■キリン耳とネコ耳の話 20■


「そ、それじゃあ、ベリショくんもメガネくんのことを……?」
「い、いや! おれは違うよ! 違うに決まってんじゃん!」

 不安そうな表情をする水無月に向かって、僕は必死に否定した。

「何だよ、無理すんなよ」

 メガネはニヤニヤしながら、僕の肩を抱いてくる。
すぐさま、その手を振り払った。

「アホかお前! ピコカンの思う壺じゃねえか!」
「いいじゃん別に、思う壺でも」
「よくねえよ! つうか、BL香炉を探してんだろ、俺ら!」

 僕の必死の絶叫に、メガネは「おお、そうだった」と、指を鳴らした。
 良かった、どうにか本題に戻ってこれた。……危ないところだった。

「……この香り、生徒会室の中から来てるんじゃないかな」

 水無月が、生徒会室の扉を見やった。
確かにそう言われると、そんな気がしてくる。

「でも、おれたちは生徒会室からスタートしたのに……。スタート時は、匂いなんかしなかったよな?」
「まあまあ、とにかく入ってみようぜ」

 なんとなく腑に落ちない僕の肩を、メガネが叩いた。
 そうだ、とにかく行ってみないことには始まらない。
ここで香炉が見つかれば、僕たちは元の世界に帰ることが出来る。
すなわち、全てから解放されるのだ……!

 明るい未来を目指し、僕は生徒会室の扉を開けた。



 中に入った途端、濃厚な甘い匂いが、室内からどっとあふれ出してきた。
眼にしみるほどの香りだ。

「……この中にある、で正解みたいだな」

 僕は、生徒会室の中を見回した。
 そしてそこに、ひとつの人影を見つけた。

「あれっ、桜崎?」

 窓際に、桜崎が立っていた。
大きな出窓にもたれ、手に何かを持っている。
眼をこらして見ると、それは白地に裸の少年が描かれた、手のひらサイズの陶器の器だった。

「BL香炉じゃん」

 メガネが指をさした。
「げえっ!」

 僕が悲鳴をあげると、友人は、「ひき潰された蛙の声みてえ」と笑った。

「メガネ、笑ってる場合かよ! 桜崎が香炉を見つけてるってことは、おれたち、元の世界に帰れないんだぞ!」
 
 泣きそうになりながら、僕は叫んだ。
 もう駄目だ。終わった。
僕たちはここで、第二の人生を送らなければならないのだ。
この、ボーイズラブの世界で!

  それ以前に、家も金も何もなくて、これからどうすればいいのだろう。
あっちの世界に残してきた、家族や友人にはもう会えないのだろうか。
そんなの理不尽すぎる。僕が何をしたっていうんだ。

「まあまあ、そう悲観すんなよ」

 メガネが、ネコ耳をぴこぴこさせながら、頭を抱える僕の顔を覗き込んだ。

「今悲観しないで、一体いつ悲観するってんだよ!」

 怒鳴ると、メガネは真面目な顔で手を握ってきた。一瞬ドキッとする。

「頑張って、二人で生きて行こうぜ」

 メガネのまっすぐな視線だとか、意外と力強い手の感触だとかに一瞬ホワンとなりかけたが、僕はすぐに我に返った。
彼の手を、力任せに振り解く。

「アホか! リアルに路頭に迷いかけてんだぞ!」
「まあ、そういう考え方もあるよね」
「そういう考え方しかねえよ!」
「でも、まだ終わったわけじゃないかもよ?」

 そう言って、メガネは桜崎の方に向き直る。

「ねえ、雅ちゃん。その香炉を一番に見つけたら、会長さんが何でも願いごとを聞いてくれるらしいんだけどさ、何をお願いすんの?」

 メガネは、明るい口調で問いかけた。
桜崎は香炉を注視しながら、

「……別に、何も」

 と呟いた。
抑揚のない口調はいつもと同じだったが、何処となく違和感を感じた。
なんとなく、元気がないような……。

「だったら話は早いや。そのBL香炉、おれたちが一番最初に見つけた、ってことにしてくれないかな」

 メガネの言葉に、僕の脳内にまぶしい光が射した。
そうか、その手があったか。
 特に願い事がないのなら、桜崎にとって自分が一番最初に香炉を見つけたという事実は、さして重要ではないはずだ。

