■冬ぬくし 01■


「ねえ、あお、葵」

「何だい、宗太さん。何で、のっけから噛んでんの」

 葵は洗濯物を畳む手を一旦止めて、顔を上げた。クリスマスも終わり、年末に向けてひた走る時期であった。今日はとても天気が良かったので、洗濯物が気持ち良く乾いていた。

 もじもじしながら、宗太は切り出す。

「あの、年末年始のことなんだけど」

「うん」

「お、おれ、実家帰る……よ?」

 消え入りそうな声で控えめに告げると、葵の口からは「うん」という返事があっさり返って来た。それがとても意外で、宗太はしばし口を開けて動きを止めた。

「……あれ、良いの?」

「良いの、ってお前。僕を何だと思ってんだよ。年末年始くらい普通に帰れば良いし、僕も一緒に連れてけとか両親に挨拶させろとか言わねえよ」

 心外だというふうに、葵は腕組みをした。宗太はぽかんとした表情で、耳の後ろを指先で掻く。

「いや、最終的にはそう言ってくれるとは思ってたけど、最初はゴネるかな、って」

「何だい、それ。それで? いつからいつまで帰んの」

「あ、ええと、一応、三十日から三日の夜までの予定、だけど」

「はいはい、了解」

 三十からね、と繰り返しながら立ち上がり、彼はマジックでカレンダーに印を付けた。宗太さん帰省、と余白に書き込む。宗太は彼の丸い後ろ頭を眺めながら、

「……葵は、その間どうすんの?」

  と尋ねてみた。すぐに、あっさりとした答えが返って来る。

「普通に、ここで留守番してるよ」

「そう……」

 聞いてから、少し後悔した。彼は帰るところがないと言っていたのに、何を聞いているのだろう。若干気まずい気持ちになっていると、葵が勢いよく振り返った。

「宗太さん、寂しい?」

「な、何でだよ」

「だって今、寂しそうだった」

「寂しいのは、葵の方だろ」

 にやにや笑う葵に腹が立って、宗太は強い口調で反論した。

「そりゃ寂しいよ。そんなに長く宗太さんと離れるの、初めてだもん」

 葵はマジックを棚の上のペン立てに戻し、当たり前のことのように言った。最初の頃は、そんな風に言われたら肌がぞわぞわして仕方がなかったのに、最近は恐ろしいことに嫌でもなくなってきた。あれっこれってもしかして、流されてるというやつなんではないだろうか、と宗太は最近危機感を覚え始めていた。

「でもまあ、こればっかはしょうがないから。但し」

 そこまで言って、葵は薄く微笑んだ。ただの笑顔ではない。怒気をはらんだ恐ろしい笑みだ。この顔を見ると、宗太は何も悪いことをしていなくても、ごめんなさいと謝りたくなる。

「浮気したら、殺すからな」

「は、はい」

 一も二もなく宗太は頷いた。葵を怒らせてはならない。これだけは、最初から全く変わっていないのだった。





 そして、十二月三十日。

「あれ、宗太くん帰って来た」

 実家の門をくぐり庭を横切ろうとしたら、素っ頓狂な姉の声に出迎えられた。じょうろを手にした彼女は、不思議そうに目をぱちぱちさせている。庭の花に、水をやっていたらしい。

 姉の玲奈は何時もと変わらず派手であった。実家の庭にいるというのに、見事な巻き髪、完璧なメイク、それにシルエットの美しい高いヒールの靴。実家でそんなに気合いを入れなくても、と思うと同時に、姉が全く変わっていないことに少しほっとする。

「いや、お姉ちゃん。年末は毎年帰って来てんじゃん」

 玲奈は人の話をすぐに忘れる。そこは、少しでも良いから変わっていて欲しかった。

「そうだっけ? そういえば、宗太くんてアレだよね、彼女にふられたんだよね」

 朗らかにそんなことを言い放つ玲奈に、宗太は「うっ」と低いうめき声をあげた。直後、強い既視感が彼を襲う。こんなこと、以前もなかっただろうか。

「……お姉ちゃんそれ、クリスマスんときも言ったじゃん! どんだけ引っ張る気だよ。頼むから忘れさせてよ」

「ああ、ごめんごめん。そういえばそうだったねー」

「……お義兄ちゃんも、もう来てんの?」

 玄関に向けて歩き出しながら、宗太は話題を変えた。玲奈は笑顔で首を横に振る。

「んーん、今日の遅くに来るって。今日まで仕事だから」

「ああ、そうなんだ。大変だねー」

「恭次くんは帰って来てるよ」

「え、あ、そう」

 どきりとして、宗太は言葉を詰まらせた。恭次とは、宗太の弟の名前である。三つ下の十八歳で、宗太は彼が苦手であった。

「なあに、その微妙な反応」

「だっておれ、恭次に会う度、あいつに叱られんだもん……」

 宗太は溜め息をついた。恭次は、宗太と違って昔からよく出来る子どもだった。更に努力家で、野心もある。何をやっても人並みかそれよりも少し下で、その上坊ちゃん気質の濃い、呑気な性格の宗太とは、どうにもウマが合わなかった。

