■キリン耳とネコ耳の話 17■


「ベリショくん!」

 よく通る声が、耳に飛び込んできた。
息を切らしながら、水無月が走ってくるのが見える。

「やっほー、メイちゃん。会長さんには会えた?」

 メガネが手を振るが、水無月には聞こえていないようだった。
頬を上気させ、何処か切羽詰ったような表情をしている。

「ベリショくん、ちょっとこっちに来て!」

 突然思い切り腕を引っ張られ、僕はバランスを崩して転倒しかけた。

「え……っ、来てってあの……水無月?」
「いいから!」

 水無月は有無を言わせぬ口調で、ぐいぐい僕を引っ張っていく。

「メ、メガネ……!」
「おれ、便所行って来るわ」

 友人は非情にも、さっさと背を向けて行ってしまった。
なんという薄情さ。そんなことだから、僕にフラれたことにされるんだ!


 僕は、空き教室に押し込められた。
水無月は珍しく、荒々しい動作で扉を閉め、険しい顔で詰め寄ってくる。

「ベリショくん!」
「は、はい」

 僕は身をすくませ、小声で答えた。
水無月が恐い。

「これ、本当なのっ?」

 烈火のような勢いで、例の号外を突きつけられた。
  またこれか!
 脳裏に、紅白兄弟の顔が浮かぶ。
やることなすこと、いちいちややこしい兄弟だ。

 腰に手を当て仁王立ちの水無月に睨まれると、母親に怒られる子どものような心境になってしまう。

「い、いえ。デマばっかりっす、はい」

 内心びびりながら口元に愛想笑いを貼り付けていると、水無月の顔から力が抜けて行った。

「……デマ、なの?」

 そう言って僕を見上げる表情は、いつもの水無月だ。僕はほっとした。
 しかしこの号外の何処を見て、彼はあんなに怒ったのだろう。

「香炉探しが終わったら、また転校して行っちゃうっていうのも、デマ?」
「あ、いや。それは本当だけど」

 実際は、僕とメガネが一番に香炉を見つけないといけないのだが、その辺の説明は面倒なので省いた。

 すると、水無月の顔色が一変した。また、激怒したおかんに逆戻りだ。

「やっぱり、本当なんじゃない!」
「はいっ、すみませんでした!」

 反射的に、腰を折って謝った。
しかし、水無月の怒りは収まらない。

「転校するなんて……何で、言ってくれなかったのさ!」
「す、すんません! 本当にすんません! すんませんっした!」

 どんどん峻烈になっていく水無月に、僕は平身低頭謝り倒した。
何が悪いのか自分でもよく分からないが、ここは平謝りだ、と本能が告げていた。

「一言、言ってくれたって……」

 水無月の口調が、急にトーンダウンした。
下げっぱなしだった頭を恐る恐る上げてみると、水無月は肩を落としてうつむいていた。

「み、水無月さん……?」

 彼の顔を覗き込もうとしたが、よく見えない。ただ、肩が小刻みに震えているのが分かる。

「何で、何も言ってくれなかったの……?」
「えっ、いや……あの、別に他意があったわけでは……」

 急転直下の水無月のテンションに、しどろもどろになりつつ答える。
一体、何がどうなってるんだ。

「どうしても、転校しなきゃ駄目……?」

 かすれた声で呟きつつ、水無月は顔を上げる。その瞳が濡れていて、僕は思わず後ずさった。

 えっ、何コレ? 何がどうなってんの?

「いやあの、うん、転校しないと駄目、かなあ……」

 頭と口が、まともに動かない。汗もかいてきた。

「……行かないで!」

 懇願するような口調と眼で訴えられ、僕は更にアワワとなった。

「ベリショくんと、離れたくない……」

 水無月の声が、半分泣いている。 僕も泣きたい気分だった。

 頭の奥で、非常ベルのような音がガンガン鳴り響く。
この流れは危険だと、僕に警告している音だ。
危険なことは充分に承知しているが、どうすればそれを回避できるのか、僕には全く分からない。

「……周りから姫扱いされるのだって、本当はうんざりだったんだ。でも、ベリショくんは僕を全然姫扱いしなかった」

 突然話が変わった。僕は、ついて行くのに必死である。

「いえあの、それはおれだけでなく、メガネも同じだと思……」
「凄く、嬉しかった……」

 遠慮がちにメガネを持ち出してみたが、あっさり無視された。
 水無月は胸の辺りで手を握り締め、今にも泣きそうになるのをこらえているような、そんな表情をしている。

 鼓動がどんどん早くなる。頭の中の非常ベルも、ますます大きくなってきた。  

 気が付けば陽が随分と傾いていて、夕日が教室全体を橙色に染めていた。
勿論、水無月も橙色だ。長い睫毛が陽に透けて、金色に見える。

  ちょっと待て。いつの間にこんな、ムード満点な時間帯になったんだ。

「今まで、ベリショくんみたいなタイプ、周りにいなかったし」
「あの、水無月……ちょっと待っ……」
「ベリショくんって、しっかりしてるようでちょっと頼りなくて、何か目が離せないっていうか」

 水無月が、僕の顔を見る。まともに、視線が合ってしまった。
潤んだ、熱のこもった眼がまっすぐにこちらを見ている。

「ベリショくん、僕……」

 やばい。やばい。やばい。
 口を開こうとするが、顎の関節が固まってしまったように、全く動かない。

「僕、ベリショくんのことが好きなんだ……!」

 あああ!  言っちゃったよこの人……!