「メガネ、お前あったまいいな!」

 今度は僕がメガネの手を、力いっぱい握り締める番だった。
彼の笑顔が、比喩でもなんでもなく輝いて見える。

「でしょ? おれだってやるときはやるっしょ?」

 メガネも、がっしりと僕の手を握り締めてくる。

「聞きましたよ!」

 いい雰囲気になりかけていた所に、耳障りな高い声が割って入って来た。
僕は、上がりかけた体温が、すうっと下がっていくのを感じた。

「ベリショさんにメガネさん、ズルは駄目ですよ、ズルは! 僕はちゃんと見てるんですからね!」

 何処からか現れたピコカンが、僕たちの頭上をグルグルと旋回していた。

「あらら、ばれちゃった」

 メガネは残念そうに、ため息をついた。

  一方僕はこの状況を打開する、何かいい方法はないかと、脳細胞をフル稼働させていた。
 ……しかし、全く思い浮かばない。
仕方ない、最後の手段だ。僕は、きっとピコカンを睨んだ。

「お前、そもそも話がおかしいだろ!
何でおれらが、BL香炉を最初に見つけられなかっただけで、帰れなくなるんだよ!
BL香炉を見つければ、帰してくれるっていう話だっただろ! この詐欺師!」

 困ったときは、熱意と勢いで押し切れ。我が家の家訓である。
 僕は更に、握りっぱなしだったメガネの手を引っ張った。

「それにお前、BL香炉の影響でおれとメガネをくっつけようとしてた、って言ってたよな。
ほら見ろよ、十二分にラブラブだぞ。これで満足だろが!」

 僕はヤケになって叫んだ。

「うーん、もっと進展したところが見たいですよね。観客としては」
「知ったことか!」

「ベリショくん、やっぱりメガネくんのこと……」

 水無月がショックを受けたように、眼を見開いた。

「い、いや、その……。
あの、話がややこしくなるんで、水無月はちょっと席を外してくれたりすると、嬉しいんだけど……」

 うっかり漏れてしまった僕の本音に、水無月の表情が変わった。
カチン、という音が聞こえてきそうだった。
しまった、と思ったときにはもう遅い。

「何、その言い草……!」

 水無月の大きな眼が燃えている。恐ろしい。
僕は、自分の愚かさを呪った。口は災いの元。基本中の基本だ。

「……僕が見つけたわけでは、ありません」

 ぽつりと、静かな声が場に落ちた。
 その場にいた全員が、一斉に声の主……桜崎の方を見た。
彼は香炉を窓辺に置き、はっきりとした口調でこう言った。

「そもそも、生徒会室からこの香炉を持ち出したのは、僕です」

「な……っ」

 僕は絶句してしまった。
桜崎が、香炉を持ち出した犯人だったって?

「あっれー、僕じゃなかったんだ」

 僕のすぐ隣から声がした。
そちらを見るといつの間にか浅葱が立っていて、僕は飛び上がった。

「あ、浅葱。いつの間に……!」

 心臓を押さえる僕に、浅葱は無駄に色っぽい笑みを浮かべた。

「実は、ずっと尾けてたんだよね、ベリショくんたちのこと」
「なっ、なんだって!」
「ひとりで探し物をするより、そっちの方が面白いかなって。案の定、すっごく楽しかったよ、色々と」

 浅葱は微笑みながら、右手に抱えている紙袋からハートの形をしたパンを取り出し、僕に向かってウインクした。
誰か、僕とこいつを殺してくれ。

「桜崎くん、何でそんなことを……。生徒会室のものを勝手に持ち出すなんて、きみらしくない……」

 水無月の声に、僕は気を取り直して桜崎の方に向き直った。
確かに、そこは聞いてみたいところだ。
香炉のデザインが気に入った、というわけでもなさそうだし。

 桜崎は、その質問に答えようとしなかった。
難しい顔をして、虚空を睨みつけている。

「雅ちゃんはこのお香の、縁結びの効果に気付いた上で、持ち出したの?」

 メガネの突然の質問に、桜崎は眉を寄せ、一瞬視線をさまよわせた。
それから小さな声で、 「……ええ」  と、頷いた。

「へえ、よく気付いたね」

 浅葱は先ほど取り出したハートのパンを、むしゃむしゃと食べ始めていた。
今この場にいる人間の中で、一番緊張感がないのはこいつだと思う。

「多分、会長は覚えてらっしゃらないと思いますが、会長があの香炉に気付かれた際に、
『いい香りだから、お客様が来る場所に置こう』
とおっしゃったので、僕が応接室に移したのです」

