■キリン耳とネコ耳の話 01■


 昼休み中、僕の友人の頭からネコ耳が生えた。

 よく漫画で、「ピョコッ!」という擬音を耳にするが、まさにそんな感じで唐突に、友人の頭からネコ耳が生えた。
……というか、飛び出した。
 ネコ耳は全体的に茶色で、先っぽが黒い。毛並みはつややかで、見事なネコ耳としか言い様がなかった。

 友人は、そんなことには全く気付いていないような素振りで、昼食を食べるのに夢中になっている。  

 僕は窓の外を見た。中庭のいちょう並木が視界に入る。
黄金色に染まったいちょうが、一番美しい季節だ。
もう少ししたら、銀杏の匂いが充満する試練の季節がやってくる。  

 しばらくいちょうを堪能した後、友人に視線を戻した。
その頭には、やはり一対のネコ耳が鎮座していた。残念ながら、幻覚ではなかったらしい。

「……なあ、メガネ。」

 僕は、ツナサンドを貪り食っている友人に、声をかけた。
メガネ(見たまんまのあだ名である。ちなみに本名は黒川龍という。)は、「んー?」と言いながら顔を上げた。
頭のネコ耳がぴこりと動く。

 声をかけたはいいが、どう切り出していいか分からなくて、僕は口ごもった。
というか、これはツッコミ所なのだろうか。どうなんだろう。

「何だよ」  

 首をかしげながら、メガネはツナサンドのかけらを口の中に放り込んだ。
飲み込まない内から、次のヤキソバパンに手を伸ばす。

「えーと……んーと……」

 僕は、空になった牛乳パックを手で潰した。思わず、視線が泳ぐ。
 周りには、三十人以上のクラスメイトがいる。

……にも関わらず、何故誰もツッコまない? 

みんなには見えていないのだろうか。もしくは僕と同じで、何と言っていいか分からないとか?
 いやしかし、これがメガネの一世一代のボケだったらどうしよう。
もしそうならば、僕は友人としてツッコんでやらなければならない。

「……学校でコスプレはマズイだろー!」

 とりあえず、軽い口調で言ってみた。
自然に笑えているかどうか、甚だ不安である。
すると、メガネは首をかしげた。

「ベリショがコスプレ?」

 ……何を言い出すんだろうこいつは。頭がおかしくなったのだろうか。

 ちなみに、ベリショというのは僕のあだ名だ。
本名は、斉藤光(さいとうひかり)。あだ名の由来は、髪型がベリーショートだからという、こちらも見たまんまだ。
もし僕がパーマをかけたら、パーマと呼ばれるのだろうか。

「何でおれがコスプレなんだよ」
「え、いや別に」

 メガネは素っ気なく言って、ヤキソバパンの咀嚼を再開した。
 彼が掴みどころのない性格なのは、今に始まったわけじゃないけれど、今日はどこかおかしい気がする。

 ネコ耳の存在が、そう見せているだけかもしれないけれど。

「そういえば、獣耳ってあるじゃん? ネコ耳とかウサギ耳とか。」

 メガネが突然、そんなことを言い出した。
心臓が跳ね上がった。一旦気をそらしておいて、いきなり核心を突く。
なかなかニクイことをしてくれる男だ。

「お、おう。あるよな。色々」

 僕は、つとめて平静を装った。軽い調子で、かつ友人を傷つけずに、上手くツッコむことができればいいのだが。
「やっぱ、ネコ耳とかはありきたりで時代遅れなのかな」
 メガネは真剣そのものの表情で、言った。
 ……これもボケの内かどうか悩むところだ……。  
 僕は、心の中で頭を抱えた。  

 しかしネコ耳がボケじゃなければ、いきなりそんなことを言い出すのはおかしい。
ツッコんでくれ、というメガネのアピールじゃないだろうか。

 いやいや、冷静に考えろ、おれ。
いきなりネコ耳が生えたんだぞ? 
一体どう仕込んだら、そんな一発芸が可能だと言うんだ。
ああ、早く返事をしないと、変な間が空いてしまう。

「……王道も大事なんじゃないのか?」

 結局、混乱した僕の口から出て来たのは、そんな当たり障りのない言葉だった。
「ああ、そうなんだ」
 友人は、納得したようなしていないような表情でうなずいた。
 何なんだ、一体。頭の中がぐるぐるする。
いかん、あまり考え込んでいると頭がブーストしてしまう。一度気分を変えないと。

「……便所行って来るわ」
 立ち上がると、メガネも「あ、おれも」と言って手を挙げた。
 並んでトイレに向かいながら、何度もメガネのネコ耳をチラチラと見てしまう。
ネコ耳にはきっちり毛が生えているし、皮膚感もやたらとリアルだ。
「何だよ」
 メガネがこちらを見たので、あわてて眼をそらした。

 用を済まして手洗い場で鏡を見た瞬間、自分の姿に違和感を感じた。
顔……は、普段どおりだ。可もなく不可もない、平均的な男子高校生である。
  違和感の正体は、頭にあった。

  僕の頭に、見慣れないものが刺さっている。

 いや、これは頭から生えているのだろうか。
 黄色い耳が二つに、毛に覆われた角が二本。
 
 これは……キリンの耳と角?

