■キリン耳とネコ耳の話 08■


「ベリショ、おっせえ。パシリだったら、確実にボコられてるタイムだよな」

 ダッシュで学食に戻った僕を、メガネは何とも暖かい言葉で迎えてくれた。
テーブルの上のカレーは、半分ほど減っている。

「ベリショくん、ごめんね。ありがとう。購買部、混んでた?」

 メガネとは対照的に、水無月は何処までもいいやつだ。

『姫と桜崎さんは、ひとりの男を取り合ってんだよ。…我が校の王子を、さ』

 ……唐突に、紅の言葉が脳裏に甦った。

 そう言われても、いまいちピンと来ない。
まだ、水無月とも出会って間もないので、僕の知らない彼の一面があるのかもしれないけれど。

 確かに、水無月と桜崎は仲が悪いようだったけれど、どちらかというと桜崎が一方的に水無月を嫌っているだけのように見えた。
真相はどうなのだろう。僕は、ちょっと気になり始めてきた。中途半端に、紅が煽るからだ。
我ながら、俗物だと思う。

「ベリショ、クリームパン食いたい」

 メガネがカツカレーを頬張りながら、僕に手を出してきた。そう来ると思って、多めにパンを買っておいた僕は、

「金払えよ」

 と言って、クリームパンをメガネの手のひらに乗せた。メガネは嬉しそうに、へへっと笑った。

「ベリショくんとメガネくんは、凄く仲がいいんだね」

 僕とメガネのやり取りを見て、水無月は眩しそうに眼を細めた。
 そんなことないよ、と言おうとしたが、メガネが先に口を開いた。

「なんせ、おれとベリショはできてるからね」

 メガネがクリームパンを開封しながら、気楽な調子で言う。僕は食べていたカツサンドを、吹き出しそうになった。

  それは、メガネがしばしば言う冗談だった。
元いた世界では、男女問わずそこそこウケたネタだが、ここで言うとシャレにならない。

「えっ、そうなんだ……。やっぱり、二人は付き合ってるんだ……」

 水無月が、神妙な表情で頷いた。案の定、本気にしてしまっている。
しかし……やっぱり、ってどういうことだ?
 彼の言い回しは少し気になったが、今はそこを突っ込んでる場合じゃない。

「いやいやいや! 付き合ってねえよ!」

 全力で首を横に振る僕を、水無月は不思議そうな眼で見てくる。僕はメガネの方を向き、その頭を思い切りはたいた。

「アホか! お前、ここではそっち系のネタはネタにならねんだよ!向こうでだったら
『やだーメガネくんとベリショくんてば、そうなんだー』って笑われるだけで済むけどな、ここではマジに受け取られるんだっつの!」
 
 必死に言い募る僕を見て、メガネはようやくことを把握したらしく「あ、そっか」と納得したように頷いた。

「BL世界じゃん、ここ。いやー失敗失敗。メイちゃんてばノリいいな、とか思っちゃったよアハハ」
「アハハじゃねえよ! 
……あの、ごめんな水無月。こいつ、筋金入りのバカなんだよ。今のはこいつの、タチの悪い冗談だから」
「え……え? そうなの?」

 水無月は、何がなんだか分からない、というような顔をしている。

「すんませんっす。風説の流布っした」

 メガネはネコ耳を掻きながら、軽く頭を下げた。全く反省の色が見られない。
水無月はきょとんとしたように数度瞬きをし、その直後、実に楽しそうに笑い転げた。

「なあんだ、本当かと思った!」

 メガネもヘラヘラ笑っているが、僕は冷や汗ものだった。
 危ないところだった。僕がこの場にいたから誤解は解けたけれど、いなかったら、事実として通ってしまうところだ。

「だけど、仲が良くていいなあ……。羨ましいよ」

 水無月は、何処か寂しそうに顔を伏せた。

「メイちゃん、友だちいないの?」

 メガネが不躾に言い放ち、僕はヒヤッとした。

「お、お前、失礼すぎるだろ」

 反射的に頭をはたくと、メガネは「あれ? ごめん」と素直に謝った。こいつの発言には冷や冷やさせられっぱなしだ。

「あ、ううん。気にしないで。友達がいない、ってことはないけど、そんな風にふざけあえる相手がいないのは確かだし」

 水無月は両手を振りながら、明るい声で言った。

「そっか、姫だもんね。皆に尊敬されてるんじゃ、どつき合いも出来ないよね。こんな風に」

 そう言うなりメガネは、いきなり僕の頭を平手で思いっきりはたいてきた。全く心の準備が出来ていなかったので、相当痛かった。
非難を込めた視線を彼に送ってみたが、涼しい顔で流された。

