■キリン耳とネコ耳の話 19■


「お前、もうちょっとソフトに声かけろよ……! すんごいびっくりしたっつうの」

 メガネ相手なら、スラスラと言葉が出てくる。
僕はこっそりと、額に浮かんでいた冷や汗を拭った。

「……で、紅は撒けたか?」
「余裕で。いやあ、全力で走るって気持ちがいいね」

 メガネは笑って、大きく伸びをした。その手には、しっかりとデジカメが握られている。
ちゃんと守り通してくれたらしい。
「じゃ、そのデジカメ貸して」
「はいよ」
 僕は友人から受け取ったデジカメに、視線を落とした。

「ええと……電源、電源」

 デジカメを回したりひっくり返したりしてみるが、ボタンが多すぎでさっぱり訳が分からない。

「……ベリショ。何がしたいんだ、お前」
「いや、この中に入ってる写真を消したいんだけど……どうやったらいいんだ? これ」
「若人なんだから、デジカメくらい使えるようになった方がいいよ」

 メガネはそう言って、背後から手を差し出してきた。貸してみろ、ということらしい。
しかし写真が写真なだけに、僕は躊躇してしまう。

「何だよ、貸せって」
「い、いやあ……その……水無月、お前分かるか?」

 僕は水無月の方を向いた。
彼は「えっ」と、身体をすくませ、僕から眼をそらす。
メガネの出現で多少は落ち着いたみたいだが、依然として様子がおかしい。

「おれがやってやる、って言ってんのに、メイちゃんに頼むってどういうことだコラ」
 メガネは少しムッとした口調で言い、僕の後ろ頭を指で弾いた。

「ご、ごめん……。僕も機械とか、あんまり分からなくて」

 水無月は眼をそらしたまま、申し訳なさそうに小声で呟いた。
 僕は息を吐いた。内々で処分してしまおうという、僕の考えは甘かったようだ。

「だから、おれがやってやる、って言ってんじゃん」

 再度、メガネが手を差し出してくる。
ネコ耳な友人とデジカメを交互に見ながら、それでも躊躇していると、メガネが笑った。

「もしかして、恥ずかしい写真?」
「ち、ち、ちげえよ!」

 思わず動揺を露にしてしまった。正直なこの身が憎い。
「はい、図星決定ー!」
 案の定メガネにもバレバレで、「見せて見せて!」とまとわりついてくる。

「絶対嫌だ!」
「何だよ、どうせお前、操作方法分かんないんでしょ? 笑わないからさ、貸しなさいってば」

 笑わない、と言った側からニヤニヤしている。最低だ。
しかし、操作方法が全く分からないことも、このままではにっちもさっちも行かないことも事実である。

「水無月、いいかな……。こいつに頼んでも」

 確認すると、意外にもしっかりした口調で、「うん。メガネくん、お願い」 と返って来た。

「……メガネ、絶対笑うなよ。笑ったら今後一週間、昼飯おごれよ」
「オーケイオーケイ、何ならデザートもつけちゃうよ」
「冷やかしも無しだからな!」
「しつこいな。ジェントルマンなおれが、そんなことするわけないだろ」

 全く説得力がないが、僕は彼の掌に渋々デジカメを乗せた。
自分の手から離れた瞬間、早くも奪い返したくなったが、必死で我慢した。

 メガネはデジカメを手早く操作し、「んん」と、小さく声をあげた。

「消すのって、これ?」

 差し出されたデジカメの画面を覗き込むと、夕焼けの中で密着している自分と水無月が目に入り、この場から逃げ去りたくなった。

「うん、それ……」

 消え入りそうな声で僕が呟くと、

「これって、どういう状況よ」

 と返って来た。詰問するような口調だ。機嫌が悪そうな感じもする。
 ……何で、こいつが不機嫌になるんだ?

「ええと……それはですね……」

 僕は頭を掻いた。
まさかメガネがこんなふうにつっかかってくるとは、予想だにしていなかったので、咄嗟に言葉が出て来ない。

「……僕が、ベリショくんに告白したんだよ」

 水無月が、きっぱりとした口調で言った。

「マジで!?」

 メガネは驚いたように眼を見開いた。
何とかこの場を誤魔化せないか、と思案していた僕も相当びっくりした。水無月がここで、直球を投げてくるとは思っていなかったのだ。  

 友人は僕の肩を突付き、「マジで?」と、もう一度聞いて来た。
頭のネコ耳が、ピンと上向きに立っている。

「う、うん……マジで」

 メガネに圧倒されつつ、僕はもごもごと歯切れの悪い返事をした。

「ふーん、へえー」

 メガネの視線に、非難の色が混じっている気がして、僕はとりあえず

「ご、ごめん」

 と謝った。謝る必要なんてないはずだが、そんな顔をされたら、謝らずにはいられない。

「……ベリショくん、メガネくんとは何もないんじゃなかったの?」

 ムッとしたような水無月の声が割り込んできて、僕は慌てて首を横に振った。

「いやだから、ないって! あるわけないじゃん。なあ、メガ……」

 そう言って振り返ろうとしたら、突然メガネが抱きついてきた。

「な、何やってんだお前!」
「いやあ、分かんないんだけど、何か発作的に」

 メガネは首をかしげつつも、両手はがっしりと僕の腰と背中をホールドしている。

 信じがたいことに、心臓がドキドキしてきた。
今まで冗談やネタとして、幾度となくこいつと抱き合ってきたが、そんなことは一度もなかったのに!
 僕の心臓は、何かおかしな病気にでもかかってしまったんじゃないだろうか。

