■或る男の話  04■


 とある秋の夜、わたしはぶらりと散歩に出掛けました。散歩というのはただの口実です。わたしを使っているあの男に会いにゆくのが目的でした。わたしは町の外れにある松の木へ向かいました。周りに人の気配が無いことを確認してから木の下で立ち止まります。そのまま少しの間待っていたら背後から肘を突かれました。そこには男が立っていました。相変わらずまったく気配を感じませんでした。わたしは小さな声で合い言葉を言いました。男も合い言葉を口にしました。それでわたしは男に経過を報告しました。といってもまだ成果があげられていないので語ることはあまり多くありませんでした。男は目を閉じ黙ってわたしの話を聞いていました。わたしは最後に、味噌屋の主人は体調が良くないようです、と言いました。この頃には、主人はしょっちゅう咳をするようになっていました。大柄な体躯がすこし小さくなったようにも見えました。

  男はわたしの話が終わると同時に目を開け、「お前、明日は店が休みだったな」 と低い声で言いました。そうですと答えたら、ならば頼みたいことがあるから明日は一緒に来い、と言われました。その日はそれで男と別れました。わたしはのんびり歩いて味噌屋に戻りました。奉公人用の居室に入り、雑魚寝している奉公人たちの隙間を通って部屋の隅で丸くなりました。

  明日は一体何をやらされるのだろう。まったく想像がつきませんでした。ただ、わたしの仕事があまり進んでいないことに男が苛立ちを覚え始めているのが雰囲気で分かりました。わたしは少しいやな気持ちになりました。明日が楽しい一日にならないことは明白です。しかし何を言いつけられるにしても、やるしかないのです。部屋の何処かから聞こえる大きな鼾に眉をしかめながらわたしは目を閉じました。

 明け方、わたしは誰にも見られないように注意を払いながら味噌屋を出ました。しばらく歩いてから物陰に隠れて口に布を含み、着物を替えて顔を土で汚しました。わたしは味噌屋でも完全に影のような存在でしたので誰もわたしのことなど見はしないでしょうが、用心するにこしたことはありません。わたしは背を丸めて歩きました。そのまま一刻ほど歩いたところでわたしを使っている男が隣に立ちました。やはりまったく気配を感じませんでした。わたしは黙って彼とともに歩きました。その日は空気がとても乾いていて時折咳が出ました。男は何も言わず歩き続け、町を出て山道に入りました。そこで別な男が待っていました。その男の傍らには荷車がありそこには藁が積まれていました。男たちはわたしに聞こえないように何やら言葉を交わしました。それからすぐ、待機していた男は荷車を置いて町の方へと立ち去りました。わたしの隣に立つ男は目だけで「その荷車を引いてついて来い」と指示しました。わたしは藁が盛り上がる荷車を見つめました。忍者が藁だけを運ぶわけがありません。中に何かを隠しているのです。わたしは荷車に手を掛けました。確かな重みを感じました。そしてすぐに理解しました。これは人であると。

 男は何も言いませんでした。わたしも何も聞きませんでした。わたしは力を込めて荷車を引きました。すぐに首筋から汗が浮かんできました。恐らく荷車に乗せられたこの人間はもう生きていないでしょう。わたしはこの屍体を始末するために呼ばれたのです。わたしは屍体を引いて歩きます。何処かで鳥の鳴く声がしました。荷車を引いて山道を歩くのはなかなか骨が折れました。息があがり背中が汗ばんできました。しかし前をゆく男は一度も振り返りません。わたしも助けを求めたりはしませんでした。

 男は山の奥深くで立ち止まりました。そしておもむろに荷車の藁を落とし始めました。その中に隠れていたものが顔を出します。思ったとおり、そこには屍体がありました。わたしと同じ年の頃の若い男で、首には青黒い絞め痕が残っていました。その表情には無念と恨みが色濃く浮かんでいて彼が自死でなく誰かの手にかかって命を落としたことを物語っていました。 わたしはこの男を知っていました。何度か暗号を交わしたことがある、つまりわたしの仲間の忍者でした。わたしは屍体の脇に手を入れました。それはもはや人ではなく、つめたくて固い何かでした。
この男は何かでしくじって、それで仲間に消されたのではないかと思いました。その屍体をわたしに始末させることで、結果を出せなければお前もこうなるのだぞと圧力を掛けられているように感じました。

「そいつは抜け忍だ」

 男はわたしの予想と少し違うことを言いました。わたしは無言で屍体を荷台から引きずり下ろしました。屍体はとても重くわたしはそれと一緒に倒れ込みそうになりました。

「潜入先に長くいすぎたせいで情が移ったらしい」

 わたしは荒い息を吐き、屍体をしげみの中に投げ入れました。その向こうは勾配になっていたらしく、屍体は自らの重みでずるずると坂道を滑り落ちてゆきました。

 男はどうやら、任務が長期化しそうなわたしが抜け忍になることを警戒しているようでした。何故そんな心配をするのでしょう。わたしは不思議でした。わたしが忍びでいるしか無いことは、この男が一番よく知っているはずです。抜け忍になる気があるのならもっと早い段階でそうしています。

「いいか、影。結果がすべてだ」

 男はお決まりの言葉を吐きました。結果がすべて。そんなことは分かっています。わたしは結果を出さなくてはなりません。そのために、わたしは存在しているのです。

  そのときわたしの頭に何故か、若と奥方の笑顔が浮かびました。



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