「そんじゃメイちゃん、おれたちと仲良くしようよ。それでいいじゃん。なあ、ベリショ」

 そういう照れくさいことを、ストレートに言えるこいつは凄いと思う。
が、僕に振るのはやめて欲しい。 しどろもどろになりながら、僕は「お、おう」と一応頷いた。
すると、水無月は満開の笑顔を見せた。

「二人とも、ありがとう」

 輝く笑顔、というのはこういう笑顔のことを言うんだと思う。
一体何を食ったらそんな笑顔になるんだろう。


 飯も食って満腹だ。昼休みも、少しだがまだ残っている。
となると、やることはひとつしかない。

「香炉を探しに行こうぜ。手っ取り早く、二手に分かれて」

 僕は、隣のメガネに小声で言った。

「そだね、行きますか」

 友人は頷いて、立ち上がった。僕も立ち上がる。

「おれら、ちょっと校内を見て回って来るわ」

 水無月に声をかけると、すぐに「案内しようか?」と返ってきた。

「おれ、ひとりでブラブラしたい派だから、適当に回るよ。なので、メイちゃんにはベリショの世話をお願いする、ってことで」

 メガネは一方的にそんなことを言い、世話ってオイおれはガキかペットか何かかよ、と僕が言う暇も与えずに、さっさと食堂から出て行ってしまった。

「それじゃあ、ベリショくん。僕たちも行こうか」

 そう言って笑う水無月の肩の上に、背景に馴染まない異質なものが乗っかっていた。
僕はエッと思い、眼をこらした。

 青い髪に、蝶の羽。羽根からこぼれる、銀色の光の粒。
この忌々しい姿は、忘れもしない。

「ピ……」

 僕が声を上げようとしたら、ピコカンが手で大きくバツ印を作った。

「駄目ですよ、ベリショさん! ベリショさん以外の人に、僕は見えていません。ここで騒いだら、ベリショさんは確実に変人扱いですよ」

 早口で言われ、僕はどうにか怒号を呑み込んだ。しかし、水無月は不審そうな表情で僕を見ている。
僕は平静を装って、制服のポケットから携帯電話を取り出した。

「ごめん、ちょっと電話かかってきた」

 などと適当なことを言って、水無月から離れた。


  学食を出てすぐ、道の脇に大きな木を見つけたので、その陰に隠れる。ピコカンも、フワフワとついて来た。

「てっ、めえ! 今まで何処にいやがった!」

 僕は、クソ妖精をわし掴みにしてやろうと手を伸ばしたが、あっさりかわされた。

「仕事、って言ったじゃないですか。僕だって忙しいんですから。
それにしても、思っていたよりもすんなりと、この世界に馴染んで頂けたようで、安心しましたよ。ベリショさん、才能あるんじゃないですか」
「何の才能だよ」
「もちろん、BLのですよ。姫とのフラグも、着々と立ってるみたいですし。このまま、一気にゴールインしちゃうんじゃないですか?」

 弾んだ口調で言う青い物体が、憎くてしょうがない。

「お前、何か妙に余裕がないか? 本当に、BL香炉を失くして切羽詰ってるのかよ!」
「ほらほら、いいから戻りましょうよ。
これからは、僕が色々アドバイスをしてあげますし、姫を待たせちゃ可哀想ですよ」

 僕の言葉なんて全く聞こえていないように、ピコカンは涼しい顔で僕の背中を、ぺちぺちと押した。

 腹が立って妖精を睨み付けたら、完全に据わっているピコカンの眼が、まともに視界に飛び込んで来た。
背筋に悪寒が走り、僕は身震いした。
この世界に来る前に言われた、「犯すぞコラ」の記憶が甦る。

 ……僕は、おとなしく水無月の元に戻ることにした。

  学食の入り口まで来て、中がやけに騒がしいことに気付いた。
何やら、人だかりが出来ている。

「行ってみましょうよ、ベリショさん」

 いつの間にか、僕の肩に乗っかったピコカンが、うきうきと飛び跳ねながら僕を急かす。
言われなくても、野次馬根性旺盛な僕の足は既に、人だかりの方に向いていた。
しかし、人が多すぎて、何があるのかよく分からない。

「なあなあ、これって何の集まり?」

 近くにいた、金髪の男前に声をかけてみた。
金髪男前は、

「ああ、今さっき姫に…」

と言いかけて、僕の顔(というか、頭付近)を見て目を見開いた。

「キリン耳の挑戦者……ってあんた?」

 その声と同時に、近くにいた数人が一斉に僕の方を見る。
 挑戦者? って何だ?  

