■近くの星 02■


「いやあ、さっきの三郎の顔は面白かったなあ。あ、顔は雷蔵なんだけど。でもすげえ面白かった」

 第一地点に向かう途中の、森の中である。オリエンテーリングが始まってからこっち、竹谷はずっと笑い続けていた。木下先生に引っ張られてゆく三郎の顔が、頭を離れない。たった一回雷蔵と組が離れるだけで、あそこまで絶望に満ちた顔をしなくても良いのに。やっぱり三郎は面白い。

「そこまで笑わなくても」

 竹谷の隣で、雷蔵が苦笑いを浮かべる。自分でもいい加減笑うのをやめないとと思ったので、竹谷は数回咳き込んだ。次から次へと溢れてきそうになる笑いを、どうにか身体の底に追いやる。

「ああ、やっと落ち着いた」

「それなら良かった」

 沢山笑ってすっきりした。竹谷は大きく深呼吸し、そういえば、と雷蔵を見た。

「雷蔵は絶望しないの?」

「何に?」

「三郎と離れたことに」

 特に意味のない質問だったのだが、何故か雷蔵は虚を突かれたような顔になった。そのまま数秒固まったのち、眉を寄せて「うーん……」と唸り声をあげる。何やら難しい顔で考え込んでしまった。

「あれ、おれ、変なこと聞いた?」

「いや……」

 雷蔵は首を横に振るが、すっきりしない表情をしている。一体、先程の質問の何が彼を悩ませたのだろう、と竹谷は不思議に思った。本当に、意味なんて何もなかった。組が離れたときの、三郎と雷蔵の反応が面白かったから言ってみただけで、そんなわけないじゃん、とかそういう軽い返事が返ってくると思っていたのに。

 あれっもしかして、雷蔵も三郎と離れて寂しかったりするのかな。というか、三郎とおれじゃ、相棒としての質が全然違うもんな。いや、雷蔵はそんなことは考えないと思うけど。

「雷蔵?」

 沈黙してしまった雷蔵に声をかけると、彼ははっとした風に顔を上げた。

「あ、ごめんごめん」

「何をそんなに考えてたんだ?」

「いや、絶望はしてないんだけど、そういえば三郎がいないっていうのはちょっと不思議な感じがするなあ、と思って」

 雷蔵は、自分の考えを探りながら喋っているようだった。

「ずっと三郎と組んでたもんな」

 竹谷は毎回組む相手を変えるから、いつもの相棒が側にいない、という感覚がよく分からない。それぞれ別の相手と組んで、三郎と雷蔵はどんな気分なのだろう。

「うん。だからこそ、木下先生は三郎をい組に連れて行ったんだと思うんだけどね」

 雷蔵は頷き、照れくさそうに頬を掻いた。

「たまには他の奴と組め、って?」

「うん。同じ相手と組むことに慣れすぎると、やっぱりね」

「それはまあ、そうかもな」

「それより、ハチ。こんなにのんびり歩いてて良いの? みんな、もうとっくに見えなくなっちゃったよ」

 雷蔵は目を細めて前方を見た。視界に入るのは、青あおと生い茂る木々のみである。他の組は開始早々、音もなく駆けて行ってしまった。こんな風にのんびり歩いているのは竹谷と雷蔵だけだ。

「大丈夫大丈夫。昨日、職員室の天井裏で偶然いいことを聞いちゃったんだ、おれ」

「偶然、ね」

 竹谷の言葉に、雷蔵は苦笑した。竹谷も笑って、先を続ける。

「今回のオリエンテーリングって、タイムや順位は評価の対象じゃないらしいんだよ」

「そうなんだ?」

「ゴールしたその場で、抜き打ちテストをやるんだって。で、その点数で成績をつけるらしいぜ。えげつないことするよなあ」

 ま、事前に分かってればなんてことないけど、と続けて竹谷は親指を立てた。

「なるほどね。うちの先生方って、そういう二段構えが好きだよね」

「だからさ、試験問題の予想でもしながら、ゆっくり行こうぜ」

 そう言って竹谷は、懐の中から教本を取り出した。「どの辺が出ると思う?」と雷蔵に尋ねながら、ぱらぱらと頁をめくる。

「ハチ、試験問題は調査出来なかったんだ?」

「いやあ、その辺も盗み聞きするつもりだったんだけど、バレそうになっちゃってさ。慌てて逃げて来ちまった」

 床下にも誰か仕込んどくんだったなあ、と竹谷は息をついた。それを見て雷蔵が笑う。課題中とは思えないほど、和やかな空気が流れた。