「うっ、うおえあああ!?」
 思わず、意味不明な叫びをあげてしまった。我ながら、ヒトのものとは思えない。
そして、反射的に両手で角を掴んだ。ふっさりとした感触に、うっかり気持ちいいとか思ってしまう。
 角はしっかりと頭部に食い込んでいて、いくら引っぱっても抜けなかった。
というか、あまりに深く根付いていて、これを抜いたら頭蓋骨も一緒に抜けてしまいそうで怖い。
ということは、体の一部になってしまったのだろうか。僕は改めて、鏡を見た。

 キリンだ。
 まごうかたなき、キリンの耳とツノだ。

  頭からはキリンの耳が生えているけれど、僕の顔の横にはしっかり人間の耳もついている。
えーと、それは耳が四つあるってことなのか?
 それ以前に何なんだ、このふざけた耳は。

「あれっ。お前、自分で気付いてなかったの?」

 隣でメガネが、呑気に衝撃的なセリフを吐いてくれた。

「えっええ? 何、これってずっとあったのかよ!」
「いや、ずっとじゃないけど。一時間目の休み時間くらいに、突然ピョコッて生えてさ」

 一時間目の休み時間……といえば数学の前で、メガネと一緒にだるいだのなんだのしゃべっていた時だろうか。
全く気付かなかった。
というか、いきなり生えるなんて、なんという非常識。

「なっ、なんでそんときに、言ってくれなかったんだよ!」
「だって、ツッコミ辛いボケだったし」
「ボケじゃねえよ!」

 叫んだ直後にハッと気付いた。

「おいメガネ。お前、ちょっと鏡で自分の顔……っていうか頭部を見てみろ」
「はあ?」

 と、首をかしげながらも、メガネは鏡の前に立った。

「…………」

 ネコ耳が生えた自分の姿を見ても、メガネの表情は変わらなかった。
もしかして、メガネの方は本気でネタ仕込みだったのだろうか。
だとしたら、きちんとツッコミきれなかった僕の責任は重大だ。

 彼は、いきなり僕と同じく耳を掴んで思い切りひっぱり、そして「あだだだだ」と痛そうな声をあげた。
 あれ、てことはやっぱりコスプレじゃなかったのか?

「なんじゃこりゃあ!」

 メガネは鏡に手を突き、大声で叫んだ。
松田優作のモノマネは似ていなかったが、彼の衝撃は充分伝わってきた。
つまり、こいつのネコ耳もボケではなく、彼自身気付いていなかったのだ。

「いつからこんなもんが……」
「昼休み、お前がツナサンド食ってる時に、やっぱこうピョコっと。」
「ベリショくーん、そこはツッコもうよー」
「ツッコミ辛かったんだよ! それとなく探り入れても、スルーしたのはお前だろうが」

 デジャビュを感じるやりとりの後、メガネはネコ耳を引っ張りながらつぶやいた。

「てことはおれ、ネコ耳で昼飯食ってたってことか……。控え目に言って変態だよな」

 そうだ。それを考えていなかった。
 僕も、一時間目の休み時間からずっとキリン耳とツノをくっつけていたのだ。
ハタから見たらどう映るか……想像したくもない。

「うわああ。おれたち、どうひいき目に見ても変態コンビだよ……!」

 あまりのいたたまれなさに、思わずその場にしゃがみこむ。

「ベリショはまだマシだよ。おれなんか、ものすごいネコ耳萌えな人みたいじゃん。相当痛いよ」

「何言ってんだよ。頭の悪さでは、どう考えてもキリンに軍配だろ。何だよこれ、ご丁寧にツノまでついてきやがって……」

 たちはトイレの床にしゃがみこみ、無意識に耳を隠しながらぼそぼそとしゃべった。
変な耳が生えたことよりも、生えっぱなしのまま学校生活を送っていたことのほうがショックだった。

もうだめだ。少なくとも、高校生活で彼女を作ることはもう不可能だろう。
さらば青春。僕の人生は終わったも同然だ。

「つうかどうしようかね、これ」

 メガネは、僕の頭をちらちら見ながら言った。

「……あんまこっち見んな、恥ずかしい」

 こっちを見るな、と自分で言っておきながら、僕の視線はどうしてもメガネの頭に行ってしまう。
ネコ耳を押さえる彼の指の間から、柔らかそうな毛並みがはみ出していた。