 ともあれ、僕に視線が集まったせいで、人だかりが少しだけ崩れた。
その隙間から中央を覗いてみると、水無月が立っているのが見えた。

 彼の正面には、水無月よりも更に小柄な少年が立っていた。 その少年は、ぎょっとするくらい短い丈のズボンを履いていた。
短パンは、足の付け根ギリギリくらいまでしか布がない。驚異的な短さだ。股間の始末はどうしているんだ、と疑問に思う。
更に、彼は黒と白の縞柄ニーソックスを履いていた。
何を思ってそんな格好をしているのか、意図がさっぱり掴めない。

「彼は、挑戦者なんだよ。今正に、姫に挑戦中なのさ」

 すぐ側から声がした。

「あっ、ジャージとパンの人だ」

 先ほど購買で会った、抜群に変なあいつだった。相変わらず、右手に紙袋を抱えている。

「ジャージとパンの人だなんて、酷いなあ。
僕にはちゃんと、浅葱青磁(あさぎせいじ)っていう名前があるんだから、そう呼んでよ、キリン耳くん」

 ジャージ男改め浅葱は、大げさに悲しそうな表情を作り、肩をすくめた。

「それを言うなら、おれもキリン耳じゃなくて、ベリショな」

 面倒なので、本名は割愛した。名乗ったって、どうせ誰も呼ばないし。

「キリン耳くんでもベリショくんでも、見たまんまなことには変わりないじゃない」

 もっともな意見ではあるが、キリン耳という呼称は僕の男の矜持をいたく傷つけるので、ベリショの方がなんぼかマシだ。

「まあいいや。ベリショくん、この挑戦者の行く末を、一緒に見届けようよ」
「あの、その前にさ、挑戦者って何事? ストリートファイトでも始まんの?」

 観客も多数いるし、何だかものものしい雰囲気だ。水無月もその相手も、武闘派には見えないけれど。

「挑戦者っていうのは、姫に告白する人のこと。姫が今までどんな男にもなびかなかったから、そういうふうに言われるようになったんだよ」

 なるほど水無月はモテるんだな、と一瞬納得しかけたが、引っ掛かるものがあった。
 そういえばさっき、見知らぬ人間に「キリン耳の挑戦者」と言われた。
つまり僕は、勝手に水無月に惚れていることにされている、と……。

「ありえねえ!」

 僕は思わず天を仰いだ。
ちょっと一緒に、飯を食ったりしただけじゃないか。
なのに何故、この様な責め苦を味合わなければならないのか。理不尽なことこの上ない。

「…ん? 水無月は、王子とかいう奴のことが好きなんじゃなかったっけ?」

 僕の独り言に、浅葱は眼を瞬かせた。そして、意味ありげな笑みを浮かべる。

「そういう噂もあるみたいだね。でも、真相は姫本人にしか分からないことだよ」

 浅葱の言葉が終わるとほぼ同時に、短パン少年が手に持っていたピンクの小さな箱を、水無月に向かって突き出した。

「姫先輩、ずっと好きでした! これ、受け取って下さい!」

 緊張しているのか、少年の声はところどころ裏返った。周囲に、どよめきが走る。
 いきなりの告白に、僕は度肝を抜かれていた。
 こんな公衆の面前で告白なんて! 素晴らしい勇気だと思う。僕には一生できそうにもない。

「さーて、メイはどう出るかなっと」

 浅葱は心底楽しそうに、水無月たちを眺めている。
 告白した本人は、息を詰めて水無月の返事を待っていた。口をぎゅっと結び、プレゼントを持つ手が、こころなしか震えている。彼の緊張が、こちらにも伝わってくるようだった。

