■キリン耳とネコ耳の話 05■
「メガネ、お前今まで何処で何してたんだ?」
「何か、気が付いたら屋上にいてさ。そこで、男前なお兄ちゃんにナンパされてよ」
「ナ、ナンパ?」
信じられない思いで、僕は聞き返した。ここって、男子校だよな?
メガネは、あっけらかんと頷く。
「きみ可愛いね、ちょっとお茶でも飲まない、って。
校内ナンパかよー安いなオイ、と思って大笑いしちゃったよ。まあ、丁重にお断りしてきたけど」
こいつを可愛い、と言ったらしいその男もどうかしているが、校内ナンパかよーとか笑い飛ばす、こいつもどうかしている。
ツッコミ所はそこじゃないだろうが。
「ベリショの方は、早くもお友だちができちゃったわけ? 精力的に、学園ライフをエンジョイしちゃってんじゃん」
メガネは、水無月の横に立った。
「水無月、こいつは黒川龍って言って……」
メガネを水無月に紹介すると、彼は
「あ、もうひとりの転校生?」
と声を挙げた。
「転校生?」
メガネが首を傾げるので、僕は小声でピコカンの細工でそういうことになってるんだ、という説明をした。
すると、さすがに順応が早い彼は、
「どうも、転校生の黒川でーす。前の学校ではメガネ、って呼ばれてたんでそう呼んでくださーい。でもって、ベリショとは中学のときからの付き合いでーす」
と、朗らかに挨拶をした。
それを受け、水無月も笑顔で自己紹介を返す。
「メイ、って可愛い名前だねー。メイちゃんて呼んでいい?」
「うん、いいよ。じゃあ僕は、メガネくんって呼ぶね」
しかも、速攻で仲良くなってるし。何なんだろう、こいつは。
「二人揃ったところで、改めて職員室に行こうか」
水無月は僕たちを促し、歩き出した。
「姫先輩、おはようございます!」
廊下を歩いていた小柄な生徒が、水無月に笑顔で挨拶をした。
姫先輩。何だか奇妙な語感だ。
「おはよう」
水無月も、笑顔で返す。するとその生徒はぱっと顔を赤らめ、
「きゃあ!」
などと女子高生のような悲鳴をあげ、走って行ってしまった。
な、何なんだ、今のは……。
僕は半ば唖然としながら、凄いスピードで遠ざかっていく後ろ姿を眺めた。
「メイちゃん、姫って呼ばれてんの?」
メガネの問いに、水無月は苦笑を浮かべた。
「知らない間に、定着しちゃって……」
「ああ、分かる分かる。あだ名って、そんなもんだよね」
あっさり頷くメガネに、僕はこの学校に根付いているらしい、「姫」と「王子」の風習について説明してやった。
こいつなら絶対突っ込んでくれると思ったのに、
「へえ。メイちゃん凄いじゃん」
などと、至極すんなり受け入れやがった。
お前のことだけは、信じてたのに……。
廊下を歩いていると、あちらこちらから
「姫だ」
「あ、姫」
なんて声が聞こえてきて、僕は背筋がむずがゆくなってきた。
別に僕が言われているわけでもないのに、居心地が悪くて仕方ない。
当の水無月は、特に何の反応も示さない。堂々としたものだ。
「姫は今日も素敵だなあ……」
「わ、姫と眼が合っちゃった!」
……この辺の声は、幻聴と思うことにしよう。
「ここが職員室だよ」
水無月が職員室の戸を開けようとした直前に、中から戸が開いて、ひとりの生徒が出て来た。
「あ、桜崎くん。おはよう」
水無月は、その生徒に声をかけた。顔見知りらしい。
桜崎と呼ばれた彼は中背細身でメガネをかけた、理知的な男前だった。
黒髪で、少し険のある切れ長の眼と引き締まった口元に、何処となく冷たい印象も受ける。
「……おはようございます、姫」
桜崎は、丁寧に一礼した。礼儀正しい所作だが、声にはやや刺があった。
「そちらの方々は? 新しい恋人ですか?」
僕たちを横目でちらりと見て、彼はとんでもないことを吐き捨てた。そのとんでもなさと脈絡のなさに、僕は驚愕した。
恋人って何だ。何の話なんだ。
ここに来てからこっち、口を開けてばかりな気がする。出来ればもう少し、予想しやすい展開をお願いしたい。
「……彼らは、転校生だよ」
水無月の口調も、ほんの少しだがとがったものになった。
何となく、周囲の空気が重い。こういうのを、険悪なムードと呼ぶのではないだろうか。
「失礼しました。姫は面食いですもんね。彼らは、姫のお眼鏡に適うような方々では……」
