■キリン耳とネコ耳の話 04■

「まだ朝のホームルームまで時間があるけど、職員室、行く? 案内するよ」
「はあ……」

 僕は曖昧に頷きながら、歩き出した水無月について行くことにした。本当はさっさとBL香炉を探しに行くべきなのだろうが、正直、一人になるのが恐ろしかった。
 
 悪趣味な部屋の向こうには、もうひとつ部屋があった。
そこには大きな円卓があり、品のいい花瓶と色鮮やかな花が飾ってある。
この部屋も、金がかかっていそうな内装だった。
しかしさきほどの部屋と違って、うんと趣味がいい。

「ここも生徒会室?」
「うん。あと、あっちに仮眠室があって、キッチンがこっちで、応接室があそこ。
さっき僕たちがいたのは、会長室だよ」
「な、何でそんなにいっぱい部屋があんの」

 僕が驚いて尋ねると、水無月は「え、そんなものじゃないの?」と首を傾けた。

 もしかして、ここは金持ち学校なんだろうか。
しまった、僕は庶民ど真ん中の生まれだ。一事が万事こんなノリだったら、絶対について行けない。

 生徒会室を出ると、そこは廊下だった。

 意外にも、廊下は普通の高校と変わらない作りだったので、僕は少し安心した。
廊下には、たくさんの男子生徒が行き交っていた。
そこにはマッチョは見当たらず、更に安堵した。

 何だ、BL世界ってそんなに恐い世界でもないじゃないか。

 僕は生徒たちを観察しようとしたが、そのとき急に視界が眩しくなった。

「うっ」

 思わずうめくと、水無月が、「どうしたの?」と心配そうに覗き込んできた。
 何だ、一体何がそんなに眩しかったんだ。

 僕は恐る恐る顔を上げた。そして、理解した。
廊下を歩いたり談笑してる生徒たちは皆、モデルやアイドルのような男前、美少年ばかりだったのだ。

あいつもこいつもどいつも美形。眼が眩むほどの美形ラッシュだ。おまけに、全員が嫌味なくらい細身で、しかも足が長いと来ている。

「な、な、なんだこれ……!」

 僕は後ずさった。
こんなにも美形ばかりが集合しているというのは、異様な光景だった。恐怖すら覚える。

「ベ、ベリショくん?」

 固まっている僕を、水無月が突付く。言うまでもなく、彼も美形だ。もしかして、この世界には美形しかいないのだろうか。だとしたら、ある意味マッチョだらけよりも恐ろしい世界だ。

 顔は十人並みで、足よりも胴が少々伸びやかに育ってしまった僕は、もの凄く居心地が悪い。
 
そこでふと、ピコカンの言葉が頭をよぎった。

――そこは、BLが好きで好きでたまらないお姉さんたちのために、喜びと幸せと萌えを供給する世界です。

 つまりここは、お姉さん方の夢が詰まった世界、ということか。だとしたら、美形だらけなのも納得だ。

「……男は顔じゃないよなっ?」

 僕は勢いよく、水無月を振り返った。水無月は戸惑ったように、「え? う、うん」と頷いた。

「そうさ、男は顔でも足の長さでもないよな……! 心だ心。心が綺麗な奴が、最後には勝利するんだ。よし水無月、行くぞ」

 半ば無理矢理自分を鼓舞しつつ、水無月を促した。

 しかし数メートル歩いだけで、げんなりしてきた。
すれ違う人間がこうも美形ばかりだと、いささか胃が重くなってくる。
美形酔い、とでも言うのだろうか。平凡な顔立ちばかりだった、元の世界が恋しい。

 それになんとなく、行く人行く人が僕の顔を、チラチラ見ているような気がする。
そんなにこの顔が珍しいか。
もしくは、珍しいのはキリン耳か。どちらにせよ、いたたまれないことこの上ない。

