■キリン耳とネコ耳の話 11■


 僕が生徒会室の隅で小さくなっていると、桜崎がこちらを見た。

「……ところで、あなた。ここに何しにいらっしゃったんですが?」

 そう言われてハッと気が付いた。
 そうだ、BL香炉だ!

 こんなところで怖気づいている場合じゃない。僕は大股に、水無月に歩み寄った。

「水無月、さっき言ってた香炉はどこで見つけたって?」
「え、あ……。ええと……あっちの部屋で」

 水無月は、がっしりとしたシックな木の扉を指差した。僕はさっそく、その扉に向かって走った。

「ここは今、立ち入り禁止ですよ。王子が使用中ですから」

 有無を言わせぬ口調の桜崎が、扉の前に立ちはだかった。
僕は急ブレーキをかけて、あわてて立ち止まった。

「お、王子?」

 王子というと、桜崎と水無月が取り合いをしている……という噂の、あの?

「生徒会長のことです」

 生徒会長が王子で、副会長が姫なのか。なるほど。
  いや、納得している場合じゃない。
目の前にBL香炉があるっていうのに、何でこんなに邪魔ばっかり入るんだ。

「何だよ、使用中って。この部屋、なんなの?」
「仮眠室です」

 そういえば、朝ここに来たときに、水無月に説明してもらった気がする。
「会長が寝てるってこと? 起こさないようにそっと入るから、頼むよ!」

 僕は手を合わせた。なりふりなんて構っていられない。
どうせ、BL香炉を見つけ出したら二度と会わない相手だ。

 しかし、僕がこんなに誠心誠意頼み込んでいるのに、桜崎は吐き捨てるように、

「駄目です」

 と、にべもない返事をした。
 なんて分からない奴だろう。僕の誠意を返せ。

 僕が地団駄を踏みそうになっていると、水無月が桜崎の前に歩み出た。

「桜崎くん。会長ならちょっと中に入ったくらいじゃ起きないし、起こしたとしても怒らないよ。彼を中に入れて欲しいんだ」
「駄目です」
「……僕はきみよりは、会長のことを知ってるつもりだけど」

 その言葉に、桜崎は眉毛を吊り上げた。明らかに、ムカッと来てる顔だ。

「僕は王子から、『しばらくこの部屋に、誰も入れないように』と仰せつかっていますから」
「なあ桜崎、頼むよ。昼飯でも何でも奢るからさあ」

 頑なな桜崎に、僕は餌で釣る作戦に出てみた。これならどうだ。

「あなたもしつこいですね」

 ひと睨みで一蹴された。

 貧乏学生にとって一食奢るということは、非常に思い切った提案だというのに、なんという無慈悲。
こんな非道が許されていいんだろうか。

「駄目だと、何回言ったら分かるんです。王子は、お取り込み中なんですよ」
「何だよそれ! 仮眠室で取り込み中ってどういう……」

 言いかけて、僕は口を閉じた。

 仮眠室で、取り込み中?
 ……今までの展開をおさらいしてみよう。この学校はどんなところだった?
仮眠室といえば当然ベッドがある。
それで取り込み中、ってことはつまり?

「……王子が、美少年でも連れ込んでるってか」

 僕の言葉に、桜崎は苦々しげな表情になった。否定の言葉は出てこない。ビンゴのようだ。呆れる他ない。
 成績優秀・品行方正な生徒に、王子の称号が与えられるんじゃなかったのか。
ロクでもない奴じゃないか。

「ただ、美少年でもなんでもなかったですけどね。猫耳で、メガネで、地味な顔立ちの……」

 猫耳で、メガネで、地味な顔立ち。
 その言葉を聞いた瞬間、僕の脳裏にひとつの顔が浮かんだ。

「そ、そいつってまさか、髪の毛ボサボサで色白で無表情だったりする?」

 否定しろ! 頼むから否定してくれ!
 と心の中で祈りながら、桜崎に尋ねてみた。すると彼は非情にも、

「そういえば、朝、貴方と一緒にいた方でしたね」

 と言ったのだった。

「メッ、メガネえええっ!」

 気が付けば、僕は叫びながら桜崎を押しのけ、仮眠室の扉に飛びついていた。
ノブを回そうとしてみるが、がちりと重い手ごたえがする。

「無駄ですよ、どうせ鍵がかかってるんですから」

 背後から、桜崎の声が聞こえる。

「かっ、鍵はっ」
「内側からしか、施錠出来ない仕組みです」

  なんて融通のきかない仕組みなのだ。

  僕は数歩後ろに下がり、扉に向かって体当たりした。
肩に鈍い衝撃を感じたが、扉はびくともしない。

「な、何をするんですか!」

 桜崎が僕の肩を掴んで来たが、力任せに振り払う。

「だってお前、メガネが危険な目に遭ってるかもしれないのに!」

 僕の剣幕に、桜崎は気圧されたようだった。

「ベリショくん、僕も手伝うよ」

 水無月が、腕まくりをしながら隣に立った。
袖から伸びる腕は、ぎょっとするくらい細い。
体当たりしたら、折れてしまうんじゃないか。しかし、手伝ってくれようとする心意気が嬉しい。

 僕は、腕組みして険しい顔をしている、桜崎をちらりと見た。
二人でもきつそうだが、三人いればなんとかなるかもしれない。

「桜崎も、手伝ってくれよ」
「は?」

 彼は意表を突かれたように、眼を見開いた。

「マジで頼むよ! メガネは、男といちゃいちゃして喜ぶような奴じゃないんだよ。今止めに入ったら、もしかしたら未遂で済むかもしれないじゃん。目の前で犯罪を止めようと思うのは、善良な一般市民として当然のことだろ!
それでも駄目だって言うなら、この扉燃やしてでも突破するからなっ」

