■キリン耳とネコ耳の話 13■
「なんですってええっ!」
突然、甲高い叫びがした。
振り向くと、メガネの無表情が目に入る。
彼は手を横に振り、おれじゃないよ、という顔をした。
「BL香炉がここにないだなんて!」
また、叫び声。
僕は、ちょっと視線を持ち上げてみた。
ピコカンが、中空でのけぞって絶叫していた。
そういえば、こいつの存在をすっかり忘れていた。
「え、え……。こ、この人は……、え?」
水無月が呆然とした面持ちで、ピコカンが飛んでいる辺りを注視している。
あれっと思った。
彼にも、この不快な物体の姿が見えているらしい。
「お前、他の奴にも見えてるみたいだぞ」
「ベリショさん! あなたちゃんと探したんですかっ!」
僕の言葉を全く聞かず、ピコカンは僕の目の前まで飛んできた。
血走った目が震えていて、恐ろしいまでの迫力だ。
僕は思わず、
「いや、探したっていうか……匂いが全くしないじゃん。香炉の近くに行けば匂いがする、って言ったのはお前だろ」
と、素直に答えてしまった。
「な、なんということ……! そんなことが……!」
ピコカンは、首を前後にカクカクと振った。ショックを通り越して、訳が分からなくなっているようだ。
「ていうかBL香炉がなくなった、ってピコカンが言ったんじゃん。何で、そんなにびっくりしてんの」
メガネの疑問はもっともだ。
しかし、ピコカンには僕たちの声が全く聞こえていないようだった。
身体を小刻みに震わせながら、何事かを呟いている。
「確かにここに、BL香炉を置いておいたのに……」
置いておいた? それは一体どういうことだ。
問い詰めようと思ったら、ピコカンは尚もブツブツ言い出した。
「香炉をなくしたふりをして、香炉の効果で一般人二人がラブラブになるさまを見たかったのに……!」
なんとも不穏なピコカンの独り言に、僕の全身に鳥肌が立った。
「おいこら、どういうことだ! 何だその、香炉効果で二人がラブラブになるさまを見たかった、ってのは。もしかして、おれとメガネをくっつけようとしてたんか!」
僕は手を伸ばし、妖精を引っつかんだ。するとピコカンは、何の躊躇もなく僕の手に噛み付いてきた。
「いってえ!」
鋭い歯が皮膚に突き刺さり、あまりの痛さにピコカンから手を離した。
傷口を見ると、うっすら血が滲んでいる。何て野郎だ。
「ああもう、うるせえな! こっちだって息抜きしないと、やってらんねえんだよ!
たまにはBL世界の住人以外のBLが見たい、と思うのがそんなにおかしいことか、このボケ! 犯すぞコラ!」
ピコカンは僕を、ものすごい目つきでにらんできた。逆ギレも甚だしい。
「あ、あの……ベリショくん、これは一体……?」
遠慮がちに、水無月が肘を突付いてきた。そんなことを聞かれても、何とも説明出来ない。すると、銀色の光の粒を身にまとった妖精が、僕たちの前に躍り出てきた。
「僕のことでしたら、その内見慣れますから、気にしないで下さい!」
胸をそらし、満開の笑顔で至極適当なこと言う。
水無月もここまで堂々と言われるとツッコミ辛いのか、
「は、はあ……」
と曖昧な口調で頷いた。
「感動だなあ……。妖精なんて、初めて見たよ」
浅葱は頬に手を当て、うっとりと息を吐いた。こいつは、頭のネジが緩みきっているとしか思えない。
ジャージ王子はベッドから降り、床に放り投げてあったスリッパ(七色のボアに覆われた、こちらも悪趣味な代物だ)に足を引っ掛けた。
「ところでそのBL香炉っていうのは、大事なものなの?」
浅葱は、ピコカンに話しかけた。
メガネといいこいつといい、何で妖精が出現しても一切ひるまないのだ。
桜崎なんて、さっきからフリーズしている。それが、正常な人間の反応だと思う。
「ええ。とってもとっても大事なものです」
ピコカンが真剣な表情で頷くと、浅葱は今度は僕たちの方に顔を向けてきた。
「それがないと、きみたちも困るのかな?」
「うん。じゃないと家に帰れないし」
そう言いながらメガネは、いつの間にか床から拾ったらしい知恵の輪を、ガチャガチャといじくり回していた。
頼むから、もうちょっと緊張感を持って欲しい。
浅葱はひとつ頷くと、両手を大きく広げた。
「それじゃあ、僕たちも協力するよ」
「会長!」
浅葱の言葉が終わらない内に、フリーズが溶けたらしい桜崎が信じられない、というような声で叫んだ。
「僕たちも協力する、というのは一体どういうことですか……! まさか、生徒会を巻き込むおつもりですか?」
「そのおつもりだよ。困ったときは、お互い様でしょう。
僕たち生徒会は、生徒たちの学園生活をよりよいものにする為、存在するんだから。違う?」
物凄い屁理屈だ。
二の句が継げない桜崎は、下唇を噛み締めて悔しそうにうつむいた。
陰険皮肉屋な桜崎も、浅葱には適わないらしい。
やっぱり彼は、噂どおり浅葱に惚れているのだろうか。
……このジャージ男の何がいいのか、僕にはさっぱり分からないけれど。
「生徒会の皆さんがご協力下さるなんて、こんなに心強いことはありません」