 僕たちは浅葱の顔を見た。
生徒会長は目を瞬かせながら、ニコッと微笑んだ。

「うん、全然覚えてないや」

 本当に、何でこんな奴が生徒会長なのだろう。周囲のまともな人間が、気の毒すぎる。

「掃除当番の生徒たちが応接室に入るたび、妙に……その、親しくなって出て来るので、何か変だなと思っていました。
そういうことが一週間ほど続いた時点で、もしかしてこの香炉が原因だろうかと思い至りました。それで、校内の色々な場所に置いて試してみて、確信しました」

 うんうんと頷きながら、僕は内心首を捻っていた。
つまり桜崎は、香炉の効果を試すために持ち出した、ということだろうか。
何となく、納得が行くような微妙なような……。

「桜崎がそれを持ち出したのは分かった。
けど、宝探し大会が始まる前、おれたちが香炉を探してるって知った時点で、香炉を返さなかったのは何でなんだよ」

 僕は、ややとがった口調で言った。
 もっと早い時点で彼が自白していれば、僕たちは激動のアフタースクールを過ごすこともなく、円満に元の世界に帰れていたのだ。

「……言い出しにくかったので……」

 桜崎は、申し訳なさそうに呟く。
確かに、言い出すタイミングを逃してしまって、その後ズルズルと行ってしまうということは、よくある。
しかしその桜崎の逡巡のおかげで、えらい目にあった僕としては、腹の虫が収まらない。

「ていうか雅ちゃん、好きな人と自分とで、その香炉の効果を試したよね?」
「は?」

 脈絡のないメガネの言葉に、桜崎は虚を突かれたように顔を上げた。

「いやだって、普通試すよね。惚れ薬の効果を持つお香がある、なんて知ったらさ」

 ねえ? と同意を求めるように、メガネは視線を巡らせた。
浅葱が笑いながら、「試す、試す」と頷く。
 メガネは向き直り、桜崎を指差した。

「試したっしょ?」
「な……っ」

 桜崎は、言葉を詰まらせた。頬が赤らんでいる。

「た、試してませんよ……っ!」

  視線が、明らかに泳いでいる。
 意外なことに、桜崎は嘘をつくのが下手らしい。なんとなく、親近感を覚える。

「やっぱ試したんじゃん。どうだった? ラブラブになれた?」

 メガネは桜崎の動揺などお構いなしに、どんどん踏み込んでいく。
 桜崎、お気の毒に。
こいつは、むちゃくちゃしつこいのである。
僕は心の中で、彼に向かってにそっと手を合わせた。

 どうだった? どうだった? と何度も聞かれて、桜崎はヤケになったように、こう吐き捨てた。

「……どうもなりませんでしたよ!」

「おお、やっぱ試したんだ」
 メガネは満足げに頷いた。
 桜崎が意外とあっさり認めたことにも驚いたが、それ以上に、どうにもならなかった、という彼の言葉に驚いた。

 僕は、横目でちらりと浅葱の顔を見た。
 桜崎の好きな奴って、浅葱だよな?

 今までの彼の態度などから総合して、そこは鉄板であると思う。
香炉が浅葱に全く効かなかったとは、意外だ。
メガネに「付き合って」とか言い出すくらいだから、惚れっぽいのだと思っていた。

「どうにもならなかった、って……。何も起こらなかってことか?」
 僕が質問すると、桜崎は頷いた。

「ええ、見事なまでに、何も。お陰で、自分が全く相手にされていないことを思い知りました。……前から分かっていたことですけれど」

 彼は自嘲気味に笑った。何もかもどうでもいい、といった感じでもある。

 効果を実証済みの縁結びのお香をもってしても、好きな人に振り向いてもらえなかった……というのはきつい。
僕だったら、恐らく三年は立ち直れない。
桜崎のことは苦手だが、その点は同情してしまう。