■キリン耳とネコ耳の話 02■


「お困りのようですね!」

 突然、場違いなまでに明るい声が響いた。
僕は、より一層必死に耳を隠しながら、振り向いた。

 そこには、手の平サイズの少年がふわふわ浮かんでいた。
髪は非常識なくらい鮮やかな青で、髪と同じ色の瞳がきらきら……というか、ぎらぎら輝いていた。
異様な生気と緊迫感に満ちた眼だった。
背中には、透き通った蝶の羽根が生えていて、そこから銀色の光の粒が舞い落ちている。

  えーと、これは、つまり……。

「メガネ、おれ、妖精さんまで見えるようになっちゃったよ」

 僕は、言いようのない絶望感を感じた。
妖精が見えるようじゃオープンリーチだ。ラスボス一歩手前だ。

「大丈夫、おれも見えてるから。今この瞬間、確実に電波世界の門扉をくぐったね、おれら」

「ちょっとちょっと、暗いですよお、ベリショさんにメガネさん」

 妖精は、僕たちの前をふわふわ飛び回った。正直、目障りだと思った。
一言言ってやりたいが、こいつに話しかけるのが何だか怖かった。
話しかけてしまうと、くぐったばかりの電波の世界の門を、内側から施錠してしまうことにはならないだろうか。
僕はまだ、普通の世界の住人でいたい。

「あっちこっち飛び回って、落ち着きないなあ」

 僕の恐れやら思案を無視して、メガネはあっさりと妖精に話しかけた。

「ごめんなさい、じっとしてたら寝てしまいそうで。ここのところ寝不足なんですよ」

 よくよく見ると、妖精の目の下にはクマが出来ていた。寝不足の妖精なんて、初めて聞いた。

「寝ないと駄目だよー。その内倒れちゃうよ」

 何でメガネは、こいつと普通に会話しているのだ。
 しかも何で、この妖精のことを気遣っているのだ。

「いやもうホントにねえ、寝ないと脳が死にますからね」
「おい、おれは妖精と世間話なんかする気はねえんだけどな」

 とうとう我慢できなくなった僕が睨みをきかせてそう言うと、妖精はころころと笑った。

「いやあ、凄んでもキリン耳とツノのおかげで締まらないですねー」
 その言葉に、顔が熱くなるのを感じた。確かにその通りだ。

 こんなマヌケな格好じゃ、何を言っても締まらない。
というか、カッコ悪すぎる。
今更、この姿を他人に見られる羞恥がこみ上げてきた。
トイレの個室にでも逃げ込みたい。

  そんな僕に、メガネは優しく笑いかけてくれた。
やっぱり、持つべきものは友達だ。

「大丈夫だって、ベリショ。今のお前は知性が低そうで、非常に可愛いぞ」
「……フォローしたいのかトドメ刺したいのかどっちか分からんが、とりあえず有難うよ相棒」

 僕は、自分以外もう何も信じないと心に誓った。

「ところで、あんた誰?」

 メガネは、妖精に向き直った。そうだ、そんな初歩的なツッコミを忘れていたなんて。

「ああそうでした。僕の名前はピコカン。ボーイズラブの精です」
 ピコカンとやらは、にっこりわらってお辞儀をした。
「は? ボーイズラブの精?」

 聞きなれない単語に、僕は思わず聞き返した。

「ちなみに攻です」
「いや聞いてないし。攻の意味もわかんねえし」
「あなた方二人だと、メガネさんの方が好みです」
「いやだから聞いてないから。メガネが好みとか、意味分かんねえよ」
「……ベリショさん、本当に分かんないんですか?」

 ピコカンは、本気でびっくりしたふうに眼を見開いた。
そんなことも知らないのか、とでも言いたげなその表情が、非常にむかつく。

「そんなの知らねえよなあ、メガネ」

 当然同意を得られるものと思ったのに、メガネはあっさり、

「や、おれは分かるよ」

 と、こちらの期待を裏切ってくれた。

 なんだ、もしかしてそれらは常識なのか。
知らないと恥ずかしいことなのか。

「え、じゃあそのボーイズラブとかって、何なんだよ」

 妖精に聞くのはシャクなので、友人に説明を求めることにした。
すると彼は、淡々とした口調で話し出した。

「ボーイズラブは、少年同士の恋愛をモチーフにしたフィクション作品のこと」
「はっ?」

 メガネの説明を、咄嗟に理解することができなかった。

 少年同士の恋愛?
 てことは……。

「ホ、ホモってこと?」

 なんとなく声のボリュームを落として囁いた。それには、ピコカンが答える。

「んー、ボーイズラブイコールホモ、と安易に定義づけは出来ないんですけどお。
僕も、ホモの精ではなく、飽くまでボーイズラブの精なわけですし」
「何がどう違うわけ?」