妖精は眼に涙を溜めて、生徒会長を見上げた。
「ふふ、お安い御用だよ。メイも、異論はないよね?」
「僕は別に、それでいいんだけど……」
水無月は、心配そうに桜崎を横目で見やった。
固い表情の桜崎に、浅葱はやれやれといったふうに、手を腰に当てた。
「もう、雅ってば。何を拗ねてるの。……じゃあ、こうしよう。そのBL香炉が見つかるまで、僕は生徒会室の仕事を一切しない」
桜崎は、眼を見開いて顔を上げた。もはや声も出ないらしい。
「だから、雅も手伝ってよ。僕が早く仕事に戻れるように、さ」
王子は口元に手を当て、妖艶に微笑んだ。桜崎の顔は、完全に引きつっている。さすがに、桜崎に同情したくなってきた。桜崎は当然納得が行かないようで、苦しそうに「しかし……」と、呟いた。
「あの、桜崎は嫌がってるんだし、強要しなくても……」
僕は、浅葱の方に一歩足を踏み出した。
「いつまでも我が儘を言うんじゃないよ、雅」
押し殺した浅葱の声に、僕は足を止めた。
静かだが、じわじわと心臓を締め付けるような声だった。
浅葱の全身から、どす黒いオーラが吹き出ているように見える。
しばらく二人は黙って向き合っていたが、やがて桜崎は肩をがっくり落とした。
「……分かりました」
さすがの桜崎も、降参するしかないようだ。
「こ、こええ……!」
僕は浅葱から眼をそらし、思わずメガネの腕をつかんだ。
もし自分がこんな風に睨まれたら、多分泣いている。
「さすが生徒会長。すごい統率力だね」
メガネは知恵の輪から少し顔を上げ、そんな的外れな意見を述べた。これは統率しているというよりは、恫喝していると言った方が正しいのではないだろうか。
「ふふ、良い子だね」
浅葱は前髪をかき上げ、満足そうに笑う。
こいつは絶対に怒らせないようにしよう、と僕は固く心に誓った。
「話がキレイにまとまったところで、ちょっと整理してみようよ」
いつの間にか知恵の輪に飽きたらしいメガネが、割って入ってきた。
本当に話がキレイにまとまったかどうかはさておき、事態を整理したいのは僕も同感だった。
「ピコカンは、BL香炉をこの部屋に置いといた、ってこと?」
「ええ、そうです」
「それはいつから?」
「一ヶ月ほど前から、ですね」
「なんで一ヶ月も前から?」
「本当は、一ヶ月前に既にベリショさんたちをこちらに招待する、という構想があったんです。しかし、仕事がかさんで今日まで延びてしまった、という」
「なるほど、お疲れさん。
それで、おれとベリショがこの仮眠室にたどり着きBL香炉を見つけ、香炉の影響でおれらがくっつく。その後は約束通りおれたちを元の世界に戻して、ハッピーエンド。
……っていう展開にしようと思ってたんだよな?」
「その通りです」
「でも、香炉はここからなくなってる、と。ピコカンが持ち出したんじゃないんだよね」
「ええ、断じて」
「じゃあ、この学校の誰かが持ち出した、ってことになるんじゃないの?」
メガネはピコカンにひとつひとつ確認し、仮眠室に集まっている人々を、ぐるっと見回した。
「基本的に、この部屋には生徒会のメンバーしか入らないけど、たまに僕がお客さんを呼んだりもするしね。今日のメガネくんみたいに。だから、容疑者特定は難しいと思うな。
……まあ、犯人は十中八九、僕だと思うけどね」
浅葱は何故か自信満々に、立てた親指で自分の胸を突付いた。
「そんなことするの、僕しかいないし、だから多分、僕なんじゃない?」
「多分って……自分のことだろ!」
要領を得ない彼の発言に、苛立った僕は声を荒げた。
「会長は、なにごとにもムラがありすぎるんです。
記憶力にしたって、円周率を三百桁暗記できるのに、いつまでも自分の出席番号を覚えられない」
僕の隣で、桜崎が深くため息をついた。
「それは、ムラがありすぎるというか、バカっていうんじゃ……」
率直な意見を述べると、思いっきり桜崎から睨まれた。
当の本人、浅葱は他人事のようにフフフと微笑んでいる。
「僕も、犯人は青磁だと思うな。すぐに物を失くすし。失くしたことも忘れるし」
水無月も、呆れたように同意した。
「持ち出したことも忘れてるってことは、勿論、何処に持って行ったのかも覚えてない、ってことだよな」
「そういうことだね。でも、捨ててはいないよ。多分」
堂々と答えるジャージ王子に、僕は何もかもが嫌になってきた。
犯人は分かっているが、手がかりはゼロ。一体、どうしろと言うんだ。
「大丈夫だよ、ベリショくん。ちゃんと見つかるよ」
浅葱が僕の肩に優しく手を乗せてくるが、お前が言うなと言いたい。
「そうだ、いいこと考えた。どうせなら、みんなで探せばいいんじゃない? その方が早く見つかるよ」
浅葱は表情を輝かせ、楽しそうに指を鳴らした。
悪戯を思いついた子どものような表情で、なんだか嫌な予感がする。
「か、会長。みんな、っていうのは……?」
恐る恐るといったふうに、掠れた声で桜崎が尋ねた。
「みんなはみんなだよ。学校のみんな」
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