「宗太くんがお兄ちゃんなんだから、しっかりしなさいよ」

 玲奈はそう言って、宗太の背中を叩いた。

「無理だよー。たまにおれ、あいつの方が兄貴なんじゃないか、って思うもん」

「ほんと、宗太くんは駄目な子ね」

「……お姉ちゃんはお姉ちゃんで、サラッときついこと言うよね」

 宗太は玄関のドアノブに手をかけつつ、顔をしかめてそう言った。玲奈は笑顔で「そう?」と首をかしげた。





 母や姉といった女性陣は年始の準備にあれこれ忙しそうだったが、宗太は特にやることがない。なので、ひととおり家族に帰って来たことを告げた後は、自分の部屋に戻った。幸か不幸か、恭次の姿は見当たらなかったので、とりあえず顔を合わさずに済んだ。

  ベッドに腰掛け、大きく息を吐き出す。下宿では葵とふたりで寝室を使っているので、自分ひとりの部屋、というのが不思議な感じがした。そういえば、自分のベッドだって久し振りだ。下宿のベッドは、すっかり葵が占領してしまっている。

「実家万歳……!」

 そう言って、宗太はベッドに寝転んだ。スプリングの弾力が、懐かしくて仕方ない。折角帰って来たのだから、精一杯のんびりしようと思った。何せ、ここではドアを開けっ放しにして怒鳴られることもないし、炊飯器のスイッチを入れてなかったからといって殴られることもない。束の間の休息を満喫しない手はない。

 宗太はぼんやりと天井を眺めた。下宿よりも高い天井。葵は今何をやってるんだろう、なんてことを考えかけたが、頭を振って追い払った。実家でまで、葵のことを考えるのはよそう。

 でも、女の子と遊ぶわけにもいかないしなあ……。

 宗太は、ううん、と唸った。隠そうとしても、葵にはばれてしまうからだ。どれだけこっそりとやっても、周到に手を回しても、何故か葵には通用しない。盗聴器か何かを使っているんじゃないか、とたまに思うくらいだ。

 本格的にやることがなくて、宗太は目を閉じた。瞼の奥でゆらゆらと闇が揺れる。ああ、たまには可愛い女の子と遊びたい……と思った。





 携帯電話がけたたましく鳴り出し、宗太は飛び跳ねるようにして起き上がった。いつの間にか、眠っていたらしい。窓の外が暗い。

  一体、どれくらい寝ていたのだろう。考えかけた頭の中に、携帯の着信音が響く。そうだ電話に出なければと我に返った宗太は、慌ててポケットの中に入れていた携帯電話を取り出した。着信相手を確かめる間もなく、とかく受話器を耳に押し当てる。

「……は、はい、もしもし」

『やっほー、どうも』

 朗らかな、葵の声が飛び込んできた。

「何だ、葵か」

 それなら急いで出ることもなかった、と思いつつ宗太は言った。

『うん、今、大掃除してるんだけどさ。居間のテーブルの下にあるプリント類って、捨てちゃまずいよね?』

「あ、うん。その辺は学校で使うから、捨てないで」

『適当に分類して、直しておいて良い?』

「わ、助かる。ありがとう」

 素直にそう言うと、葵は小さく笑い声をあげてこんなことを言った。

『宗太さん、僕がいなくて寂しい?』

「だから、何でだよ……」

 宗太は呆れてしまった。寂しいところか、久々のベッドで気持ち良くうたた寝してたっつうの、と言いたかったがそれを言うと怒られそうな気がしたので、言わなかった。

『僕は寂しいよー。』

 溜め息混じりに言う葵に、宗太は「そう」とだけ返した。なんとなく、喉の奥辺りがムズムズする。落ち着かない気分になるから、あんまり寂しい寂しい言わないで欲しい。

『だからまた電話しても良い?』

「い、いやでも、家族いるし」

『取れるときだけで良いから』

「……分かったよ」

 食い下がる葵に仕方なく頷くと、葵は笑い声を大きくした。

『僕はお前の、そういうところが好きだぜ』

 何を言っているんだ、と思いながら、宗太は電話を切った。

「彼女?」

 そこに突然声をかけられて、宗太は飛び上がりそうになった。いつの間にか、すぐ近くに弟の恭次が立っていた。