「メ、メガネくん! 何でそんなにベリショくんにひっつくくのさ!」

 水無月は僕からメガネを引き離そうとしたが、メガネはスッポンの如く食らい付いて離れない。

「うーん、急にベリショに触りたくなってきたんだよね。何だろね、これ。発情?」

 メガネは、世にも恐ろしい言葉をさらっと吐いた。僕は、全身の血の気が引いていくのを感じた。

「メガネくんも……ベリショくんのことが好きなの…?」

 更に恐ろしい言葉が、水無月の口から発せられる。
ちょっと待ってくれ。この流れは、一体どういうことだ。何から何まで、おかしなことだらけじゃないか。

「ん? そりゃ好きは好きだよ。中学のときから、ずっとつるんでんだもん。なあ、ベリショ?」

 僕の口からは「お、おお」という、呻きとも相槌ともつかない声が漏れるだけだ。
頼むから、僕に話を振らないでくれ。

「そういうことじゃなくて……。恋愛って意味で、ベリショくんのことが好きかどうか、ってこと」

 やきもきしたように、水無月はメガネを見上げた。
友人は言われたことを理解したように「ああ」と頷き、僕の腰から手を離した。

 解放されてほっと息をついていると、今度はメガネの両手が僕の顔を挟み込んできた。
僕はまた絶叫しそうになった。

「うーん……」

 メガネは、僕の顔を確かめるように、じっと凝視してくる。
いつも見ている顔なのに、全く知らない人間のように見えるのは、一体なにごとだろう。

 胸の奥らへんが、キュンと鳴ったような気がする。
僕は即座に死にたくなった。
よりにもよってメガネにキュンとくるなんて、あってはならない事態だ。

「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」

 このままではヤバイと思った僕は、メガネの肩を掴んで引き剥がした。

「メガネ、お前何か変だって! 短時間で、キャラがガラッと変わってるぞ」
「そう? いつものおれだと思うけど」

 メガネは無自覚なようだった。本当に心当たりがなさそうな顔をしている。

「いつものお前なら、おれが水無月に抱き付かれてても怒らないし、やたらとおれに触りたがったりもしないだろうが」

 僕はメガネに噛んで含めるように、じっくりと言い聞かせた。
メガネは腕を組み、「確かに……」と考え込む。

「なーんか妙に、ベリショにキュンと来ちゃうんだよね。お前、そんなに可愛かったっけ?」

 何を言い出すんだ、こいつは。
 僕は、口をぱくぱくさせた。メガネは構わず、更に続ける。

「それを言うなら、お前もキャラ変わってない?」
「お、おれの何処が……」

 と言いかけて、口をつぐんだ。

 確かに、この世界に来てからこっち、僕も段々おかしくなってきている。
どう見ても男に見えない水無月を意識してしまうのはまだ、まあ……百万歩ほど譲って納得しよう。
しかし、メガネにキュンと来るのは有り得ない。病んでるとしか言いようがない。

「……ベリショくん!」

 水無月が、腕を掴んできた。怒りを含んだ眼で、僕を見る。

「メガネくんと本当に何でもないなら、さっきの返事、今すぐちょうだい」
「……えっ? さっきと言ってることが違……」

 僕のささやかな抗議は、一瞥の元に速やかに却下された。
水無月の視線が、バシバシと顔や耳やツノに刺さってくる。
僕は再び、窮地に立たされた。

「ああ、分かった!」

 唐突にメガネが声をあげた。

「な、何が分かったんだよ」
「匂いだよ、匂い。ほら、何か甘い匂いがする」

 そう言ってメガネは、鼻をひくひくさせた。

「匂い……? あ、ほんとだ」

 確かに、鼻の奥にへばりつくような、濃厚な甘い匂いがする。
 ここのところの目まぐるしい展開について行くのに必死で、嗅覚への注意を完全に怠っていた。

「これ……、BL香炉の匂いか?」

 僕は鼻をつまんだ。意識しだすと、なんとも鼻につくしつこい匂いだ。
トイレの芳香剤にバニラエッセンスを加えたような、そんな感じだった。

「みたいだね。なるほど、おれがベリショにときめくのは、BL香炉の影響なわけね」

 メガネはうんうん、と頷いて納得しているが、僕はどうしても理解が出来ない。

「で、でもよ、別におれたちホモでもなんでもないのに、何でBL香炉なんかの影響を受けるんだよ」
「BL香炉って、ひとの好意を増幅させるんだろ。
友情も好意じゃん。友情が突き抜けたら、恋愛にもなるんじゃねえ?」

 軽い口調でメガネは答えた。
 その言葉を僕が呑み込むまでに、少し時間がかかった。

 ええと……つまりは、だ。
 メガネにキュンときてしまったのは香炉の効果であり、つまり今の僕はメガネのことが……。

「うわあああっ! それはヤバイ! それはヤバイって!」

 僕は慌ててメガネから離れた。
 そんな、まさか、そんなことが許されるはずがない。

「ゆ、友情と恋愛は別物だろ! 友情の延長線上に必ずしも恋愛があるとは……」
「その辺は、個人差もあるんじゃないの」

 完全に取り乱している僕とは裏腹に、メガネは至極冷静だ。
 ということは何だ。健全だと思っていた僕たちの友情の先には、禁断の恋愛世界が待ち受けていた、ということなのか?

そんな馬鹿な。
信じられない。
信じたくない!

「そんなわけで、メイちゃん。おれ、ベリショに惚れちゃってるみたい」

 あっけらかんと笑いながら、物凄く気軽に、えらいことを言いやがった。
そしてまた、その笑顔をかわいいと思ってしまった自分を、即座に撲殺したくなった。