 ものの例えでも何でもなく、目の前が真っ白になった。
そのまま倒れてしまいそうになるのを、どうにか気力を振り絞ってこらえる。

 会話の途中から、なんとなく予想がついていたとはいえ、ショックなことには変わりない。自分の頭からキリンの耳とツノが生えたときよりも、遥かに大きな衝撃だ。

「……メガネくんの方がいい?」

 水無月が、距離を詰めてくる。僕の鼓動のビートは、うなぎ上りだ。

「いや、あの……だ、だからメガネは関係ないから。いいとか悪いとかないから」

 やっと口が動いた。しかし舌がもつれて、まともにしゃべることが出来ない。

「それじゃあ……」

 あろうことか、水無月は僕の胸に飛び込んできた。驚きすぎて、声も出ない。

「僕じゃ、駄目かな……?」

 水無月の顔が、異常なまでに近い。息もかかる距離だ。長い睫毛に乗っている涙の水滴が、はっきりと見える。

「いやそのえっと、水無月は浅葱のことが好きだって聞いた、んだけど…」
「……それは、周りが勝手に言ってることだよ。青磁は、ただの幼なじみ」

 水無月は少し憮然としたように、軽く眉を寄せた。そんな仕草も、全く男くささを感じない。
 ……何というか、同性にこんな表現を使いたくないが、恐ろしく色っぽい。
 そんな顔で、潤んだ瞳と上目遣いってのは卑怯なんじゃないのか。この畳み掛けるようなコンボ攻撃に抗える男がいたら、僕はそいつを師匠と呼んでもいい。

 ……いや、違う。
ここは、ごめんなさい、と言うところだ。
相手を傷つけずまろやかに、かつ期待を持たせないように断るべきシチュエーションだ。

 しかし、僕は水無月から目をそらすことが出来ない。それどころか、心音がさっきよりも速くなってきた。これ以上速くなったら、死んでしまうんじゃないだろうか。

  水無月は頬を赤らめて、僕をじっと見つめている。
 駄目だ。言葉が出てこない。

 僕は一体、どうすればいいんだ! 誰か教えてくれ!

 そのとき、水無月の肩越しに、白い光が弾けた。
次いで、

「やった、スクープだ!」

 という、嬉しそうな声。
 水無月が、慌てて僕から身体を離した。
ホッとし……てる場合じゃない。

 戸口のところに、真っ白と真っ赤な頭が並んでいるのが見える。
またあの兄弟だ。
水無月が、顔を青くする。  ……最悪の展開だ。

「白、ちゃんと撮ったか?」
「もちろん、ばっちり」

 白が、親指を立てる。僕は大股に、彼らの方に近付いた。

「あ、ベリショさん。さきほどのラブシーンに至るまでの、経緯を教えてよ! ついさっき通りかかったもんで、成り行きがさっぱり」

 嬉しそうに笑う紅はとりあえず無視して、白に飛びつくように掴みかかった。
彼はバランスを崩して倒れ、僕はその上にのしかかって、詰め寄った。

「おら、カメラ出せよ!」

 白はもがくが、体格ではこちらが勝っているし、何より僕は彼以上に必死だった。

「何ですか、真実を告げるのが僕らの仕事ですよ……っ」
「お前らがやってるのは、捏造と偏向報道とプライバシー侵害だろ! マスコミの悪いとこばっか、真似しやがって!」

 こういう奴が将来、マスコミ関係に就職でもしたら、日本のお先は真っ暗だ。
 ん? ここは異世界なんだっけ?
 いや、今はそんなことどうでもいい。

「とっとと、カメラをこっちに寄越せ!」
「嫌ですよ、折角のスクープ画像なのに」
「てめえ、この野郎…!」

 僕は拳を固めた。しかし白は平然としている。

「それに、カメラなんて持ってませんし」

 白は、両手をひらひらと振ってみせた。
いつの間にか、デジカメが消えている。
慌てて彼のズボンのポケットを探ってみたが、入っていない。

「お前、何処に隠し……」

 そこで、ハッと気付いた。
 立ち上がって急いで廊下に出ると、十メートル以上先に、ダッシュする赤い後ろ頭が見える。
その手には、シルバーのデジカメが握られている。

「ああああっ!」

 やられた!
 いつの間にか、デジカメは紅の手に渡っていたらしい。

「僕たちのコンビネーションを、舐めないで下さい。これで……」

 白の言葉を最後まで聞かずに、僕は地面を蹴って走り出した。

 胸を張って言えるが、僕はあまり足が速くない。
対して紅は俊足で、どんどん引き離されていく。
地の利は向こうにあることだし、このままでは振り切られてしまう。

 そのとき、紅の進行方向にあったトイレから、メガネが出て来た。

「メガネ!」

 神々しいまでのナイスタイミングにいささか感動して、僕は友人を呼んだ。

「あ、ベリショじゃん。ハンカチ持ってない? おれ、忘れたっていうか、端から持って来る気がなかったっていうか」
「そんなことはいいから、そいつを捕まえろ!」

 僕が叫んだ瞬間、紅がメガネの側を走り抜けた。

「そいつ?」
「新聞部の、赤頭だよ!」

 前を走る紅を指差して必死に叫ぶと、メガネは「おお!」と声を上げ、走り出した。

「おらあ、待てやあ!」

 メガネの走りは、「疾走」という表現がぴったりだった。
腕の振り、足の上げっぷり、どれを取っても素晴らしい。

「うわっ、何だお前!」

 メガネの勢いに圧倒されたのか、紅は悲鳴じみた声を上げた。

「食らえ!」

 メガネはたちまち紅に追いつき、腰にタックルを食らわせた。
二人はもつれ合うようにして、廊下に倒れこんだ。