しそうだったけど、無視することにした。

「そ、それじゃあ、浅葱がメガネに付き合ってくれだの何だの言ってたとき、マジギレしてたのは何だったんだ」

 水無月のことが好きなら、浅葱とメガネの仲を反対する理由もないじゃないか。

「……姫が貴方に好意を持っていることには気付いていました。
だから、貴方には何としてでもメガネさんとくっついて頂かないと、と思って……」

 何だそれは!
 僕は心の中で絶叫した。誰がそこまで裏を読むだろうか。

「じゃ、メイちゃん。一応お返事したら?」

 頭の後ろで手を組み、軽い口調でメガネが言った。
パンを噛み切りながら、浅葱も首を縦に振る。

「そうだよ、メイ。雅は勇気を出したんだから」
「えっ」

 水無月と桜崎は同時に声をあげ、そして同時に身体を硬直させた。
 水無月はまず僕の方ををチラリと見、次に桜崎の方を見た。

「ええと……、桜崎くんの気持ちは嬉しいんだけど……ごめんなさい。
僕は……ベリショくんのことが好きなんです」

 足の裏がチクチクと痛い。針の上にでも立っているみたいだ。
 桜崎は唇を噛み締めて、下を向いた。

 失恋というものは、自分のことじゃなくても切ないものだ。僕は思わず、桜崎から眼をそらした。色んな意味で、胸が痛すぎる。

「そのベリショくんは、おれが好きなんだよな?」

 メガネからまた、空気の読めない発言が来た。

「……そんなこと、ベリショくんは一言も言ってないじゃない」
「でも、事実じゃん?」

 ネコ耳と姫が、同時に僕を見る…というか、睨む。
僕は恐ろしくなって、床に視線を落とした。

「ベリショくんも、その辺はっきりお返事したら?」

 浅葱までが、そんなことを言う。
どうして誰ひとりとして、僕の味方をしてくれないのだろう。
段々、いじめられているような気分になってきた。

「ええと、いやあ……あはは……」

 僕は引きつった笑いを浮かべた。ネコ耳と姫、プラス王子が僕の言葉を待っている。
あれっ、何だこの流れは。何でこんなことになっているんだ。

「皆さん、皆さん」

 頭上から、ピコカンの声が聞こえてきた。

「確かに、その辺りのお話をじっくり聞きたいところではあるんですが」

 そこで、妖精は声のトーンを少し落とした。

「失恋の傷も生々しい雅さんを、アフターフォローも何もなく、こぞって放置なさるのは流石に酷かと」
「あ」

 僕たち四人の声が重なった。
 しまった、自分のことに必死で、桜崎のことをすっかり忘れていた。

「我を忘れて恋に夢中になる……若いっていいですねえ」

 ピコカンの世迷言は聞こえなかったことにして、僕は桜崎の元にダッシュした。
とにかく、何かフォローをしなくては、と思ったのだ。

「えーとあの……人生まだまだ長いんだし、強く生きろ、な?」

 果たしてそれがフォローと言えるのか、自分でもよく分からないが、言わないよりマシだ。多分。

「……貴方に慰められるいわれはありません」

 押し殺された声で言われてしまった。ズシンと胸が重くなる。

「そうですよ。ベリショさんが何を言っても、嫌味なだけですよ。貴方が原因で、雅さんは振られたんですから」

 ピコカンに正論を突かれると、異様に悔しいのは何故だろう。

 しかし、予想外の結末だったとはいえ、告白しろなどと炊きつけてしまった僕も、それなりに責任を感じているわけで……。

「もう、結構です」

 桜崎の声が、ぴしゃりと室内に響いた。

「こんな道具に踊らされて……馬鹿みたいだ……」

 苦々しげに呟いて、彼は手の中にある香炉に視線を落とした。

「こんな……こんな……」

 段々、声が怒りを帯びてくる。気持ちはよく分かる。
今回の一連の出来事は、全てこの香炉とピコカンが悪いのだ。

「こんなもの……!」

 突然桜崎が声を荒げ、窓を開け放って大きく振りかぶった。

 外に放り投げる気だ!
 そう悟った瞬間、ピコカンの高い悲鳴があがった。
 
 このとき僕の頭は、信じられない速さで回転した。

 ここは校舎の三階だ。
地面に落ちれば、間違いなく香炉は粉微塵になる。
そうなれば、またピコカンに変なイチャモンをつけられて、元の世界に帰れなくなるんじゃ……。
それは困る!

 そこまで考えるのに、0,一秒もかからなかった。

「おい、やめろ!」

 僕は咄嗟に桜崎に飛びかかり、彼の腕を掴んだ。
香炉はまだ、彼の手の中にある。
 
 やった、食い止めた!

 ……と思った瞬間、腹に鈍い衝撃が突き上げてきた。
胃がせり上がり、中身が出そうになる。
見ると桜崎の膝が、見事僕の腹に食い込んでいた。

 おいおい、そこまでやるか普通。
せめて、足払いとかビンタくらいにしといてくれよ…!
 などと思いつつ、僕は咳き込んだ。
訳が分からないくらいに痛いし苦しい。本気で蹴りやがったコイツ。

 そこから僕の視界は、スローモーションだった。

 再び、桜崎が大きく振りかぶる。
浅葱とメガネが腕を伸ばすのが見えたが、彼らは離れた位置に立っていたので、とても間に合わない。
僕はよろめきながら、桜崎の腕にすがりついた。

  桜崎は一瞬バランスを崩し、その手から香炉が離れた。

「あああっ!」

 僕は何も考えず、香炉に手を伸ばした。
指先に、香炉の固い感触が触れる。

「おっしゃ!」

 叫んだ瞬間、がくんと身体が前に傾いだ。
 いつの間にか、僕の身体は半分以上、窓の外に乗り出していた。
 ここは三階。下はコンクリートの地面だ。

 手が空を掻く。身体が更に傾く。
 駄目だ、落ちる!

「メガネええー!」

 僕は、無意識に叫んでいた。

 その瞬間、腰に誰かが抱きついてきて、思い切り後ろに引っ張られた。
視界が大きく動く。
そのまま僕は、誰かとともに後ろ様に倒れ込んだ。
カーペットと、僕の下敷きになった誰かの身体の感触がする。

 ……これはコンクリートじゃない。生徒会室の床だ!

 助かった、と思うと同時に全身の毛穴から、冷たい汗が吹き出した。