■キリン耳とネコ耳の話 06■
「ここが君たちの教室だよ」
担任は、「二―B」と書かれた札を手で示した。
僕は気が重くて仕方がない。
どうせこの扉の向こうには、数十人単位で美形たちが待ち受けているのだ。
引き立てられる罪人のような気分になってきた。
晒し上げ、という言葉が脳内をよぎる。
「斉藤くん、緊張しなくても大丈夫だよ」
別に緊張しているわけではないのだが、とりあえず「はあ」と答えておいた。
「そうそう。おれがついてるぞ、ベリショ」
メガネが肩を叩いてくる。
堂々とした態度が、無性に頼もしく見えた。
担任が引き戸を開き、中に入って行く。意を決して、僕も教室内に足を踏み入れた。
そして、即座に泣きたくなった。まるで美形のワゴンセールだ。その美形たちの何十もの眼が、一斉にこちらを見ている。早く家に帰りたい、と切実に思った。
担任が、黒板に僕たちの名前を書いて行く。
「今日から転校して来た、黒川龍くんと斉藤光くんです。みんな、仲良くやりましょうね」
はーい、という間延びした返事が、生徒たちから返ってきた。
「それじゃ、席だけど……。空いてる席がふたつあるでしょう。あそこに座ってくれる?」
担任が指さしたのは教室の一番後ろで、ふたつ並んで空席があった。
メガネは
「はいっ」
とやけに弾んだ返事をして、さっさと歩き出す。
「ベリショ、どっちがいい? おれ窓際がいい」
僕が返事をする前から、メガネは窓際の席に腰掛けていた。どっちがいい、と聞く意味がまるでない。
そんなことは日常茶飯事なのでさして気にせず、僕はその隣の席についた。
「……ベリショくん」
メガネとは反対側の隣の席から、小さな声で呼びかけられた。顔をそちらに向けると、水無月が手を振っていた。
「あれっ、水無月。同じクラスなんだ」
僕は少しほっとした。知っている人間がいるのは心強い。
「うん、よろしくね」
水無月がそう言うと、彼の前に座っている生徒が、振り向いた。肩につきそうなくらい、髪の毛を伸ばしている奴だった。
「姫、彼と知り合いなの?」
クラスでも姫と呼ばれているらしい。つくづく気の毒だ。
「たまたま会ったから、職員室に案内したんだよ」
「ふうん……。そうなんだ」
そいつは僕に、なにやら含みのある視線を向けてきた。
なんとなく嫌な感じだ。そして彼は、にやにやしながら水無月にこんなことを言った。
「……あのさ、彼と姫が付き合う一歩手前って噂、本当?」
「何だそりゃ!」
水無月が何か言うよりも早く、僕は叫んでいた。
「明らかに無理があるだろ、その噂!」
「そうかなあ。そんなことないと思うけど」
長髪は、本気でそう思っているようだった。有り得ない。
「いやいや、おかしいって。誰かツッコめよ! ていうか、その不気味なトピックは校内に回っちゃってんの? 流布されちゃってんの?
勘弁してくれよマジで!」
僕はそこまで一気に言って、我に返った。
誰もが振り返って、僕に注目している。そういえば、まだホームルームの最中なのだった。
「斉藤くん……」
教室の一番前から、担任の呆然とした声が聞こえてきた。
まずい、と思った。こういうときは、先手必勝だ。
「すいませんでした! 気をつけます!」
僕は素早く立ち上がり、頭を下げた。
教室のあちこちで、クスクスと上品な笑い声が起こり、僕を包んだ。
メガネに至っては、大口を開けて遠慮なく笑ってやがる。恥ずかしくて死にそうだ。
「……そんなわけで、デマだからな!」
僕は席に着きながら、斜め前の長髪に小声で言った。
長髪は笑いながら、
「必死になる辺り、怪しいよね」
などと言ってきやがった。
本気で人を憎いと思ったのは久しぶりだ。どうしてくれよう、この男。
僕が水無月が、付き合う一歩手前?
