■ネコ耳とキリン耳の話 03■
「な、何だよ、これ……」
そこは広い部屋だった。
床は絨毯張りで、頭上には豪華すぎて気持ち悪いシャンデリアが見える。
そして僕のすぐ側には、大きなライオンの像が置かれていた。
ライオンは大理石で出来ていて、天を仰いで咆哮している。無駄に大迫力だ。
他にも高そうなツボが置いてあったり、壁には油絵がかかっていたりした。
意味が分からない。
しかもそれらの装飾品は、規則も何もなくごちゃごちゃと並べられている。
よく見れば、倒れているツボもあった。
この部屋の主は、随分と悪趣味で雑な性格らしい。
部屋の奥には、大きなガラス張りの机が置いてあった。
その上には金色の花瓶に、大輪の真っ赤なバラだ。
目がチカチカしてしょうがない。
「はい、こちらBL世界でございまあっす!」
ピコカンが、僕の眼の高さまで飛んできた。上目遣いの視線が、心からむかつく。
「この悪趣味な部屋がBL世界なのか?」
「この部屋は、飽くまで一部です。ちなみにここは聖凛(せいりん)学園という、中高一貫の男子校です。
ベリショさんたちは、ここに転校して来た生徒……という設定を作っときましたから」
作っときましたから、と言われても困る。
男子校が嫌で共学を受験したのに、何でわざわざ男子校に転校しないといけないのだ。
反論しようとしたが、ピコカンの大きなあくびに遮られてしまった。
「それでは香炉探し、よろしくお願いしますね」
妖精は、目をこすりながら言う。やる気があるのかないのか、さっぱり分からない態度だ。
「探すって言っても……どこにあるのか、目星はついてんのかよ」
そう言うと、ピコカンはむにゃむにゃと返事をした。
「最後に香炉を使ったのがこの学校なので、多分この辺にあると思うんですよねえ。
ちなみにBL香炉は、白地に裸の美少年が描かれているという、ファニーなデザインの香炉です。大きさは、ベリショさんの手のひらに乗るくらい」
「うわ……すっげえ悪趣味……」
「実際に見れば、ベリショさんもきっとときめきますよ。
あ、見つかるまで元の世界には帰しませんから、気合入れて探して下さいね」
ピコカンはそんな恐ろしい言葉を、ついでのように付け加えた。
「は、はあっ? なんだよそれ!」
「だって、BL香炉を探すために来て頂いたんですから。見つかるまでお付き合い頂くのが道理でしょう」
妖精は口では笑っているが、その目は全く笑っていない。
むしろ「グダグダ言ってると犯すぞコラ」というような顔をしている。
「それじゃ、僕はこれにて!」
ピコカンは、笑顔でひらひらと手を振る。僕はぎょっとして、彼を見上げた。
「え? お前、行っちゃうの?」
「あ、大丈夫です。急ぎの仕事が終わったら、また戻ってきますから」
「ちょ……」
「では、健闘を祈ってますよーっと」
そう言って、無責任な妖精は水色の煙とともに消えてしまった。
僕は呆然として、しばしピコカンが消えた辺りを見つめていた。
……しかし、ボーっとしていても、始まらない。
ここから帰る方法が分からない以上、ピコカンの言う通り、BL香炉を探さなくてはならない。
甚だ不本意ではあるが。
辺りを見回すと、背後に、大きな扉を見つけた。
部屋には、僕の他に誰もいない。
……誰も?
「メガネ?」
僕は友人を呼んだ。しかし帰ってくるのは静寂のみだった。
「おい、ピコカン! メガネは何処だよ!」
返事は返ってこない。全身に、悪寒が走った。
足元から、不安と焦燥が這い上がってくる。
こんな得体の知れない場所にひとり置き去りにされたという事実が、頭の中に染み込んで来た。
「冗談じゃない!」
僕は思わず大声で叫んだ。
「メガネ、何処にいんだよ!」
と、もう一度叫んだが、やはり返事はなかった。
「何だよ……そりゃねえだろ!」
僕は頭を抱えた。耳とツノが、手に当たった。
キリン耳は持続中らしい。泣きたくなってくる。
ピコカンは僕たち二人にBL香炉探しの試練を課したのだから、二人一緒にBL世界に連れてくるのがセオリーだろう。
なのに何で、メガネはここにいないのだ。
いや、それ以前に、メガネはこの世界に来ているのだろうか。
あの妖精は寝不足だった。
手元が狂って、メガネだけこちらに来ていない、という可能性も……。
「メ、メガネええ。何処にいるんだよおお」
声が半分以上涙声になっているのが、情けない。
だけど、不安なものはしょうがない。
ちゃらんぽらんな友人だが、彼の適応能力は結構アテにしていたのに。
いなくなって初めて分かるありがたみ、というやつだ。
意を決して、僕は扉に歩み寄った。
とりあえずはここから出て、行動しないことには何も始まらない。
そうしてドアノブを掴んだが、そこで動きを止めた。
