■家路へと 05■


 それからきり丸は、労働に打ち込むようになった。辛いことも多いけれど、スリよりずっと楽しかった。自分が働いた分だけ、銭がもらえる。そしてそれが、生きることに繋がる。単純で分かりやすいところが良い。

 最初は半助の紹介で、それから徐々に自分でも人脈を切りひらき、仕事の口を増やしていった。引き受けた洗濯物が乾く間に犬の散歩をし、同時に子守も請け負ったりと、作業効率を上げる手段を考えて実行するのも楽しかった。

 また、この人はおだてれば賃金を上げてもらえる、あの人は、戦孤児であるという境遇をさりげなく前に出せば、同情でおまけしてもらえる……といった風に、相手の性格を見抜いて要領よく稼ぐ方法も覚えた。とかく、何をしてもやり甲斐があった。

 何よりも、半助の仕事が休みの間という期限付きではあったが、彼の家にいても良いと言ってくれたことが大きかった。屋根のある拠点があると、精神的に余裕が出来る。そうなると、今までの自分がいかにぴりぴりして尖っていたかが分かった。

  最初は疑ってばかりだったけれど、いつの間にかきり丸は半助のことが好きになっていた。半助は口うるさくて、すぐに怒る。だけど優しい。見るべきところは、きちんと見て褒めてくれる。だからきり丸は、半助のことが好きだった。

「半助、見てよ! 今日はこんだけ稼いだ!」

 一日の終わりに、半助に稼いだ銭を見せてそう言うと、彼は必ず笑って「そうかそうか、よくやったな」と言ってくれる。それもきり丸は嬉しかった。

 夜の間は半助が、字の読み書きと計算を教えてくれた。それが出来れば仕事の種類もぐんと増えると言われたので、きり丸は懸命に取り組んだ。読み取りは少し苦手だけれど、計算は呑み込みが早いと褒められた。その度に、きり丸は誇らしい気持ちになった。

 きり丸は毎日、その日に稼いだ銭を素焼きの壺の中に落とす。銭を貯めておけるように、半助がくれたものだ。銭を入れれば、銅の触れ合う高い音がする。きり丸は、この音が好きだった。これはきり丸の命の音だ。いつまでも聞いていたかった。





 半助の家に来て、一月ほど経った頃だった。きり丸が台所で鍋磨きの仕事をしていると、客人が訪ねて来た。

「半助はいるかな」

 暖簾を押して入って来たのは、四十半ばに見えるいかつい顔の男だった。きり丸は、初めて見る人物だ。やけに姿勢がよく、何処となく威圧感を感じる。

「……半助は、井戸の掃除に行ってるよ。おじさん、誰」

 声に警戒心を滲ませてそう言うと、男はふっと笑った。

「わたしは、半助と一緒に仕事をしている者だ。山田伝蔵という。きみは?」

「おれは……」

 きり丸は鍋磨きに使っていた布を、手の中でぎゅっと握りしめた。どうしよう。山田というこの男を、信用してもいいものだろうか。

「ああー……肩が凝った。きり丸、鍋磨きは終わったかー?」

 間延びした声が裏口から聞こえ、肩を回しながら半助が帰って来た。きり丸はほっとした。半助は来訪者の姿に目を留めると、

「おや、山田先生」

 と笑顔になった。どうやら本当に、半助の知り合いだったらしい。山田先生、ときり丸は心の中で反芻した。何の先生だろう。書道やお茶を教えているようには見えない。剣術や武術の師範だろうか。その方が、しっくり来る。しかしそうなると、半助も剣術や武術の師範ということだろうか。……まさか。

「おお、半助。休暇中に済まないな」

「いいえ、そんなこと」

 半助は首を振り、それからきり丸の背中に手を添えた。

「山田先生。この子はきり丸と言います。戦孤児で、今うちで面倒を見ているんです。きり丸、この方は山田伝蔵さんだ。ほら、挨拶しなさい」

「あ、きり丸、です。はじめまして」

 きり丸は改めて、ぺこりと頭を下げた。山田が、「こちらこそ、はじめまして」と言って楽しそうに笑う。

「山田先生、どうぞ上がって下さい」

 半助はそう言って、家の中を手で示した。山田は頷き、わらじを脱いで部屋に上がる。半助は台所で茶を淹れる準備を始めた。

「久々のご自宅は如何でしたか。奥様、喜んでいらしたでしょう」

「あれは口うるさくてかなわん。帰った途端、屋根の修理に床板の張り替えだ。毎日こき使われたわ」

「はは、利吉くんは帰ってたんですか?」

「あいつは仕事で、もう三月ほど帰っていないらしい。全く、家に寄りつかない仕事中毒はどっちだと言うんだ」

「なかなか、ご家族全員が揃わないですね」

 そんなとりとめのない会話をするふたりを、きり丸は交互にぼんやりと見つめた。すると茶筒を開けた半助が「おや」と声をあげてきり丸の方を振り返った。

「茶葉が切れてしまっているな。きり丸、済まないが、買って来てくれ」

「お駄賃は?」

 即座にそう言うと、半助は苦笑いを浮かべて懐から財布を取り出した。

「釣りをやるよ」

 半助は、きり丸の手のひらに銭を乗せる。きり丸は満面の笑顔で、それをしっかりと握りしめた。

「分かった、行って来る!」

 元気よく頷いて、きり丸は家を飛び出した。

 ……しかしすぐに、あることに気が付いて足を止める。半助は、茶葉が切れたと言っていた。しかしついこの間、茶葉を買い足したばかりではなかったか。きり丸は自分が働くようになってから、銭の動きに大層敏感になっていた。だから自分や半助が、何時何処で何に銭を使ったのか、全てをきっちりと把握している。今、きり丸が茶葉を買いに行く必要はないはずだ。

  もしや自分を追い払っておいて、ふたりは何か秘密の話をするのではないか。きり丸は、そんなことを考えた。一体、何の話をしているのだろう。きり丸の好奇心がうずいた。知りたい。半助の秘密が知りたい。

 きり丸は踵を返し、そっと半助の家まで戻った。戸口の陰に身を潜め、耳に意識を集中させる。すると中から、半助と山田の話し声が聞こえてきた。