■キリン耳とネコ耳の話 15■


 半ば呆然と、浅葱の後ろ姿を見送る僕の背中を、メガネが突付いた。

「会長さんの後、尾ける? 彼が香炉を持ち出したんだったら、それが一番確実な気がするんだけど」

 冷静なメガネの意見に、ちょっとびっくりしてしまった。

「お、おう。それもそうだな」

 僕は頷いた。それから浅葱の後ろ姿を、改めて視界に入れる。ジャージ王子は、軽い足取りで廊下を歩いていた。

「よし、そんじゃ尾行すっか」
「いやーいいねえ。燃えるねえ」

 メガネはけらけら笑っている。
 そして僕たちが尾行第一歩を踏み出した瞬間、

「どうもーこんにちはー!」

 背後から、テンションの高い声が聞こえてきた。
この声には、聞き覚えがある。直後、赤と白の鮮やかな色彩が、眼前に踊り出してくる。

「キリン耳さん、調子はどう? いい感じ?」

  新聞部の紅だった。今回は白も一緒で、さっきからカメラのフラッシュが眩しい。
紅白の頭越しに浅葱の姿を探したが、もう見当たらなくなっていた。
僕たちの尾行は、たった一歩で終了したのだった。
ここまで全てがうまく行かないと、絶望を通り越してもはや清々しい。

「で、キリン耳さんっ。インタビューいいかな!」

 僕の絶望をよそに、紅はうきうきとマイクレコーダーを眼前に突きつけてきた。

「え、インタビューって言われても……」
「キリン耳さんも、宝探し大会に参加するんだよなっ。今の意気込みをどうぞ!」

 再び、マイクが突きつけられる。
紅は一体何を期待しているのか、妙にキラキラした眼で、僕を見つめてくる。

 そんなこと、急に言われてもどうすればいいのか……と思っていると、メガネが横から顔を出し、

「頑張りまーす」

 と、朗らかに答えた。
すると紅は、嬉しそうに「おおっ」と声を上げた。
そして、メモに何事かを書き付ける。

「なるほどなるほど、姫を他の男に渡さないためにキリン耳さんは頑張る、と」
「おい、今のはおれが言ったんじゃないだろ。
それに、何だよその捏造っぷりは! マイクレコーダー使う意味あんのかよ!」

 僕の抗議に、赤いのはうるさそうに手を振った。

「でも、心の中ではそう思ってるんでしょ? 問題ないじゃーん」
「大アリだっつうの!」

 また、フラッシュが閃く。僕は腹が立って、写真を撮り続ける白の方を向いた。

「お前も、撮るのやめろよ!」
「あっ、その表情、いいですね」

 白は、尚もシャッターを切る。
紅はペンをメモに走らせつつ、含みのある視線で僕たちを見ている。

「キリン耳さん、姫と王子の愛をめぐる争いの渦中にいる、今の感想をどうぞ!」

 こいつの頭の中で、一体どんな人物相関図が描かれているのだろう。

「姫と王子の愛をめぐる争いに、参加した覚えなんてないんだけど」

 僕のそんな言葉もこの赤毛にかかれば、

「なるほどなるほど、意識することなく常に自然体でいる、と。余裕あるね、キリン耳さん」

 ……というふうに変換されてしまう。
水無月が、彼らに気を付けろと言った意味がよく分かる。さっきから、全く言葉が通じない。

「で、そちらのネコ耳さんと付き合ってる、っていう説も出てるみたいなんだけど、その辺どうなの? 二人はどういう関係? ぶっちゃけどこまで行っちゃってんの?」

 紅は、俗っぽい笑みを口元に浮かべ、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
この手のデマにも、大概慣れてきた。こういう時は怒らず慌てず、根気良く事実を淡々と述べるのが一番だ。

 そう思ってひとつ咳払いをすると、またも横合いから出て来たメガネが、先に口を開いた。

「一緒に風呂に入ったことはあるよ」

 紅白が、わあっと歓声を挙げた。
僕は体温が、一気に下がっていくのを感じた。

 え……? 今こいつ、何て言った……?