もしかしたらこの先に、マッチョが大勢いるのかもしれない。
ともすれば、マッチョたちがまぐわっているのかもしれない。
そう思うと、ノブを回すことがどうしても出来ない。
そのとき、唐突に向こう側からドアノブが回された。僕は驚いて、手を引っ込めた。
マッチョが来る! と思ったのだ。
隠れないと……、とあたふたしている内に、扉が開かれた。
「……あれっ?」
柔らかい声が、僕の耳に滑り込んできた。
女のような男のような、中性的な声だ。
おそるおそる扉の方を見る。
そこに立っていたのはマッチョでもなんでもなく、紺色のブレザーを着た小柄な少年だった。
髪の毛はふわふわの茶髪で、黒目が冗談のようにでかい。
睫毛も、嘘だろと思うほど長かった。
肌も真っ白で、なんというか……かっこいいとかキレイとか可愛いとかでなく、眩しい、という言葉がぴったりだった。
僕は未だかつて、こんなに整った顔立ちの人間を見たことがない。
……というか、本当に「彼」だろうか。
男物の制服を着ているが、女の子にも見える。
首も肩も腰も細いし、もしかしたら女の子かもしれない。
「きみ、いつからそこにいたの?」
大きい眼を丸くして、彼(一応、「彼」と仮定することにした)は僕に尋ねた。
彼が見た感じ普通の人間であることと、日本語を話していることに僕は心底ホッとした。
「いつから……。ええと、五分くらい前から、だっけな」
そう答えると、彼は「えっ」と言いながら首を傾げた。
「一体何処から……」
それは僕が聞きたいところだ。
「いやあ、ちょっとそれは自分でもよく分かんなくて……。あのさ、ここって何処?」
「生徒会室だよ。知らずに入ったの?」
彼は、白い歯を見せて笑った。人の良さそうな笑顔だった。
この下品な部屋が生徒会室?
こんな品のない生徒会室が存在するなんて、恐ろしい世界だ。
「もしかして、きみ転校生?」
彼は何かを思い出したように、懐から手帳を取り出し、せわしくページを繰り出した。
「確か今日、二年生に二人転校生が来ることになってた、と思うんだよね。
ええと…、ああこれだ。斉藤光くんと、黒川龍くん」
黒川龍。メガネだ。その名前を聞いて、妙にほっとした。
……ちゃんと、彼と再会できるといいのだが。
「あ、斉藤っす。あだ名はベリショっす」
僕は軽く挙手をした。
条件反射的に、言わなくてもいいあだ名まで名乗ってしまった。
「へえ、ベリショくんっていうんだ」
楽しそうに、彼が微笑む。
「やっぱりきみ、転校生だったんだ。担任の先生に挨拶してきた?
……あ、ごめん。僕の自己紹介がまだだったね。
僕は、水無月(みなづき)メイ。
ここ、聖凛学園の二年で、生徒会の副会長だよ。よろしく」
「メ、メイ? え、お前って女……?」
「やだな、ここは男子校だよ」
面食らって尋ねる僕に、彼…水無月は笑顔でそう答えた。
そういえば、ピコカンもここは男子校だと言っていた。
それにしても、男にメイだなんて気の毒すぎる。
僕も男なのにヒカリなんて名前だが、メイには負ける。
僕はこの名前のせいで、義務教育の九年間、同級生たちにきっちりからかわれ通した。
きっと水無月も、同じような辛い経験をしていることだろう。
彼なんて顔も女みたいだから、尚更だ。
「……強く生きて行こうぜ」
僕はしんみりしながら、水無月の肩を叩いた。
彼は、何がなんだか分からない、というような表情をした。
「ところでベリショくん、珍しいね。僕、初めて見たよ」
「何が?」
「きみの、キリンの……」
「うそお!」
思わず、頭を手で隠した。
ピコカンは『普通の人間には見えないようにしてある』と言っていたのに。
約束が違うじゃないか。
「あ、ごめんごめん、大丈夫だよ。全然変じゃないよ」
水無月は、慌てたようにそう言った。
そんな無理のあり過ぎるフォローをもらっても、ちっとも嬉しくない。
「ほんとに、大丈夫だって。この学校には、色んな耳の人がいるから」
「んなわけあるかよ!」
「本当だって! 僕のクラスにも、ウサギ耳の子がいるし。獣耳だって個性のひとつなんだから、何も恥じることはないよ。」
水無月は、やけに熱っぽく語った。
クラスメイトがウサギ耳だなんていう衝撃の事実を、彼は違和感なく受け止めているらしい。なんて心の広い奴なんだ。
「だからベリショくんも、耳を隠すのはやめなよ。堂々としてなきゃ。親からもらった、身体の一部なんだから」
僕のは別に、親からもらったわけじゃないんだけど……と思いつつも、水無月の熱弁に気圧されて、頭から手を下ろした。
そうすると、水無月が嬉しそうに微笑む。アイドルみたいな微笑だった。
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