■キリン耳とネコ耳の話 12■


「……んで、その会長さんは何処にいるんだよ」

 僕は、気を取り直して聞いてみた。するとメガネは

「ここ」

 と言ってベッドを指差した。
 よく見れば、毛布(モナリザがプリントされている悪趣味な毛布だった)が人型に盛り上がっていた。

「え、あ。寝てんのか」

 咄嗟に、声のトーンを落とした。
 すると、毛布がもぞもぞとうごめいた。

「王子はお休みなんです。早く退室してください。ご友人は無事だったのでしょう」

 いつの間にか背後にやって来ていた桜崎が、小声で囁きながら腕を引っ張ってきた。
しかし、そういうわけにはいかない。
僕は桜崎の言葉は無視し、メガネに話しかけた。

「メガネ、朗報だ。この部屋に、BL香炉があるかもしれない」
「マジかよ。ベリショ探偵ってば、いつの間にそんな情報入手しちゃったの」
「お前が悠長に子守唄を歌ってる間、おれは血と汗と涙の大冒険をしてたんだよ」

 ほんとにつらかったんだぞ、と言いながらまた泣きそうになった。
僕はあの一連の体験を通じ、確実に大人の階段を上ったと思う。

「んんん……」

 人型が呻き、毛布の中からやたらと白い手が出てきた。骨ばっていて、細い手だった。
その手は、ゆっくりと毛布を払いのけた。

「何事だい、騒がしいなあ……」

 中から出てきたのは、白面でやせた男だった。
肩にかかる長い髪の毛も、眠そうに細められた眼も薄い茶色で、日本人離れした容貌だ。
そして、小豆色のジャージを身につけていた。

「あ、浅葱……?」

 僕は驚いて、ジャージ男を指さした。
この妙な存在感は、間違えようがない。そうか、こいつは生徒会長だったのか。

「やあ、ベリショくん。よく会うね。これも運命かな」

 浅葱は寝転んだまま、こちらに向かって優雅に手を振った。

「え……、ちょっと待って。お前が生徒会長ってことは……王子っ? お前が?」

 にわかには信じがたいことだった。  確かに浅葱は顔は良いかもしれないけれど、ジャージの王子なんて、聞いたことがない。

 思わず、浅葱と水無月と桜崎の顔を、順に見比べた。このジャージを取り合って、水無月と桜崎が争ってるって?
 王子の正体が分かった瞬間、その噂が急に嘘臭く思えてきた。

「うん、僕が王子だよ。びっくりした?」

 浅葱は、緩慢な動作で上半身を起こした。
やっぱり、ジャージのファスナーが半分以上降りていて、白い肌が露出している。

「……なんで、あんなに前が開いてるんだろうな」

 学食で会ったときは口に出せなかったことを、隣にいるメガネに小声で尋ねてみた。

「その無意味な露出がいいんじゃない? おれらも、女の子のスカートが短かったら、それが無意味でもなんかラッキーって思うじゃん」
「……なるほど。そういうもんか」

 よく分からないが、妙に納得した。

「王子、申し訳ありません。僕が止められなかったばっかりに」

 桜崎が一歩前に出て、うやうやしく頭を下げた。今まで尊大な桜崎しか見たことがなかったので、これには少し驚いた。

「構わないさ。楽しい再会も果たせたし、ね」

 会長は、僕に向かって片目を瞑ってみせた。ウインクなんて、実際にする人間を僕は初めて見た。寒々しい仕草だと思うが、こいつに限ってはそういう行動もアリなんじゃないかと思えてくる。

それから浅葱は、メガネの方に向き直った。

「さっきは素敵な子守唄をありがとう。お陰様で、短い時間だったけれどよく眠れたよ」

 メガネは桁外れの音痴だ。彼の辞書には、音程という言葉もリズムという言葉も存在しない。初めて彼と一緒にカラオケに行ったとき、僕はこいつをジャイアンをも超える逸材だと思った。
そんなメガネの歌声で眠れたなんて、奇特な男だ。
もしかして、眠っていたんじゃなくて失神していたんじゃないか。

「よければまた、歌って欲しいな」

 浅葱はそう言ってメガネの手を取り、その手の甲にチュッと……、

「うげえああっ!」

 僕の口から、意味不明な叫びがほとばしった。全身の毛が見事に逆立つ。

「うわーっ、うわーっ! 何だ今の!」

 僕は完全に取り乱していた。今まで、もっと過激なシーンを何度も目撃してきたというのに。
いや、今までの絡みは全て全然知らない人間たちの絡みだった。しかし今のはどんなにライトであっても、友人が絡んでいるのだ。
しかも男と。
あり得ない。心の底からあり得ない!

「ベリショ、お前引きすぎ。おっしゃ食らえ、間接チッスだ」

 そう言って、メガネは自分の手の甲を、ぐいぐい僕の口に押し付けてきた。
本気の寒気が全身を駆け巡る。

「いやああっ! やめてえっ!」

 僕は泣きそうになりながら、全力で抵抗した。我ながら、完全に小学生だ。

「ふふふ、君たち面白いね」

 生徒会長は実に楽しそうに、手なんか叩いている。
冗談じゃない。ちっとも面白くなんかない。

「……青磁。彼らは転校生なんだから、からかうのはよくないよ」

 水無月に咎められ、浅葱は軽く肩をすくめた。

「いいじゃないか。こうやって、うちの学校の雰囲気に慣れてもらわないと」

 慣れなくていい、慣れなくて。 僕は半泣きになりながら口元を拭った。

「……ところでベリショ、ここにBL香炉があるんじゃなかったのか」
「あ、そうそう。そうなんだよ!」

  メガネも無事だったことだし、重要なのはただ一つ。
さっさとBL香炉を見つけて、この狂った世界からおさらばしなければ。

「BL香炉が、この部屋の何処かにあるらしいんだよ!」

 そう言って仮眠室をぐるりと見回し、一気にやる気をなくした。

 僕がこの世界で初めに降り立ったあの部屋のように、恐ろしく散らかっていたのである。僕の周囲だけでも、知恵の輪やらテディベアや歯ブラシ、高そうな指輪や革靴、トランペットなどが散乱している。節操も何もあったものじゃない。暴力的なまでの色彩の渦に、眩暈がしそうだった。