 純粋な好奇心で尋ねると、ピコカンは満開の笑顔(だけど、目が笑っていなくて怖かった)を浮かべた。

「説明がめんどくさいんで、ベリショさんの解釈しやすいようにどうぞ!」

 なんて適当な妖精なんだろう。
ピコカンは何度も瞬きを繰り返していて、むりやり眼を見開いているようだった。
本当に眠そうだ。

「そんなわけで、僕困ってるんですよ。助けてください」
「何がそんなわけで、だよ」
「お二人の力が必要なんです」

 僕の言葉を鮮やかに無視して、妖精は一方的に続けた。

「あなたたちは選ばれた勇者です! どうか、ボーイズラブ世界を救ってください!」

 まるでRPGのようなベタなセリフを、ピコカンは吐いた。「ボーイズラブ世界を救え」なんていうRPGは聞いたことないけれど。

「え、いや。初対面で助けて、とか言われても困るっつうか、そんな義理ないし」

 ぶっきらぼうに言うと、ピコカンが凄い眼つきで睨んできた。
背筋に悪寒が走り、思わず口を閉じる。
……今の眼は、人の一人や二人は殺している眼だ。恐るべし妖精。

「ボーイズラブ世界、って何?」

 メガネが質問すると、ピコカンはにっこりと優しい笑みを浮かべた。
この差は一体何なのだろう。至極理不尽なものを感じる。

「この世界とはちょっと次元のずれた場所に、ボーイズラブ世界という場所が存在します。
そこは、ボーイズラブ、略してBLが好きで好きでたまらないお姉さんたちのために、喜びと幸せと、ときめきを供給する世界です。
そこには様々な少年、男性が存在します。
あらゆる需要にお答えできるように、無数の恋愛が日々始まり、終わっていくのです。
その様々な恋愛を小説や漫画などの媒体に載せ、世のBL好きの方々にお届けすることと、BL世界全般の管理が僕の仕事です」

 ピコカンは、パンフレットでも読み上げるようにすらすらと説明した。
しかし、いまいち意味がつかめない。

「行けば分かりますよ。素晴らしい所ですよ。正に、BLの楽園です!」
「てことは……そこって男しかいねえの?」

 思わず、マッチョなオッサンがうようよしている世界を想像してしまった。怖い。怖すぎる。

「そうですね、大多数が男です。女性もいることにはいますが、ごく少数ですね」
「あー、パスパス。絶対そんなとこ行きたくない」

 僕は、顔の前で手を振った。
何が悲しくて、野郎だらけのむさい世界に行かなくてはいけないのだ。

「BL世界には、BL香炉というものが存在します」

 僕には構わず、ピコカンは説明を続ける。

「おい、聞けよこら」
「その香炉は、BL世界になくてはならないものです。
世にもかぐわしい香りを放ち、その香りには、人の好意や恋愛感情を増幅させる効用があります。
いうなれば、男性同士にしか効かない、惚れ薬のお香版てとこですね。
縁結びのお香、でも構いませんが。
友だち以上恋人未満でウロウロしているカップル候補を、手っ取り早くくっつけるときなどに使います。
とにかくたくさんのカップルを生み出さないといけないので、それがないと追いつかないんですよ」