カチンときた。
初対面なのに、何故いきなり喧嘩を売られなくてはならないのか。
「いやあ、全く反論できないのが悲しいよね」
メガネは笑って、肩をすくめた。
……メガネの言うとおりである。喧嘩を買おうにも、悲しいかな反論材料がひとつもない。
「……桜崎くん」
水無月の声に、今度ははっきりと怒気がこもっているのが分かった。背中が寒くなる。
「僕にはどれだけ暴言を吐いても構わないけど、彼らを侮辱するのはやめてくれるかな」
彼は、桜崎をまっすぐに見詰めた。小柄なのに、妙な迫力がある。
二人は、しばし無言で睨み合った。
彼らの間には見えない電流でも走っているようで、割り込む隙は何処にもない。
「……何か、完全に入りそびれた感じだよね、おれら」
メガネが耳打ちしてきた。
確かに、一応僕たちのことが話題に上がってはいるのだが、水無月と桜崎はお互いしか見えていないようだ。
対峙する二人の後ろで、ぼーっと突っ立ってるだけというのは、相当気まずいものがある。
しばらく無言だった桜崎は、やがて口の端をゆがめて笑った。
僕の人生の中で、ベストスリーにランクインするくらい、陰湿な笑みだった。
「さすが、姫。絵に描いたような、百点満点のお答えですね」
口調も表情も言葉の内容も、見事なまでにいちいち癇に障る奴だ。
「僕はこれで失礼します。ではまた、放課後に……」
桜崎はまた丁寧に一礼して、きびきびした動作でその場から去って行った。
彼の姿が見えなくなってから、水無月はうつむいて大きく息を吐き出した。顔を上げたときには、人の良さそうな水無月の顔に戻っていた。
「……二人とも、ごめんね。嫌な思いさせちゃって」
本当に申し訳なさそうに謝られた。僕は、首を横に振る。
「いやいや、水無月が謝ることじゃないだろ。
ていうかあいつ、誰? すっげえ感じ悪いんですけど」
「彼は、一年の桜崎雅(さくらざきみやび)くんって言って、生徒会の会計をやってくれてるんだ。どうも、彼には嫌われてるらしくて……ごめんね、ほんと」
桜崎も、生徒会だったのか。
確かに優等生に見えたし、それっぽいといえばそれっぽい。
「気が合わない人間と一緒に、生徒会の仕事するのもキツそうだよね。メイちゃん、お疲れ」
メガネはそう言って、
「おれだったら、絶対無理だなー」
と続けた。
「僕も、出来たら仲良くしたいと思ってるんだけどね」
水無月が寂しそうに笑ったそのとき、高らかにチャイムが鳴り響いた。
「あ……、予鈴が鳴っちゃった。ごめん、僕、先に教室に戻ってるね。
中に入って、誰でも良いから先生に転校生だってことを伝えて。
そうしたら、担任の先生に通してもらえるから」
「おう、ありがとうな、水無月」
「それじゃあ、またね」
水無月は僕たちに手を振りながら、小走りに駆けて行った。
「いやあ、メイちゃんはいい子だねえ」
メガネが、感心したように言った。確かに、親切で面倒見のいい奴だと思う。
桜崎とやり合っていたときは、ちょっと……いや、相当怖かったけれど。
職員室は、生徒たちよりも年齢層が少し上がっただけの、美形のるつぼだった。
僕たちの担任という男は髪の毛がやたらと長く、一見すると女のような風貌だった。
水無月とはちょっとタイプの違った、儚げな感じがする美形だ。
「はい、これ。大事に使ってくださいね」
担任は、僕たちに生徒手帳と学生証を手渡した。声もまるっきり女みたいだった。
手帳を早速開いてみると、最初のページに聖凛学園の校訓が書かれていた。
一、全校生徒は、美しくあるべし
そこまで読んで、僕は手帳をそっと閉じた。
この時点で僕は校訓違反だ。
他にもたくさん校訓が書かれていたようだったが、読む気になれなかった。
次に、学生証を見てみた。
銀行のカードのような、しっかりしたつくりの証明証である。
そこに貼られている僕の写真は、明らかにカメラ目線でなく、画面外にいる誰かと談笑している写真だった。メガネの学生証を覗き込むと、そちらは大口を開けてサンドイッチに食いつこうとしている写真だった。
清々しいまでに、盗撮丸出しだ。
ピコカンの仕業だろうか。もはや怒る気にもなれない。
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