まだこの学校に来て、一時間も経っていないのに。どんなスピード恋愛だ。
この世界では、それが普通なのか。
それ以前に、ごく普通に僕が男に惚れている、と思われていることが許しがたい。
メガネだって水無月と一緒にいたのに、何でそっちはスルーして、僕に白羽の矢が立ったんだ。僕は清楚な女の子をこよなく愛する、健康な男子高校生なのに。
もうすぐ学園祭だから何をやるか考えとくように、とかそんな連絡だけでホームルームは終わった。
教室から担任がいなくなった途端、室内が騒がしくなる。
「……ごめんね、ベリショくん」
何故か、水無月が謝ってきた。むしろ、僕はあの長髪に謝って欲しい。
「というかお前も、もうちょっと怒った方がいいんじゃねえの」
「うん……でも、放っておいたら、その内みんな忘れるし……」
水無月は、言いにくそうに口の中で呟いた。僕は彼のそんな態度に、少しイラッときた。
「メイちゃーん。一時間目って何ー?」
メガネの声が割り込んできた。
「現国だけど…。あっそういえば、ベリショくんとメガネくんって、教科書持ってるのかな」
僕とメガネは、学校のトイレからここに来た。
教科書なんて、持っているはずがない。ついでに、筆記用具も何もない。
どうしようと途方に暮れていると、机の中を覗いたメガネが
「おおう」
と変な声をあげた。
「ベリショ、見ろよ。机の中に、教科書が一式入ってるぜ」
メガネの言葉に、えっと思って机の中に手を突っ込んでみた。確かに、教科書がみっしりと詰まっている。更に机の横には、何故か学生カバンまで引っ掛かっていた。
その中には、筆記用具とノートが入っている。
「現国の教科書って、これ?」
僕は机の中から、「現代国語」と書かれた教科書を出した。水無月は、「そう、それ」と頷いた。
これも、ピコカンの仕込みなんだろうか。 気持ち悪いくらい、用意周到だ。
「それじゃあ、八十五ページを開いてください」
現国の教師は、金髪碧眼の白人男性だった。
非常に流暢な日本語を操っているが、外国人に国語を教えられる、というのは何だか不思議な気分だ。
教科書をめくると、中から一枚の紙が滑り落ちてきた。
何だ? と思ってそれを見てみる。
丸っこい文字で、何やら文章が書かれていた。
ベリショさんへ☆
どうですか、BL世界は。素晴らしい世界でしょう。
とりあえず、学校生活に必要なものは揃えてありますので、活用してくださいね。
体操服は、教室後ろのロッカーに入ってますよ!
さて、ベリショさん。素敵な出会いはありましたか?
同性愛なんて…と臆せず、果敢に恋愛のチャンスにダイブして下さいね!
きっと、可愛い(もしくは、かっこいい)彼氏が見つかりますよ!
勿論、メガネさんと付き合っちゃう、ってのもアリですからね!
あなたたちなら、お似合いですよ! 応援してます☆
愛の妖精・ピコカンより
P.S
BL香炉探しの方も、どうぞよろしく!
必ずこの学校内にあるはずですので、頑張って探して下さいね。
BL香炉の近くに行けば、濃厚かつ蠱惑的な甘い香りがしますので、すぐ分かりますよ!