  この中から手のひらサイズの香炉を見つけるなんて、考えただけで吐き気がしてくる。

「僕の部屋で、何か探し物?」

 浅葱は僕たちに尋ね、ベッドの上で片膝を立てた。
おう、と頷こうとしたら、桜崎が割って入ってきた。

「…それは変です。彼らは、本日転校してきたはず。
生徒会室の、しかも仮眠室で一体何を探すっていうんですか。絶対におかしい。
何か企んでいるとしか考えられません。王子、こんなやつら、さっさと追い出すべきです」

 桜崎の言い分は、全くもって正しい。ぐうの音も出ない。
何か言わなくては、と思うが、上手い言い訳が見当たらない。

  どう言えばいいんだ? まさか、縁結びの効果があるなんて非現実な香炉を探してる、と答えるわけにはいかないし。

 と、メガネに眼で訴えてみた。
すると友人は、オーケーおれに任せな、と言うように親指を立てた。

 上手い言い訳を思いついたんだろうか。頼むぞメガネ、と僕は拳を握り締めた。

「いや、実はBL香炉っていう、惚れ薬のお香みたいなものがこの仮眠室にあるらしいんだよね。色々事情があって、それを見つけないと、おれたちお家に帰れなくってさ。なあ、ベリショ」

 ……沈黙が、仮眠室を包んだ。
 
 浅葱はぽかんとしている。
 水無月は、メガネの言うことが全く理解できないようで、首をかしげている。
 桜崎は心底気持ち悪そうな表情で、僕たちを見ている。

「お、お、おまえ……っ」

 僕はうなだれながら、メガネの肩に手を乗せた。
ここで直球を投げる奴があるか。
ただでさえおれたちは浮いてるのに、そんな電波発言をしたら確実に通報されるだろうが。お前はいつも、後先を考えなさすぎなんだよ。
だからいつも、一緒にいるおれがババを引く羽目になるんだこん畜生、空気を読め空気を。

 など、言いたいことは山ほどあったが、あまりのことに言葉が出て来ない。

「へえ、すごいじゃない」

 明るい声が、仮眠室に響いた。浅葱だった。
子どものように、眼をキラキラさせている。

「じゃあ、ちょっといいなって思ってる人物同士がその香炉の香りを嗅げば、たちまち恋に落ちちゃうってこと?」
「多分ね。おれも実物を見たことがないから、なんとも言えないんだけど」

 浅葱とメガネが、ごく普通の調子で会話している。
今度は、僕がぽかんとする番だった。

  だって、惚れ薬の効果があるお香云々言われて、普通信じるか?
 ちょっとはこっちの頭の構造を疑えよ。まるっきり漫画の世界じゃないか。

「オーケイ、僕も一緒に探すよ。この中のどこかにあるんだよね」

 そう言って、浅葱は腕まくりをした。それを見て桜崎が、「か、会長っ!」と慌てた声をあげた。

「やめて下さい、こんな怪しい人物たちに付き合うことなんてありませんよ!」

 彼の気持ちはよく分かる。僕たちみたいな不審人物には、関わらないが吉だ。

「どうして。だって、面白いじゃない」
「会長、そんな暇はどこにもないはずです。学園祭も近いですし、仕事は山ほどあるんですから」

 桜崎は、浅葱を僕たちに関わらせないよう、必死なようだった。
非常に懸命だと思った。何処からどう見ても、僕たちはこの世界では異質だし。バカが感染したら困るもんな。

「あっ、でもさあ」

 メガネが挙手した。

「BL香炉が近くにあると、独特の匂いがするって話じゃなかった? でもこの部屋、特に何の匂いもしなくない?」

 メガネにしては、奇跡的なまでにまともな意見だった。
僕は鼻に意識を集中させてみた。

「確かに……、お香らしき匂いは、全くないな」

  強いて言えば、ベッドの側に置かれている紙袋から、香ばしいパンの香りがするくらいだ。濃厚で蟲惑的な香りなんてものは、陰も形もない。

「水無月、お前がその香炉をここで見たときは、何か匂いがしたか?」

 僕の問いに、水無月ははっきりと首を縦に振った。

「物凄く濃厚な、甘い香りがしてたんじゃないかな。
初めてその嗅いだとき香りがきつくて、ちょっと眩暈がしたから覚えてる。桜崎くん、そのとき確か、きみもいたよね?」

 水無月がそう言うと、桜崎は眉をしかめ、

「……そんなことも、ありましたね」

 と、眼をそらした。
 その証言が本当ならば、今現在この部屋で何の匂いもしないということは、結論はひとつしかない。

「てことは、ここにはBL香炉はないってこと、なんじゃ……」

 恐る恐る、僕はその考えを口にした。
折角ゴール付近まで来たと思ったのに、また振り出しに戻ってしまったとは、考えたくなかった。