 ピコカンは、ため息をつきながら言った。

「しかし、こともあろうにそのBL香炉を紛失してしまったのです!
僕一人ではどうしようもありません。
なのでお二人にも、BL香炉を探すのを手伝って欲しいと」

「何だよ、明らかにお前の監督不行き届きじゃんかよ。てめえの尻はてめえで拭えよ」

 僕が吐き捨てるように言うと、ピコカンの眼がぎょろりとこちらを向いた。
その眼は完全に据わっている。

「人間風情は妖精様の言うこと聞いてりゃいいんだよこのカスどもが助けてくれっつってんだから快く引き受けやがれボケが時間の無駄なんだよ犯すぞコラア!」

 ものすごい剣幕でまくしたてられ、一瞬ひるんでしまった。
しかし、こんな手のひらサイズの妖精に負けるわけにはいかない。
僕は、勇気を振り絞った。

「リカちゃん人形よりも小さいくせに、何が犯すだ!」
「できないと思いますか」
「やれるもんならやってみ……うわあああっ!」

 僕は腹の底から悲鳴をあげた。

 いつの間にかピコカンが! でかく! なってる!

  身長は僕よりも高く、すらっとした体つきをしている。
それでもって、ミニサイズだったときはプリプリのロリ顔だったのに、何故か今は目元が涼やかな美形になっていた。
どういう仕組みなんだ、とか考える余裕もない。

「じゃあ遠慮なく」

 ピコカンの顔が近づいてくる。僕の全身に、鳥肌が立った。
 妖精の手が、僕の腰をさわりと撫でた。

「ひえあああすいませんすいませんおれが悪かったです! もう言いません許してくださいごめんなさい!」

 半泣きになりながら必死で拒むと、ピコカンは僕から離れてくれた。

「分かってくれて嬉しいです」

 その言葉が僕の耳に届いた頃には、既に彼は手のひらサイズに戻っていた。
僕の心臓は、まだバクバク言っている。
怖かった。心の底から怖かった。体の底が冷えていくのを感じた。恐ろしい奴だ。

「それにほら! そのネコ耳にキリン耳! それはBL世界では勇者の証なんですよ」
「……その設定、今作っただろ」
「ええその通りです。適当に言いました。その耳は、単なる僕の好みです」

 僕の言葉を、ピコカンはあっさりと認めた。本当に、何なんだこいつは。

「じゃあ言い方を変えましょう。その耳を取って欲しかったら、僕に協力してください。
拒否するなら一生そのままです。
かつ、今は普通の人間にはその耳は見えないようにしてありますが、誰にでも見えるようにして差し上げます。
ぼくに協力するか、コスプレ人生を送るか、お好きな方を選んでください」

「おいおい、一転して脅迫かよ! 汚すぎるぞ、お前」

 なんて奴だ。タチが悪いにもほどがある。

「おお、じゃあ今までこの耳って、他の連中には見えてなかったんだ。良かったじゃん」

 メガネは、気楽に笑っている。こいつは本当に、今の状況を理解してるんだろうか。

「メガネ、笑ってる場合じゃないだろ。どうすんだよ」
「協力してあげればいいじゃん。一日一善しようぜ。ちょっとビッグな一善になりそうだけど」

 友人はあっさりと、妖精の頼みを承諾した。
僕が言い返す暇を与えず、ピコカンが飛び出してきた。

「ああ、ありがとうございます! そう言って下さると心強いです!」
「ちょっと待て、おれはまだ協力するなんて言ってな」
「さあ、それではBL世界に参りましょう。今行きましょうすぐ行きましょうさっさと行きましょう」

 ピコカンは、どこからかステッキを取り出した。
細長い棒に、星型のモニュメントが付いている。絵に描いたようなステッキだ。

「BLもえもえ二もえもえ、あわせてもえもえ三もえもえ〜」

  そんなふざけた呪文らしきものを唱えながら、ピコカンはステッキをぐるぐる振り回した。
途端に強烈なめまいが、僕を襲った。
頭がふらふらして、床に膝をつく。

 すぐに、あっここ便所じゃん汚いよ、と思ったけれど、立ち上がることが出来ない。
視界が、高速で回転する。だんだん気持ち悪くなってきた。吐きそうだ。

「まもなく、到着でございまあすっ」

 ピコカンの声が、遠くで聞こえる。

 ……しばらくすると、少しずつ吐き気とめまいが治まって来た。

「到着って、おい。おれは行くなんて一言も……」

  と言いかけた僕は、口を開けたまま固まった。

 先ほどまで学校のトイレにいたはずなのに、僕は今、全く見知らぬ場所に座り込んでいたのだ。