 その内に、僕はあることに気が付いた。

「水無月、この学校の制服ってどうなってんの? 学ラン着てる人とか、ブレザー着てる人とか……バラバラなんだけど」

 水無月は紺色のブレザーを着ているが、黒や灰色、白のブレザーを着ている生徒もいる。

「学ランかブレザー、更に色を自由に選べるんだよ。
クラス全員が同じ色でまとめてる、ってクラスもあるし、クラブの規則で学ランを着てる生徒もいるし」

 美形の考えることは分からん、と僕は思った。

「姫!」

 そのとき、前方から声が聞こえてきた。

 今、姫って言ったのか?
日常生活の中ではあまり聞かない単語の登場に、自分の耳を疑ってしまった。

「おはようございます!」

 元気よく、ひとりの小柄な男子生徒が飛び出してきた。
そして、風が起こりそうな勢いでお辞儀をする。

 僕は、彼の髪の毛に眼を引かれた。鮮烈な、赤い髪だ。
彩りの乏しい校舎に、全く馴染まない色彩である。 この学校には、頭髪に関する規則はないのだろうか。こんな髪の色が許されるなんて、相当自由な校風だと思う。

「やあ、おはよう」

 水無月が微笑むと、赤い彼は歯を剥き出しにして、無邪気な笑顔を見せた。

  その後ろからゆっくりとした動作で、もうひとり小柄な男子が歩いてきた。
 こちらは、赤い彼と同じ灰色のブレザーを着ているが、髪の毛が真っ白だった。
 この二人の男子生徒は、まったく同じ体型で同じ顔をしていた。

 双子…なんだろうか。
真っ赤な頭と、真っ白な頭。
二人が並ぶと、のし袋についている水引を思い出してしまう。なんともめでたい色合いだ。

「おはようございます、姫」

 白い彼は消え入りそうな声で言って、丁寧に礼をした。

 ……やっぱり姫と言った。耳の錯覚ではなかったらしい。

「姫、こっちの彼は誰ですか? もしかして、挑戦者ですかっ?」

 赤い彼はウキウキと意味不明なことを言い、灰色のブレザーの胸ポケットから、メモを取り出した。

「……彼は、転校生だよ」

 水無月は、ため息混じりに言った。

「なーんだ、久々の挑戦者かと思ったのに」

 赤い彼はつまらなさそうに肩をすくめ、メモを胸ポケットにしまいこんだ。
 全く話についていけない。なんとも所在ない気分になっていると、水無月が彼らを紹介してくれた。

「ベリショくん、彼らは双子の寿(ことぶき)兄弟。赤い髪のほうが紅(こう)くんで、白い髪のほうが、白(はく)くん」
「寿紅白……! いよいよおめでたいな」

 それに、見分け方が見たまんまだ。
こんなにも区別のつけやすい双子を、僕は初めて見た。

「おれら、新聞部なんだ。何かいいネタがあったら、是非おれたちに教えてくれよ」

 先ほど彼が胸ポケットからメモを取り出したのは、新聞部だからか。
僕は納得しながら、「はあ」と生返事をした。

「それはいいんだけどさ、今、水無月のことを姫って呼ばなかった?」
「うん、呼んだよ。姫は姫だし」

 紅は、当然のことのように頷く。

「水無月、お前……姫なんてあだ名なんだ……?」

 僕は、おそるおそる水無月を見た。
すると彼は慌てたように、

「べ、別に、僕が自分でそう名乗ってるわけじゃないんだよ!」

 と、主張した。
しかし、あだ名については否定しない。どうやら本当に、彼は姫と呼ばれているらしい。

 それについて、紅が説明してくれた。

「うちの学校では、眉目秀麗、成績優秀、品行方正な生徒を全校からひとり選んで、姫って呼ぶ風習があるんだよ。
あだ名っていうか、称号みたいなものかな」

 日本語としては理解できるが、文章の意味が全く分からない。
 僕は、自分の口が開きっぱなしであることに気が付いた。呆然とするしかない。
何なんだ、その、学校生活においてひとつも利益のなさそうな妙な風習は。

「ひ、姫? 王子じゃなくて?」

 とりあえず、基本的なところから突っ込んでいくことにした。

「王子もいるよ。姫と王子、ひとりずつ」

 間髪を入れず、紅からそう返って来た。

 男子校で王子というのも、なかなかどうして首筋がかゆくなる話だ。しかし、そこは百歩譲るにしても、王子がいるならそれだけでいいじゃないか、姫は勘弁してやれよ、とも思う。

