■家路へと 03■


 暗闇の中で、きり丸は目を覚ました。寝ぼけ眼を擦り、きょろきょろと辺りを見回す。自分の状況を把握するのに、数秒の時間を要した。

 そうだ。スリに失敗して、変な男についてったんだ。と、きり丸は思い出した。男と一緒に西瓜を食べ、そのまま眠ってしまったことも。

 どうやらまだ夜半のようだった。横に視線をずらすと、半助の使っている布団が盛り上がっているのが見える。きり丸はもう一度目を擦り、音を立てないように用心深く立ち上がった。とりあえず今の内にこっそりと、金目の物を探してくすねておこうと思ったのだ。本当は刀か、もしくは文机の上にあった本が欲しいところだが、流石にあんな大きなものがなくなっていたらばれてしまう。もっと小さくて、すぐには盗まれたことに気付かれないようなものが良い。

 きり丸はそろそろと、足を踏み出した。部屋の隅に置かれている、唐櫃に手を伸ばす。

「どうした、きり丸」

 突然背後から半助に声をかけられ、きり丸は身体を硬直させた。しまった。半助が本当に眠っているかどうか、きちんと確認しておくべきだった。きり丸は、そっと背後を振り返った。半助が、布団から半身を起こしてこちらを見ている姿が、ぼんやりとうかがえる。その影を見て、にわかにきり丸は恐ろしくなった。きり丸は全く音を立てていないのに、一体いつ、この男は起きたのだろう。

「……何でもない」

 言いながらきり丸は首筋の汗を拭い、頭を素早く巡らせる。そして、こう付け加えた。

「自分の家と、間違えた。おれん家、こっちに水瓶があったんだ」

 きり丸は、彼の家がいくさで焼かれたと言ったときの、半助の表情を覚えていた。苦いものを思い切り噛み潰したような顔だった。だからきっと、こういう風に言えば深くは追求して来ないはず。

 半助はしばし黙っていたが、やがて闇の中で彼がみじろぎする気配があった。ややあって、半助の手元がほの明るくなり、彼の顔が橙に照らされる。

「……水瓶なら、あっちだ」

 半助はそう言って台所の方を指さし、火皿をきり丸に差し出した。彼はじっと、きり丸の顔を見つめていた。その視線に居心地が悪くなり、きり丸は火皿を受け取ると、足早に水瓶まで歩いて行った。柄杓でぬるい水をすくい、ごくごくと飲む。濡れた口元を手の甲で拭い、着物の上から胸を押さえる。まさか半助が起きているとは思わなかったから、ほんとうに驚いた。

 もう一杯飲むふりをして、きり丸は再び柄杓で水をゆっくりとすくった。この間に、眠ってはくれないだろうか。耳を澄ませてみても、いびきや寝息は聞こえない。そっと水を瓶に戻し、寝床まで戻った。半助は布団に寝転んでいた。が、眠っているのか起きているのか判然としない。あまりじっと観察しては彼が起きていた場合何かと面倒なので、きり丸は舌打ちを堪えつつも布団の中に入った。

 悔しい思いは募ったが、まともな寝床で夜を過ごせることは素直に嬉しかった。半助という男は、一体何者なのだろう。明日になれば分かるだろうか。そんなことを考えながら、きり丸は目を閉じた。眠りは、すぐにやって来た。



「……きり丸、起きろ」

 身体が揺さぶられて、きり丸はうめき声をあげた。うすく目を開ければ白い朝の光が飛び込んできて、反射的にふたたび目を瞑る。

「ほら、きり丸。起きなさい」

 半分笑いを含んだ声に、きり丸は何度か瞬きをしながら目を開いた。昨日と同じ薄汚れた着物を着た半助が、きり丸の顔を覗き込んでいた。きり丸は緩慢な動作で身体を起こし、大きな欠伸をひとつした。深夜に目覚めたときよりもぼんやりとしていたきり丸は、「顔を洗ってきなさい」という半助の言葉に従って素直に井戸で顔を洗った。半助の作った朝餉を食べているところで、ようやく目が覚めてくる。

 きり丸は、向かいで雑炊をかき込む半助の顔を盗み見た。口の端に、飯粒がくっついている。それはどう見ても、ごく普通の男の顔だった。昨夜に感じた気味の悪さは何処にもない。きり丸は小さく首をかしげ、雑炊をすすった。この男は、どうにもよく分からない。

 隣のおばちゃんに昨日の西瓜のお礼を言ってきなさい、と半助に言われたので、きり丸は裏口から家の外に出た。

「あっ」

 きり丸は声をあげた。ちょうど、隣のおばちゃんが家から出て来るところだった。おばちゃんはきり丸の顔を見ると、笑顔になった。きり丸は彼女の元に駆けて行って、ぺこりと頭を下げた。

「昨日は、西瓜をありがとうございました」

 彼女から西瓜を受け取ったときには言えなかった言葉を言えて、何やら恥ずかしいやらすっきりしたやら、複雑な気分になった。

「あらあら、まあまあ」

 おばちゃんは照れくさそうに笑って、頬に手を当てる。

「良いのよお、そんなの。美味しかった?」

「うん。すっげえ、美味かった」

 きり丸は顔を上げて、笑顔で言った。本当に、昨日の西瓜は美味かった。おばちゃんはそれを聞いて、笑みを一層深くした。

「そう、それなら良かった。……そうそう、ところで、あんた」

「うん、何?」

「洗濯、手伝ってくれるんだって?」

「え?」

 きり丸は思わず聞き返した。そんなこと、寝耳に水であった。洗濯って何の話だ。きり丸が困惑していると、おばちゃんも戸惑ったように首を傾げた。

「あら? 半助から、あんたが洗濯を手伝ってくれるって聞いたんだけど……」

 あの野郎、ときり丸は歯ぎしりしたくなった。どうやら自分が寝ている間に、勝手な約束を取り付けていたらしい。何で洗濯物の手伝いなんかしなければならないんだと思うが、西瓜をご馳走になっている手前、そんな風に邪険に断ることも出来ない。

「あ、ああ、半助から聞いてるよ。うん、洗濯、やるよ」

 結局きり丸はそう言った。未だ納得は行っていないが、仕方がない。やはり半助は禄でもない男だった、ということをきり丸は思い知った。