■キリン耳とネコ耳の話 21■
「……ていうかBL香炉って、誰にでも効くわけじゃないのか?」
僕は視界の端をウロチョロする、青い妖精に尋ねてみた。
「……そうですねえ。
その想い人が桜崎さんのことを知らなかったり、もしくは桜崎さんを嫌っていたりよっぽど興味がなかったりしたら、効くまでに時間がかかりますね。効果が現れるまでの時間は、好意の度合いに比例しますから」
ピコカンは小声で、そう説明した。
……なるほど。
確かに、今もBL香炉は甘ったるい匂いを放ち続けているわけだが、桜崎や浅葱やピコカンには、特にキュンとくることもない。
「だから、ベリショさんとメガネさんは、瞬時に効いたわけです」
ピコカンのその一言は余計だが、大体理解した。
僕は、再び浅葱の方を見た。
桜崎のことを嫌ったりしているようには見えないが……。
「……ということで、この香炉を持ち出した犯人は僕です。
私欲のために、他人のものに手をかけるなんて、最低の人間がやることです。
……申し訳ありませんでした」
桜崎はピコカンに向かって、ふかぶかと頭を下げた。
あの極悪妖精が「い……いえ……」とたじろぐくらい、真摯で丁寧な謝罪だった。
「会長も、申し訳ありませんでした」
桜崎は浅葱の方に向き直り、ふたたび頭を垂れた。
「僕に謝ることなんて何もないよ。お祭り騒ぎが出来て、楽しかったし」
パンを食べ終わったらしい王子は、機嫌が良さそうに笑い、更に続ける。
「それに、不思議なお香で好きな人と結ばれようなんて、雅の意外な可愛い一面も見られたしね」
……やはり、この男が桜崎のことを嫌っている、もしくは全く興味がないとは、どうしても思えない。
なのに何故、香の効果が現れなかったのだろう。
そんなことを考えていると、桜崎と眼が合った。
なんとなく気まずくて、眼の焦点を何処に合わせようかと迷っていたら、向こうが口を開いた。
「あなた方にも迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
そう言って、深く頭を下げる。
「え、ええと……いやあ……」
僕もピコカン同様、思わずたじろいでしまった。
確かに僕とメガネはこいつのせいで、色々とえらい目に遭った。
それを考えると、インネンのひとつやふたつ、つけたって良さそうだ。
しかし、
『BL香炉を用いても、意中の相手を落とすことが出来なかった』
という不憫すぎるオチがついてしまったため、気の毒で怒る気になれない。
何だか、胸の中がモヤモヤしてくる。
「まあ、香炉は無事に返って来たことだし、別にいいんじゃない? 本人も反省してるし」
メガネは、自らの眼鏡を制服の裾で拭きながら、そう言った。
彼は僕が感じているような後味の悪さや気まずさは、一切感じていないようだった。その図太さが羨ましい。
「で、おれたちは帰れんの? どうなの?」
メガネは自分と僕を交互に指さし、ピコカンに尋ねた。
「帰れるよな? だって桜崎を除いたら、おれたちが一番に香炉を見つけたことになるんだから」
僕の訴えに、ピコカンは顎に手を当て、「そうですねえ……」と考え込んだ。
「おい、何を考えることがあるんだよ。一番に香炉を見つけたら、帰してくれるっていう約束だっただろ?」
「でもさあ、生徒会室からこの匂いがしてるって、先に気付いたのはメイちゃんだよね」
メガネがまたも、いらんことを言い出した。
しかも、ピコカンが
「そうなんです、僕もそれを考えてたんですよねえ……」
などと同調したので、僕は心底焦った。
「み、水無月! 一番に香炉を見つけたのは、おれたちだよなっ?」
僕は懇願するような口調で、水無月に向かって手を合わせた。
「え……、え?」
水無月は、いまいち状況を把握していないようだった。
「頼む、おれたちだって言ってくれ……!」
必死になって頼み込むと、水無月は一瞬考えるように黙り込み、やがて僕の顔を見た。
「その前に、聞きたいことがあるんだけど」
「な、何でしょうか」
声がうわずってしまった。
また、ベリショくんは誰が好きなのとか、そっち方面に話題が行くのかと思ったからだ。
しかし水無月は予想に反して、全く違う質問をしてきた。
「ずっと気になってたんだけど……。
BL香炉を一番に見つけないと、ベリショくんたちは家に帰れない、ってどういうこと?