 自分でも、何を言ってるのかよく分からなくなってきた。ついでに、また泣きそうになってくる。

「……ああもう、分かりましたよ」

 心底呆れかえったような表情で、桜崎はため息をついた。
僕の心に、ほんの少し光が差した。何だ、こいつも意外といい奴じゃないか。

「んじゃ、せーので一緒に」
「いえ、僕ひとりで結構です。貴方がたは、下がっていて下さい」

 桜崎は僕の言葉を途中で遮り、長い足を振り上げた。

「はあっ!」

 桜崎は、扉を思い切り蹴り飛ばした。ゴガンッという鈍い音が響き、金具が吹っ飛んだ。
ゆっくりと、扉が向こう側に倒れていく。

「ええええっ!」

 口から、悲鳴のような声が出た。
 こんな頑丈そうな扉を一発で蹴破るなんて、ほとんど漫画の世界だ。
畜生、桜崎がかっこよく見える。
渾身の体当たりをもってしても、扉にダメージひとつ負わせることができなかった、僕の立場は一体どうなるんだ。

 ……いやいや、この世界には女の人の夢が詰まっているのだから、現実にあり得ないことが起こって当たり前だ。
うん、しょうがないのだ。

 僕は自分に、そう言い聞かせた。

「開きましたよ。入らないんですか?」

 桜崎に促され、僕は慌てて仮眠室の中に駆け込んだ。

「メガネ!」
「よーっす」

 部屋の中央に置かれたベッドに、メガネは腰掛けていた。

「メ、メガネ……!」
「おおベリショ」

  メガネは僕に向かって手を振る。
そして、僕に続いて部屋に入って来た水無月を見て、

「あっ」

 と声をあげた。

「メイちゃんじゃん。二人して授業来なかったっしょ?
教室、すごい騒ぎになってたよ。二人でさぼるなんてひどいよなー。おれも誘ってよ」

 ……やっぱり、そうなっていたらしい。
僕は旅の恥はかき捨て……で済むけど、水無月が気の毒だ。

「でも大丈夫だぜ。おれ、ちゃんとフォローしといたから」

 得意げに、メガネは胸をそらした。その自信満々の顔を見ても、不安感しか湧いてこない。こいつのことだ、まともなフォローが期待出来るわけがない。

「お前、まさかまた『おれとベリショはできてるから』とか言ったんじゃないだろうな」
「まさか。ウケないって分かってるネタをやるほど、おれも馬鹿じゃねえよ」
「じゃあ、何て言ったんだよ」
「ベリショは顔も度胸も甲斐性も、イマイチどころかイマ二くらいだから、メイちゃんは相手にしないと思うよ、って言ったんだよ」
「……それ、フォローか? 世間的には、そういうのを悪口って言うと思うんだけど」

 イマイチどころかイマ二、とはあんまりだ。
それに、顔のことをこいつに言われたくはない。僕とどっこいの平凡さのくせに。

「そう? でも、クラスの半分くらいはそれで納得したぜ」

 ……BL世界が、文字通り世界規模で僕に喧嘩を売っている気がしてならない。
無性に、日本が恋しくなってきた。

 僕は更に言い返そうと思ったが、こらえた。
こんなくだらない口ゲンカをするために、わざわざ扉をブチ破った(僕がやったわけではないけど)わけじゃない。

「そ、そんなことよりもお前、だ、大丈夫か?」
「何がよ」

 友人は首を傾げる。
別に衣服に乱れもないし、争った形跡もないようだった。何か隠しごとをしているふうでもない。

 僕は思わずじろじろとメガネを見た。
彼のことだから、何かあってもポーカーフェイスでいるかも……。
いやいや! いくらこいつでもさすがにアレは……。
それに相手は男だぞ。メガネは変な奴だけど、黒髪と巨乳が好きな一般的な健康男児だ。

「いや、その。お前が生徒会長にここに連れ込まれた、って聞いて……。な、何かあったんかと思って、よ」

 僕は、とっかえつっかえしながら言った。
するとメガネは、あははと笑った。

「ああ、子守唄歌ったよ」

「は?」

 自分の耳を疑った。今、こいつは何と言った?
 子守唄、と聞こえたように思えたのは気のせいだろうか。

「いや、適当に校内をぶらぶらしてたら、声をかけられてさ。子守唄を歌って欲しいって言うから」
「誰に声をかけられたんだよ」
「朝、おれに声かけてきた人。何か、ここの生徒会長らしいよ」
「おまえ……朝は丁重に断った、って言ってたじゃん」
「だって、一日に二回も同じ人にナンパされる、なんてこと滅多にないじゃん。その努力と執念を買おうと思ったわけよ、おれは」
「それでノコノコついて行ったのかよ! アホじゃねえの! ここの連中、びっくりするくらい野獣だぞ!?」

 僕の本気の力説も、メガネには全く響いていないようだった。
何よりも、男からのナンパに応えようと思う神経が、信じ難い。変な奴だということは知ってたが、ここまでだとは思わなかった。
こいつもこの世界の変な空気に、毒されてしまったのだろうか。

「でも、ほんとに子守唄歌っただけだよ。おれの美声で、会長さんはたちまち夢の世界に旅立ったしな」

 あっけらかんと言うメガネに、僕は肩を落とした。お前のどこが美声だ、クソ音痴のくせに。と、ツッコむ気力もない。

 扉の向こうで必死に七転八倒して、待っていたオチがこれとは。
もちろん、彼が無事で何よりなのだが、やりきれないことこの上ない。