「やっぱり、ネコ耳キリン耳カップル説は、本当だったんだ!」
「それじゃあ、姫は? キリン耳の浮気ってことかな」

 双子は顔を寄せ合って、好き勝手なことを話し合っている。
そこでようやく、これではいかんということに思い至った僕は、紅からマイクを奪い取った。

「中学の修学旅行での話だろ!」

 マイクを握り締め、魂の底から叫ぶ。
怒らずかつ慌てず、根気良く事実を淡々と述べる…なんてことを実践している余裕はない。
こいつとそんな仲だと思われるなんて、冗談じゃなかった。

「でも最近は、一緒に風呂に入ることもないよな、ベリショ」
「おいおい、最近はご無沙汰なんだってよ!」
「倦怠期かな。それで、キリン耳の方が姫にフラフラッと、火遊びしたくなったんじゃない」

 メガネの紛らわしいひとことが、更に紅白を燃え上がらせた。

「そりゃあ最近はないよな! 高校の修学旅行は、まだ行ってないんだもんな!」

 マイクに向かって、僕は命いっぱい絶叫して弁明する。
しかし紅白は僕のシャウトをあっさり無視し、「見出しはどうする?」など、不穏な会話を続けている。

 僕は友人を振り返り、その中身の詰まっていなさそうな頭を、平手ではたいた。

「お前な、いくらでも言いようがあるだろうに、何でわざわざ誤解を生む発言を、チョイスすんだよっ!」
「だって、この世界にいる限り、おれたちのホモ疑惑って拭えないっぽいじゃん。
それだったら多少悪ノリして、ことを面白くした方がいいかなーって」
「悪ノリ過ぎるだろ!」
「いいじゃん、好きに書かせといたら。どうせおれたち、香炉を見つけたらすぐにいなくなるんだしさ」

 メガネは、全く悪いと思っていないようだ。なんという男だ。心の底から殴り飛ばしたい。

「……うん? いなくなる、ってどういうこと?」

 僕のシャウトはスルーした癖に、メガネの何気ない一言を、紅は聞き逃さなかったらしい。
彼は眼を光らせ、僕の手からマイクをもぎ取ってメガネに向ける。

「そのまんまだよ。おれたち、この宝探し大会で優勝できたら、また転校すんの」
「へええ……っ!」

 紅が、驚きの声を挙げる。
白もシャッターを切る手を止め、二人は眼を見合わせた。

「これだね、紅」
「これだな、白」

 そして二人は僕たちに顔を向け、紅はにっこりと、白は微かに笑った。

「取材協力、どうもサンキュー! ま、完成を楽しみにしててよ!」
「いい写真がたくさん撮れました。ありがとうございました」

 二人は慌しく僕たちに礼を言い、止める間もなくバタバタと行ってしまった。

「おいおい、行っちゃったよ。何か分かんないけど、新聞にする気だよ」

 背筋に寒気が走るのを感じた。
一体、どんな無茶苦茶な記事になってしまうのか、想像するのも恐ろしい。

「まあまあ。これで、新聞が出来るまでに香炉を見つけないと、っていう障害がまた出来たわけじゃん。燃えるよね」

 また、メガネの自分ハンデだ。
ハンデを背負うのは勝手だが、僕も巻き込むのは本当に勘弁して欲しい。

「ほらほらベリショ、さっさと探しに行こうよ。まずは王子のクラスに」
「……それもそうだよな」

 先ほどの奇妙な紅白双子のことは、早々に頭の中から追い出すことにした。
とにかく、今は香炉だ。



  僕たちは一度、校舎を出た。
その瞬間、甘くて濃厚な香りが鼻をつく。

「まさか、香炉の匂いなんじゃ……!」

 僕が思わず身を乗り出すと、メガネは首をに振った。

「いや、バラだよ、これ」

 確かに眼の前にはバラ園が広がっていて、色とりどりのバラの花が鮮やかに咲き誇っていた。
庭園は、香炉を探す生徒たちでにぎわっていた。
離れたところから見ると、草取りでもしているようで、非常に牧歌的な眺めである。