「ひでえ話だ……。水無月、お前って気の毒な奴だったんだな……。おれは姫なんて呼ばず、ちゃんと水無月って呼ぶからな」

 思わずしみじみとそう言うと、水無月と紅白が一斉に驚いたような表情になった。
そんな彼らの反応に、僕の方が驚いた。何だ、その見事にシンクロした反応は。

「……え? 姫って呼んだ方がいい、のか?」
「ううん! そんなことは全然。ベリショくんの呼びやすいように呼んで」

 じゃあ、どうしてこんな変な空気になっているのだろう。

「……姫は、伝統と栄誉ある称号ですよ」

 白の静かな呟きに、紅が「そうだそうだ!」と呼応した。

「姫と王子は、全校生徒の憧れの的なんだぜ!」
「いやでも、男子校で姫はないだろ、姫は。端から見たら、単なるイジメだぞそれ!」
「イジメじゃねえよっ。尊敬を込めて呼んでんだから!」
「だって、姫って女じゃん!」

 思わずムキになる僕に、紅も更に食いついてこようとしたが、

「……紅、そのくらいにしなよ」

 と、白に制されて、渋々といったふうに口を閉じた。

「姫の風習を否定する奴なんて、初めて見た。信じらんねえよ」
  今までその風習に、異議を唱えなかった人物がいなかったことこそ、僕には信じられない。僕が言う前に、誰か突っ込んどいてくれよ。

  紅は変質者を見るような目つきで、僕を見た。
その視線が、特にキリン耳に向けられているような気がするのは、被害妄想だろか。

「個性的で、面白い人だと思うよ」

 何処か含みのある口調で言いつつ、白は薄く笑った。紅の明るい笑顔とは全く印象が違う、なんとなく陰気な笑いだった。褒められているわけじゃない、ということはよく分かる。

「まあ……おれたちにいいネタを提供してくれそうな、そんな感じはするよな」

 紅はニッと笑った。

「いつの間にかギャラリーが出来ちゃってるし、おれたちは退散するよ」

 紅の言葉で初めて、自分たちの周りに人だかりが出来ていることに、気が付いた。
先ほどの口論で、人が集まってきたのだろう。

「それじゃ期待してるよ、キリン耳さん! スクープがありそうだったら、すぐに飛んで行くからさ!」

 紅は僕の肩を数回叩き、そのまま踵を返して去って行った。

「……いやあ。色んな奴がいるんだな、この学校も」

 遠ざかっていく、赤白二色の後ろ頭を見送りつつ、僕は呟いた。この世界に来てまだ三十分も経っていないのに、早くも盛りだくさんな学園生活だ。

「ベリショくん、彼らには気を付けてね」

 紅白の姿が見えなくなってから、水無月がそっと囁いてきた。

「あいつら、何かあんのか?」
「悪い子たちじゃないんだけど、記事のターゲットにされちゃうと、ちょっと……ね。
部活に情熱をかける余り、強引な手に出ることも多いから……」
「ふうん。じゃあ、気を付けとくよ」

 苦笑する水無月に、頷いておいた。
しかし、僕が新聞部に目を付けられるようなことがあるとは、到底思えない。
自分で言うのも何だか、たとえ学校内のローカルな新聞であっても、紙面を飾れるほど華のある人間ではない。

  その時、あっという間に崩れていく人だかりの中に、見知った顔を見つけた。

「メガネ!」

 僕は叫んだ。
野次馬の中に、何食わぬ顔でメガネが混じっていたのだった。

「よーす、ベリショ。元気ー?」

 メガネは、ひらひらと手を振りながらこちらにやって来た。

「お前、何で他人行儀に見物してんだよ」
「だって、盛り上がってらっしゃったから、邪魔したら悪いかなと思って」

 離れ離れになってから一時間も経っていないが、随分長い間会っていなかったような気がする。

 友人に再会できた喜びよりも先に、僕はメガネの顔にホッとした。お世辞にも男前とは言いがたい、平均的日本人男子の顔に癒される。
平凡な顔立ちというものが、こんなに心和むものだと思わなかった。
美形だらけの砂漠に咲いた、一輪の花だとすら思った。

「会いたかったぞメガネ。美形ばっかりで胸焼けしてたんだよ。
お前のその締りのない顔に、癒される日が来るとは思ってなかった」
「ベリショくんてば、さりげない誹謗中傷が冴えてるね。
お前こそ、校舎内でキリン耳が映えてていい感じよ。超ラブリー」

 メガネがへらへら笑いながら、僕のツノをわしづかみにする。
このノリも何だか懐かしくて、ホッとしてしまう。