 水無月は顔を伏せていて、どんな表情をしているのか、僕のところからはよく見えない。
野次馬たちも静まり返り、空気は張り詰めきっている。

「……ごめん。受け取れないよ」

 その緊張を、水無月の静かな声が断ち切った。
周囲から、おおっとかわあっとか、歓声とも落胆の声ともつかないどよめきが起こる。

 短パン少年は、何を言われた分からないというふうに目を数回瞬かせた。
やがて言葉の意味が頭に染み込んで来たのか、大きな瞳に涙が盛り上がっていく。

「あああっ!」

 短パン少年はプレゼントの箱を取り落とし、その場に泣き崩れた。

「……うわあ……気の毒……」

 僕の口から、思わずそんな言葉が漏れた。それを浅葱が聞きつけたらしく、

「ふられた彼に同情してるの?」

 と、歌うように尋ねてきた。

「いや、どっちかっていうと水無月に。だって、こんな公衆の面前で告白されてさあ。
この場で返事しなきゃいけない流れだったし。人前でふられるのもキッツイけど、人前でふるのもキッツイと思うな、絶対。
しかもあんな風に泣かれて、どうしろってんだっつう感じだよな」

 水無月は沈痛な面持ちで、ごめんねとか言いながら、短パン少年の背中をさすったりしている。
短パン少年は泣き止まず、甲高い泣き声が辺りに響いていた。
なんとも、痛々しい光景だ。

「へえ……」

 ジャージ男は笑った。
 水無月とはまた違った意味で、眩しい笑顔だ。強烈なまでの存在感を感じる。
同じ人間であるはずなのに、どうして僕とこうも違っているのだろう。

 思わず彼の顔をまじまじと見ていたら、唐突にジャージに包まれた腕が伸びてきて、肩をがっちり掴まれた。

「メーイ!」

 ジャージ男が、不意に大声で水無月を呼んだ。
野次馬たちが、一斉に浅葱の方を見る。
水無月も、弾かれたように顔を上げた。

「キリン耳の彼が、ここに来てるよ!」

 周囲のざわめきが、ひときわ大きくなる。
僕は反射的に、両手で耳を隠した。しかしどうやったって、ツノがはみ出るので無駄だった。
「あれが挑戦者?」とか「有力候補って聞いたけど……」などなど、色んな声が耳に入って来る。

 それよりも視線だ。視線の量ももちろんだが、密度が凄い。
好奇心やら悪意やら、色んな感情が僕に絡みついてくる。
額に、脂汗が浮かんできた。

  そして人垣が真っ二つに割れ、僕と水無月との間に道が出来る。

「ベリショくん……」

 水無月は、ばつの悪そうな表情を浮かべた。僕も、いろんな意味でばつが悪い。
あの、こんな風にご対面させられても、どうしたらいいか分からないんですけど……。

「もう、何やってるんですか! ベリショさんってば」

 いつの間にか、ピコカンが等身大のサイズになっていた。
僕に「犯すぞコラ」と脅しかけたときの、大きさである。
驚きのあまり、声も出ない。

  ピコカンは僕の背中を思い切り押した。

「うわっ!」

 転びそうになりながら、僕は水無月の前に押し出された。

 長身になった妖精は僕の手を取って、無理矢理水無月の腕を掴ませた。
彼が息を呑む気配がする。周囲からは、悲鳴が上がった。

「えっ、おい!」

 僕は水無月の腕を掴んだまま、ピコカンの顔を見上げた。

「ほら、走る!」

 ピコカンはそう言って、僕の尻を叩いてきた。

「ええええっ」

 そ、そんなこと言われても!
 だけど、僕以外にピコカンの姿が見えていない以上、周囲には僕が自分から水無月の腕を掴んだ、としか見えていないわけだ。

 更に、野次馬たちの間から悲鳴に混じって罵声も聞こえ始めた。
明らかに不穏な空気だ。
水無月はぽかんとして、何でこの人は急に腕を掴んできたんだろう、みたいな顔をしている。
そんなことは僕が聞きたい。

「ああもう、畜生めが!」

 僕は水無月の手を引き、地面を蹴って走り出した。

 何がなんだか分からないが、とにかくこの場から逃げよう、と思った。
メガネは何事もなく学校生活を送っているみたいなのに、何で僕ばっかりイモを引く羽目になるんだ!

「ふふ、頑張ってね」

 浅葱の声が、耳を掠めたような気がした。
が、とりあえずはここから脱出だ。