きみたちは何処に住んでるの?」
それはそれで、返答に困る質問だった。何処まで正直に答えていいのか、判断しかねる。
「それはだな……。
ええと、おれたちはBL香炉を探すために、ピコカンにこの学校に連れて来られたんだけど、まあ様々な事情があってピコカンに家に帰してもらわないと、自力では帰れない状況なんだよ」
一応考えに考えての答えだったのだが、様々な事情、なんて言葉を使ってる時点で、何の説明にもなっていない。
しかし、異世界から来た……なんてことをバカ正直に言って、脳の構造を心配されるのも嫌だし。
……妖精が出て来ている時点で、その辺のことを気遣うのも無駄なような気もするけれど。
青い妖精が、水無月の目の前にピロピロとやって来た。
「そういうわけですので、水無月さんがベリショさんたちよりも先に香炉を見つけたとなれば、ベリショさんたちはこの学校にずっといることに」
「だから! 路頭に迷うって言ってんだろ!」
「僕だって、そこまで鬼じゃありませんよ。失礼な。大学を出るまでは、生活を保障してあげます。それに盆と正月くらいは、家族にも会わせてあげますよ」
「そういう問題じゃないだろ! 何でそこまでして、おれとメガネをここに引き止めようとするんだよ!」
「だってベリショさんてば、こちらに来てからの方がイキイキとしてますよ。こちらの水が合ってるんじゃないですか」
「んなわけあるか!」
僕は、ぜえぜえと肩で息をした。全くもって、話にならない。
「何度も言うけど、一番に香炉を見つけたのはおれたちだって。
先に生徒会室に入ったのは、おれとメガネなんだから。水無月は、その後から入って来たんじゃん。なあ、水無月」
僕は水無月に同意を求めた。すぐさま頷いてくれると思っていたのに、何故か彼は「ええと……」と口ごもった。
そんなバカな。
「水無月、頼むって……! おれら、本当に家に帰れなくなっちまうんだよ」
「そ、それはそうなんだけど……」
水無月は視線をうろうろさせ、やがて悲しそうな顔で僕を見上げた。
「ここで僕が『うん』って言ったら、もうベリショくんとは会えなっちゃうんだよね……?」
僕の脳の裏側でピシャーンという、稲妻が落ちるような音が聞こえた。心音が速くなってくる。
だから、そういう表情でそういうことを言うのは、反則だというのに。
いや違う。違うんだ。
これは。BL香炉のせいでそう思うんであるからして。
「ねえねえ、僕は?」
自分自身に言い訳をしつつ一人で懊悩していると、浅葱が挙手をした。
「僕は……って、何がだよ」
「香炉探し選手権の、首位争い。僕、ベリショくんとメイが生徒会室前にきたときから、甘い香りがすることに気付いてたよ。香りの元が生徒会室にあるだろうな、ってことも気付いてたし」
浅葱は得意げに主張する。
何でこいつはこういう面倒なときに、面倒なことを言い出すのだろう。
頼むから、サクッと帰らせて欲しい。
「気付いてた、ってだけじゃ駄目だろ。
それにそんなの、後から何とでも言えるじゃん。
第一、お前が一番に香炉を見つけたとして、一体何の得に……」
そこまで言って、唐突に思い出した。
こいつがメガネに、一番にBL香炉を見つけたら付き合ってくれ、と言っていたことを……。
「いや駄目だって! お前はナシだって!」
「ええ、何でさ。僕だけ仲間外れなんて、酷いじゃない」
「仲間外れだろうがなんだろうが、お前は駄目なの! 誰がなんと言おうと!」
必死で言い募っていると視界の端に、腕を組んで何かを考え込んでいるメガネの姿が映った。
お前の貞操の為に僕がこんなに頑張っているのに、その無反応さは一体何事だ、と腹が立ってきた。