読み終わった瞬間、僕は迷わずその手紙を握りつぶした。
最後まで律儀に読んでしまった、自分自身に腹が立つ。
目障りな、青い妖精の姿が頭をよぎり、僕は更にむかむかしてきた。
何なんだ、このふざけた手紙は。
本題であるはずのBL香炉の件が、何でついでのように追伸として添えられてあるだけなんだ。
隣のメガネを、横目で見てみる。
彼にも手紙が入っていたらしく、やけに真剣な顔で手元の紙に視線を落としている。
「…ピコカンか?」
僕が小声で尋ねると、メガネは頷いた。
「……あのクソ妖精が」
思わず、口から毒が漏れる。
「まあまあ。異世界ライフを楽しみながら、ぼちぼちやってこうよ」
メガネは相変わらず、何も考えていないようだ。
どうやったら、そんなふうに楽観的に構えていられるのだろう。
僕は、視線を前に戻した。おっとりした口調で、教師が詩を朗読している。
それを聞いていると、無性に眠くなってきた。密着したがる上まぶたと下まぶたを必死に引き離しながら、なんとか眠気を堪える。
水無月は、真剣な表情で授業を聞いていた。
さすが生徒会。真面目だ。
反対側を見ると、メガネが熱心に教科書にラクガキをしていた。パラパラ漫画を作成中なのだろう。常に楽しそうな彼が羨ましい。
一時間目終了のチャイムがなった瞬間、僕は大きく息を吐き出し、机に突っ伏した。
遊んでいるときの五十分はあんなに短いのに、授業時間の五十分の、なんと長いことか。
「さっき四時間目まで授業受けたのに、また朝からやり直しって何か損した気分だよな」
メガネが、伸びをしながら言った。
確かに、僕たちの世界では昼休みの真っ最中だったはずだ。
それがこっちの世界では朝というのは……時間の流れはどうなっているんだろう。
元の世界に戻ったときに、浦島太郎のようにならなければいいのだが。
「……メガネ」
メガネを見上げた。
友人は頭のネコ耳を指でいじりながら、「ん?」と首をかしげた。
僕はメガネに顔を寄せ、小声で言った。
「さぼろうぜ」
すると僕の友人は、楽しそうに眼を輝かせた。
「ワオ。転校一日目から、ベリショくんてば大胆じゃない」
「だってよく考えたら、別におれたち真面目に授業を受ける必要なんてないじゃん。
だったらその時間を、BL香炉捜索にあてた方が有意義なんじゃねえ?」
「ま、それもそうだわな」
メガネは、顎に手を当てて神妙に頷いた。
よし、そうと決まれば…と僕が立ち上がろうとしたら、何者かに手をつかまれた。
「駄目だよ、二人とも。サボりなんて、絶対許さないからね」
水無月だった。険しい視線を、こちらに向けてくる。
しまった。一番聞かれてはならない人物に聞かれてしまったらしい。小声でしゃべっていたのに、なんという地獄耳。
「サボりは、生徒指導室で説教プラス反省文提出だよ。
それに、転校初日でいきなりサボりなんて……。」
僕は助けを求めるようにメガネを見た。
メガネは首を横に振り、無理無理、というような顔をした。
少なくとも午前中は、真面目に授業を受けなくてはならないらしい。絶望すら覚える。
「ベリショくん、聞いてるの?」
水無月の厳しい声が飛び、僕は反射的に背筋を伸ばした。
「き、聞いてる聞いてる! ちゃんと授業を受けるから……!」
僕が必死に言い募ると、水無月はにっこり笑顔になった。
「分かってくれて嬉しいよ」
僕は心の中で、そっと溜め息をついた。こんな絵に描いたような優等生、初めて見た。
しかし…それはいいんだが、水無月が僕の手を握りっぱなしなのが、気になってしょうがない。
水無月の手は、世間一般の野郎のそれとは違い、やたらと華奢で柔らかい。
顔もまるっきり女の子なので、まるで女子に手を握られているようで困る。
……実際に、女子に手を握られたことはないけれど。
「話がキレイにまとまったところで、メイちゃんさあ、ベリショの手を握りっぱなしなんだけど。
その辺も、噂になっちゃうポイントなんじゃないの?」
僕の代わりに、メガネがツッコんでくれた。
水無月は、言われて初めてそのことに気が付いたらしく、
「ご、ごめん!」
と、慌てて手を離した。
「メイちゃん、顔赤ーい」
「メ、メガネくん!」
メガネがからかうように笑い、水無月が一層顔を赤くする。
まるでホームドラマのような和やかなワンシーンに、僕はハハハと乾いた笑いを漏らした。
僕だけひとり、この世界のノリになじめない。
何だか、置いてけぼりをくらったような気分だ。
周りにいた生徒たちが、そんな僕たちを遠巻きに眺め、何やら小声で話をしている。
不穏な気配をガンガンに感じるが、あまり深く考えたくない。
何でもいいから、とっとと元の世界に帰りたい!
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