■ライ・クア・バード  23■


 雷蔵に告白した。その結果、デートすることになった。

 ……これだけ聞けば、鉢屋三郎の大勝利だ。いわゆるひとつの、人生の春だ。しかしおれは、浮かれるどころではなかった。喜んでなどいられない。

 確かに、雷蔵は映画に行こうと言った。しかし彼は本当に、それがデートだという認識の元に発言したのだろうか。そこが非常に疑わしい。ただ単に、話の流れから映画に行きたかったことを思い出しただけのようにも思えるのだ。

「…………」

 デート(と呼んで良いものやら)当日の朝、おれはとりあえず洗面所で自分の顔を確認した。見える。おれはおれのことが見える。大丈夫だ。おれは大丈夫である。安堵して、おれはふうっと息を吐き出した。

 大体、雷蔵はおれの告白をきちんと理解してくれたのだろうか。思い返せば、彼は妙に落ち着いていた。おればっかりが動揺して恥ずかしかったくらいだ。そして思い出す。彼はおれの告白を受け、こう言ったのだ。

 それじゃあ、ぼくら付き合うの?

 ……それは、それは一体どういう意味なんだ。付き合う気がある、と受け取って良いのか。そういうことなのか。おれは雷蔵のこととなると果てしなく阿呆になってしまうから、何処までも自分の良いように解釈するぞ、それでも良いのか雷蔵。きみの方から誘ってくれたってことは、おれの告白を受け入れてくれた、ってことだよな? そうだよな?

 一瞬だけおれの心は盛り上がったが、直後、いやだけど雷蔵がおれのことを好きだとはっきり言ったわけではないし……、と一気にテンションが下降した。

  その辺りの判断を急ぐのは止そう。なるべく怪我はしたくない。今日これからふたりで会うのだから、そのときに確かめれば良いのだ。

 おれはこんなにもどきどきして緊張しているけれど、雷蔵はどうなのだろう。ほんの少しでも、おれのことを考えてくれているだろうか。

 雷蔵の心が何一つ分からないまま、水道の蛇口をひねってばしゃばしゃと顔を洗った。









「おはよー」

 約束の時間の三分前に、雷蔵は映画館に現れた。ユニクロの長袖Tシャツに、ユニクロのジーンズ。足下は通学時にいつも履いているスニーカー。まるきり、いつもと変わらない格好だった。ですよねー、と胸の中で呟く。そうだろうと思って、おれも変に気合いを入れずいつも通りの服装で来て良かった。これで自分だけ気張っていたら、無駄に恥ずかしい思いをするところだった。 心底ほっとした。

 それにしても、雷蔵は今日も可愛かった。昨日はよく寝たのだろう。頬がつやつやしている。……ちなみに、おれは全然寝られなかった。その辺りの差にも、何だか悶々としてしまう。

「今日はどれを見るの?」

 おれは、目の前にある上映作品のポスターの数々を眺めた。ハリウッド大作や感動ものらしき邦画、ドキュメンタリー、恋愛ものなど様々な作品がずらりと並んでいる。その中で、雷蔵が「これ!」と言って指をさしたのはアニメ映画だった。アニメ。正直まったく興味が無いけれど、雷蔵がにこにこして「見たかったんだ」と言うので文句などあろうはずも無かった。

 大きなスクリーンに流れてゆくまばゆい色彩を眺めつつ、ちらりちらりと横目で雷蔵を窺う。彼は映画に集中していた。その手は肘置きに置かれている。もしこれがデートであるならば、その手を握ったってバチは当たらないんじゃないか、と思った。

  ……これがデートであるならば、だ。

 おれは浮かせかけていた手を膝の上に戻した。何と意気地のないことだろう。情けない。しかし行動を起こす勇気も無く、結局そのままおとなしく映画を見るしかなかった。

 映画の後は、マクドナルドで昼食をとった。雷蔵はにこにことビッグマックにかぶりつく。可愛い。そして先程見た映画の感想や、その他、何でも無い雑談。更に雑談。おれも笑顔で応じてはいたが、内心気が気でなかった。これはどうなんだ。いや、雷蔵は可愛いし、いとしいし、一緒にいられて楽しいし幸せなのだが、あまりにもいつも通り過ぎる。

 これは良いのか。大丈夫なのか。大丈夫じゃないんじゃないのか。

 おれの頭の中で「やはり、これはデートでは無いのでは」という懸念がむくむくと膨らんでいた。もしこれがデートで無いとしたら、おれの告白は何だったのだろう。明確な返事を貰った訳では無いし、完全にスルーされてしまったことになる。それはきつい。流石にきつい。

 食事の後は、雷蔵が「本屋行って良い?」と言ったので、書店に向かうことにした。いよいよ普段と変わらない。

 雷蔵は、にこにこして文芸書や文庫本のコーナーを丁寧に見てゆく。可愛い。そして此処では主に本に関する雑談。雑談。雑談に次ぐ雑談。

 この頃になるとおれは、これはデートなのかという疑問を通り越して「そもそもデートとは何なのだ」というところまで思考が飛んでいた。完全にオーバーランである。このままだと、おれの人生は一体何なのだ……ということまで考えてしまいそうだ。