「おおベリショ。見ろよ、おれの同類さんがいらっしゃる」

 メガネが、僕の制服をぐいぐい引っ張ってくる。
彼が指さす方向を見てみると、あわただしく走るネコ耳の少年が目に入った。

 こちらのネコ耳さんは小柄で細身で女顔だった。
色んな物がはみ出してしまいそうなくらいきわどい短パンの尻の部分から、黒い尻尾がにょっきり生えている。

「基本だけど、あのズボンって尻んとこに穴開いてんのかな」

 僕の何気ない疑問に、すかさずメガネが食い付いてくる。

「わざわざ穴を開けなくても、ズボンを後ろ前に履いてさ、チャックの部分から尻尾を出せばいいんじゃね?」

 と、真剣な顔で返してきた。
そういえば、こいつにも僕にも尻尾は生えていない。ピコカンが手抜きしたのだろうか。ありがたいことだ。

「ズボンを後ろ前に履いたら、すんごい歩きにくいと思うんだけど。
それに、それだと便所が面倒だぞ。ズボン下ろさないと、用が足せないし。後ろ手でボタン開閉、ってのも難しいしな」

 僕たちは、この手のくだらない議論が大好きなのだった。
状況を忘れて、ついつい盛り上がってしまう。

「でもさあ、ここは女性の夢が詰まった世界だぞ。もしかしたら、美少年は便所なんて行かないのかもしれないじゃん」
「だったら、何で校舎の中にトイレがあるんだ。あれは、何のために存在す……サカるためか。そうか、そうだな。おれが悪かった」

 在りし日の悪夢が、脳裏にフラッシュバックした。最悪な気分だ。
一人でアンニュイになっていると、突然前方からすごい勢いで誰かがぶつかってきた。

「うわっ!」
「わあっ!」

 僕と誰かの声が交錯する。

「……きみ、気をつけたまえ」
「た、たまえ?」

 耳慣れない言葉使いに、僕は思わず聞き返す。
 僕と衝突した人物はくりくり巻き毛の金髪に、青い目をしていた。
顔つきに、どことなく高貴な感じがする。
嫌味なくらい鼻が高くて、どう見ても東洋人には見えない。
フリル付きの白いシャツと黒いぴったりとしたズボンが、長身によく似合っていた。

「ここはバラの園。気をつけないと、刺でケガをしてしまうよ」

 巻き毛は両手を広げ、周囲に咲き誇るバラを示した。
なんとも芝居がかった動作で、僕は少し引いてしまう。

  頭の中にまっさきに浮かんだ言葉は、「タカラヅカ」だった。
こいつは男なのに、その言葉がぴったり当てはまる。
この世界は、なんだってこんなにとっつきにくそうな奴ばっかりなのだろう。

「マティアス!」

 どこからか、女の子みたいな可愛い声がした。
声がした方を見ると、ふわふわした髪の毛の小柄な少年が走って来ていた。
こちらも金髪で、目は緑色だ。黒いベストを着ていて、胸元で赤いリボンタイを結んでいる。

「きみ、本当なのか。午後のお茶会に来なくなる、というのは」

 息を弾ませながら少年は言い、胸元に手を当てた。

 マティアスと呼ばれた巻き毛は、天を仰いだ。
視線を少し動かすだけでも、何だか流麗に感じるのは何故だろう。金髪だからだろうか。

「ああ、エミール……許してくれ。」

 マティアスにエミールときた。一体こいつらは、どこの国の人間なのだろう。

「マティアスって、あだ名だったら面白いのにな。本名は町田、とかだったらホレちゃうかも」

 メガネが、わけの分からないことを言い出した。
あの顔で本名が町田だったら、僕なら幻滅してしまう。

「何故なんだ、マティアス。僕との約束はどうなってしまうんだ!」

 彼らは、派手な身振り手振りでやりとりを続けている。
 濃い。濃すぎる。背景のバラが、とてもよくマッチしている。

「…眼を合わせないようにして、さっさと行こうぜ」

 小声で囁きながら、メガネの背中を押した。
友人は「え、ここから面白くなりそうなのに……」と名残惜しそうだったが、渋々僕に従った。

 そんなわけで僕たちは、眼をそらしながらそそくさとバラ園を通り抜けた。
出口付近で魔が差し、ついついマティアスとエミールを振り返ってしまった。
彼らは抱き合い、濃厚なキッスを堪能しているところだった。

 ……見なければ良かった……。