■キリン耳とネコ耳の話 16■


「ここが会長のクラスみたい、だね」

 二年E組の前に着き、メガネは歯切れの悪い口調で言った。
彼が言い淀むのも分かる。
二年E組の中はバラ園以上に大勢の、香炉を探す生徒たちで溢れ返っていたのだった。

 考えてみれば、この宝探しを企画したのは浅葱なのだから、香炉を隠したのも生徒会長だと、皆は思っているのだろう。
このクラスに、人が殺到するのも分かる。

「どうも、おれたちは手が出せない感じだね」

 さすがのメガネも、美形ですし詰めになった教室に入る勇気は無いらしい。

「これだけの人数がいて、見つかっていないということは、ここにはないんじゃないか?」

 僕が首を傾げると、メガネは鼻をひくひくさせた。

「それ以前に、匂いがしないからハズレだよね」
「だよな。それに、ここに香炉があったら、今頃カップル大発生だよな」

 僕たちは顔を見合わせ、頷きあった。

 そういえば、先ほどの放送で浅葱は、香炉の匂いや効果については言及していなかった。ということは、それらの条件を知っている僕たちは、実はかなり有利なんではないだろうか。

「ベリショ、裏をかいて人のいない所を探してみようぜ」
「……何の裏だよ、何の」
「多分この学校の人らは、王子さんの行きそうな所を重点的に探してると思うんだよな。
でも、あの王子さんのことだから、他の人と同じことやってたら、一生見つからないような気がするんだよね」

 ……それは確かに、一理あると思う。
何と言っても、あの浅葱だ。
今日出会ったばかりではあるが、彼は変人だ。自信を持って断言することが出来る。
一筋縄ではいかないことだけは、確かだろう。

「じゃあ、いちかばちか、ひとけのない場所に行ってみるか」

 僕の答えに、友人は「そうこなくっちゃ」と、笑みを深くした。


 
 ということで僕たちは、一応嗅覚にも意識を集中させながら、人がいない場所を選んで歩いた。
その内に、音楽室の前にたどり着いた。
周囲には僕たち以外の人間はおらず、ひんやりとした空気が流れている。

 音楽室の扉に手を掛けた瞬間、中から人の声が聞こえてきた。

「ああ……っ……ん……っ。あ……っ」

 僕はため息をついた。背後でメガネが、「え。何? 何の声?」と疑問の声をあげる。

「やってんだよ、中で」

 扉を指差し、僕は吐き捨てた。なまめかしい、アダルトビデオのような声は断続的に聞こえてくる。

 普通、音楽室の壁は防音壁になっていると思うのだが。
それでも尚、外に漏れるというのは、一体どんな盛り上がりを見せているのだ。

「え。やってるって、そういうこと? マジで? すげえ」

 メガネはいつものポーカーフェイスだが、せわしなく瞬きをしているところを見ると、相当驚いているらしい。

「だから言っただろ、ここの連中は獣だって。おれなんて、この手の場面に遭遇するの、実に四回目だぜ。」

 指を四本立てて自嘲的に笑うと、

「すっげえ!」

 という感心の声を頂いた。こんなところで感心されても、あまり嬉しくない。

「で、どうする? お取り込み中だし、次行く?」
「何でアオカンしてる連中に、気を遣わないとなんねえんだよ。こんな時に、こんな所でやってる方が悪い」

 僕は扉に手を掛け、一寸のためらいもなく勢い良く扉を開けた。

「たのもう!」
「うわ、ベリショくんってば、大胆!」

 友人の感嘆の声を背中で聞きながら、室内におもむろに足を踏み入れた。

 音楽室の一番前にはフタが閉じられた、立派なグランドピアノが置かれていた。
今回のカップルは、そのピアノの上でことに興じてらっしゃった。
 
 しかし、彼らもなかなかのツワモノだった。
第三者が乱入してきたというのに、顔色ひとつ変えない。
そればかりか、

「ほら、お前の恥ずかしい姿……全部見られてるぜ……」
「あ……っ。いや……あ……っ。見ないでぇ……っあ……ああぁっ……イイ……っ」

 という方向に切り替え、非常に前向きにこの事態を楽しんでおられた。
ここまで来ると、その意気や天晴れ、と思えなくもない。

 何と言っても、四回目だ。ここまで来ると、怒りも悲しみも湧いてこない。
心の中は驚くほど静かだ。これが慣れ、というものだろうか。

 僕は、盛り上がり絶頂のカップルには目もくれず、教室の奥にある扉に大股で歩み寄った。
嗅覚を集中させていたため、カップルの横を通りすぎる際イカ臭い匂いがまともに鼻を突き、大変にテンションが下がった。
しかし、こんなことで負けてたまるか。