「おい、お前も何か言えって」
メガネの背中を小突くと、彼は顔を上げた。何時になく、神妙な表情をしている。
「おれが思うに……」
メガネが口を開いた。今まで聞いたことがないくらい、真面目な口調だった。
思わず固唾を呑んで、その続きを待った。
「実は、雅ちゃんの好きな人にはお香の効果が現れていたのに、雅ちゃんがそれに気付かなかっただけ、というのはどうだろう」
……一瞬何の話をしているの分からず、呆然としてしまった。
先ほどの桜崎の、気の毒な失恋の話をしているのだと気付いたときには、無意識に手が出てメガネの頭をはたいていた。
「いってえなあ。何すんだよ」
「今は、その話はしてないだろうがよ! 元の世界に帰れるかどうかの瀬戸際だってこと、本当に理解してんのか?」
「理解してるよ。でも、雅ちゃんのことも気になるじゃん。
それともベリショ、お前は自分のことさえ良ければ、それでいいのか?」
メガネの言葉が心臓のど真ん中に食い込み、僕はウッと詰まった。
確かに、失恋したなんていう辛い過去を告白したのに、その話題をサラッと流したんじゃ、桜崎に失礼だ。
メガネの言うとおり、自分のことしか考えていなかった。
急に、桜崎に申し訳なくなってくる。
「……悪かったよ……。で、桜崎がどうしたって?」
僕は素直に、自分の非を認めることにした。
「ちょ……っ、僕のことはもういいですよ……!」
割り込んでこようとする桜崎を、メガネは制した。
気が付けば、ピコカンも水無月も浅葱も、メガネに注目している。
「雅ちゃんがさっき、このお香を試してみてもどうもならなかった、って言ってたじゃん?
でもさ、恋愛感情の表し方なんて人それぞれなんだし、もしかして雅ちゃんの好きな人は、外からでは恋愛感情が分かりづらい人だったのかもよ。
すなわち、雅ちゃんの好きな人に香の効果は現れてたんだけど、雅ちゃんがそれに気付かなかっただけ……。
という仮説も立てられると思うんだけど、どうよ」
友人の、ここに来てからの一番の長台詞に、僕はなるほどと首を縦に振った。
確かに浅葱は、何を考えているかさっぱり分からない奴だ。
もしかしたら、メガネの言うとおりかもしれない。
現に浅葱は、これだけ香が充満しているこの部屋にいても、いつもと全く変わらない態度でいるのである。
メガネの説も、あながち外れていないかもしれない。
「な、慰めは結構です。僕は本当に、全く相手にされていないんですから……!」
桜崎は、固い表情でそう言った。
「本人に確かめたの?」
「は……?」
首を傾げて問うメガネに、桜崎は顔をしかめた。
「確かめてないんだ?」
「確かめる必要もないじゃないですか……!」
口調に苛立ちが混じり始めた桜崎とは対照的に、メガネはにこやかである。
「本人に聞いてみないと、そんなの分かんないよなあ?」
メガネはぐりっと首を回し、こちらを見た。
その目が、「お前も乗って来い」と言っている。
面白い展開になりそうな予感がしたので、僕は乗ってやることにした。
「うんうん、桜崎の早とちりってこともあるよな」
「だよなあ? 決め付けはよくないよ」
腕組みをして僕が言うと、友人はすぐさま呼応してくる。
こういうときのみ、僕たちは抜群のコンビネーションを発揮するのだった。
「やっぱ、本人に確かめるべきだよ」
メガネは桜崎の両肩に、手をポンと置いた。
「てことで雅ちゃん、告白しちゃおうよ。その、好きな人にさ」
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