「すんませーん。ちょっとお邪魔しまーす……」

 珍しく遠慮がちな声とともに、メガネもついて来る。

 奥の扉を開けると、そこには楽器ケースや譜面台などが置かれていた。
床にかけられたワックスの匂いがするくらいで、香炉の手がかりは得られなかった。

「ハズレだな。次行こうぜ」
「……ベリショ、お前…急に大人になったな……。何か妙に、お前がかっこよく見えるよ」

 メガネの尊敬の眼差しに、ちょっと得意になってしまう。

  勝った……! と思った。
メガネにではない。BL世界にだ。僕は今、BL世界に勝利したのである。

 この世界に来て初めて得られた勝利感に、いささか恍惚としながら音楽室を後にした。
 音楽室の扉を閉める最後の瞬間まで、室内のあえぎ声は止むことがなかった。

「号外、号外ー!」
「新聞部発行の、号外です」

 という声と共に、紙をばら撒く紅白が僕たちの前を通り過ぎて行った。
 ……と思ったが、僕たちの存在に気付いたのか、駆け足で戻ってきた。

「よう! 出来たぜ、号外!」
「お二人もどうぞ。是非、読んで下さい」

 紅と白は、僕たちに一部ずつその号外とやらを手渡した。
一番初めに、

『愛の障壁! 引き裂かれる二人』

 というド派手な見出しが眼に入り、次に大きな僕の顔写真が視界に飛び込んできた。
印刷された僕は、眉間にシワを寄せてしかめっ面をしていた。
我ながら、ブッサイクな顔である。

 というか、写真が悪い。
あれだけ、白が写真を多数撮っていたのだから、もっとマシな写真もあっただろうに。
何故こんなチョイスなのだ。

「それじゃあ、じっくり読んでくれよ!」
「また、ご協力お願いしますね」

 紅白はそれだけ言うと、また「号外ー!」と叫びながら号外をバラ撒き、疾風のように駆けて行ってしまった。

「新聞出来るの、異様に早くないか……?」

 半ば呆然としつつ双子を見送り、僕は呟いた。

「号外は、ネタの鮮度が命だしね。さてさて、どんなことが書いてあるのかなーっと」

 メガネは記事に眼を落とした。
 はじめは楽しそうだったのに、読み進めるごとにその表情がどんどん曇っていく。

「何だこの記事……、不愉快だ」

 最後には眉を寄せ、怒りを押し殺したような声で、メガネは吐き捨てた。
あのメガネが、ここまであからさまに怒りを表現するなんて、滅多にないことだ。
一体、どんなことが書かれているのだろう。

 僕も恐る恐る、記事を読み始めた。

 要約すると、こうだ。


  僕と水無月は、燃えるような大恋愛の真っ最中だそうだ。
姫は王子が好きだったはずなのに、この心変わりはどういうわけなのか。
そして、かつて僕と恋仲であったが、一方的に僕から絶縁されたメガネは、二人の関係が面白くない。
嫉妬と憤怒の念に駆られたメガネは桜崎と手を組み、様々な妨害策を僕たちに講じる。
 そんな障害にもめげない僕と水無月は、愛を育んでいく。
しかし僕は、もうすぐこの学校を去らなくてはならず、
「愛し合う二人には、なんと過酷な運命であろう(原文まま)」


  ……と、いうようなことが、セリフや心理描写などをまじえて、小説仕立てでねっとりと書かれている。
ここまでフィクション満載だと、思考が麻痺してしまう。

「おれのキャラ設定が気に入らない。
何でおれが、ベリショに捨てられたけど未練たらたらな昔の男、ってことになってんの。
何で、お前にフラれなきゃなんないんだよ」

 メガネが、心底腹立たしそうにこちらを睨んできた。
そんなこと、僕に言われたって知ったことではない。

「一緒に風呂に入ったことあるとかなんとか、訳の分かんねえこと言ってあいつらを煽ったからだろ。自業自得だっつうの」
「……ちっ、おれがベリショをフッた、って言っとけば良かった」

 メガネの眼は、至って真剣である。
自分が「好きに書かせとけば」と言った癖に、いざ好きに書かれれば、これだ。

 だが、もしこれが逆の立場で、僕がメガネにフラれ、しかし未練たらたらで、なんでことが書かれたら……。

 考えるとゾッとする。
その屈辱は計り知れない。 いやあ、書かれたのが逆で良かった。

 ……良かった? いや、良くない良くない。
 この世界のノリに慣れてくると、どんどん普通の感覚が失われて行くような気がする。恐ろしい。
もっと、自分をしっかりと持たなくては。

「こんなもん、無視だ無視!」

 僕は号外を丸め、力任せに地面に投げ捨てた。

「ベリショがすげえモテてる、みたいに書かれてるのも、気に入らないんだよなあ。
おれの方が、圧倒的にモテてんのに」

メガネはまだ納得が行かないようで、記事を睨みつけてぶつぶつ言っている。
 断っておくが、メガネの方がモテているという事実は何処にもない。
僕たちは、実に均等にモテないのである。

「いつまでそうしてんだよ。そんなもんに構うなって! いい加減、香炉に集中しようぜ」

 友人の手からにっくき号外を奪い、それも丸めて投げ捨てる。
目の前から号外がなくなると、メガネはいつもの表情に戻った。

「そうだよな。この新聞を読んだ人も、ベリショの写真を見れば、こいつがモテるわけないって気付くよな」

 メガネは笑顔になった。全くもって、失礼なやつだ。
自分がフラれたことになっているのが、よっぽど気に喰わないらしい。