 駄目だ。これはいけない。このままダラダラと何時も通りの休日を過ごすだけでは駄目だ。

「そろそろ出ようか」

 雷蔵に声をかけられ、「うん」と頷く。おれは確かめなければならない。雷蔵の真意を。

「これからどうする?」

 書店を出てしばらく歩いてから、雷蔵がそう尋ねてきた。なんとなく、おれたちの足は住宅街に向いていた。このまま進めば、雷蔵の家に着く。そしてこちらが答える前に、「うち来る?」と更に質問してきた。そして彼は笑う。

「でもそれじゃ、いつもと変わらないか」

 雷蔵のその言葉を聞き、おれはうつむきかけていた顔を上げた。今、雷蔵は何と言った。もしかして今、おれの目の前には活路が開かれたのではないか。攻めるならば今か。今しかないのか。この機会を逃したら、きっといつまでも言えなくなってしまう。

「あの……雷蔵」

 おれは意を決して口を開いた。雷蔵がこちらを見て、「何だい、三郎」と軽く答える。可愛い。特別な仕草でも何でも無いが、可愛い。

「……今日のこれは、デートってことで良いのかな」

 その台詞を口にするのに、告白したときと同じくらいの勇気を振り絞らなければならなかった。たちまち鼓動が早まり、雷蔵の顔を見るのが辛くなる。

「えっ、違うの?」

 実にあっさりと、雷蔵は言った。心臓がひときわ大きくバウンドした。耳の後ろが熱かった。

「ち、違わな……い」

「それなら良かった」

「えっ、あの、雷蔵、それじゃあ」

「うん、何だい三郎」

「き……きみも、おれのことが好き、って解釈して良いの?」

「うん?」

「いや、だからさ、おれはきみが好きって言ったよね?」

「うん、聞いた聞いた」

「そんなおれとデートするってことは、きみもおれが好きってこと……だよね?」

「…………」

 雷蔵は沈黙した。それと同時に、足を止める。そんな彼の横をタクシーが通り過ぎて行った。

 どうしてそこで黙るのだろう。おれはまた怖くなった。おれは何も、おかしなことは言っていない。雷蔵はちゃんと、これをデートだと認識していたのだ。それはつまり、おれの告白に応えてくれた……という、こと、だよな?

「あの……雷蔵……」

「わあああっ!」

  突然雷蔵の口から悲鳴じみた声が迸り、おれはびくりと肩を震わせた。

「えっ、何、雷蔵どうしたの!」

 おれは驚いて尋ねるが、雷蔵はひたすら 「うわっ、うわあ! わああ!」と叫ぶのみだった。何故かその顔が赤い。今までそんなこと無かったのに急に汗をかき始めたようで、しきりに額を手の甲で拭っていた。

「えっ、待ってちょっと待って! うわああ!」

 雷蔵は頭を乱暴にかきむしった。恋する相手が急にテンパり出して、おれはどうしたものかと立ち尽くしていた。まず、彼が何故こうも取り乱しているのかが全く分からない。

「あ……あのさ、雷蔵、ほんとにどうし……」

「いや分かんない!」

「わ、分かんない?」

「何か分かんないけど今来た! 何か今ドッと来た!」

 彼はそう言って、とうとう両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。可愛い。全く訳が分からず困惑しきりだが、雷蔵は可愛い。

「ドッと来たって、何が……」

「昨日からのあれこれが! 全部! 時間差で!」

「え……え? 今?」

 おれは口を開けた。昨日からのあれこれが全部。つまり、おれが告白したことなんかが、全部? ……そろそろ24時間が経過しようとする、今?

「……あの、雷蔵、……遅くない?」

「……うるさい……」

「……とりあえず、道の真ん中で座り込んじゃアレだから、立とう。ほら」

 おれは雷蔵の腕を掴んで彼を立たせた。少し前までおれもテンパっていたはずだが、雷蔵の変貌ぶりに圧倒され、逆に落ち着いてしまった。何だか立場が逆転したみたいだ。

 雷蔵は恥ずかしそうに口を結び、片手で目元を隠していた。可愛い。というか、何だか妙にいやらしくてどきどきする。

「あの、雷蔵大丈夫?」

「ちょっと待ってほんと待って。心臓やばい。やばいから」

 雷蔵は一歩後ずさった。そんなことを言われたら、おれの心臓もやばくなってしまう。

「あの……それで、雷蔵。どうなの」

「どうなのって」

「今日、おれたちはデートしたよね?」

「し、したねえ」

 雷蔵はおれから目をそらして、しきりに汗をぬぐっている。本当に恥ずかしそうだ。おれは彼を抱きしめたくて仕方が無かった。弱り切っている雷蔵に、おれは畳みかける。

「付き合ってるから、デートしたんだよね?」

「…………」

「えっ、そこで黙っちゃうの?」

「いやほんと……ちょっとまだ動揺が……心臓が……」

 雷蔵は肩を縮めて、胸の辺りに手をやった。可愛い。無性に可愛い。あまりに雷蔵が可愛いので、おれは少し笑ってしまった。

「昨日告白したとき、雷蔵ってば妙に落ち着いてるなあとは思ってたけど、実感が脳に到達してなかったとは思わなかった」

「そういう言い方したら、何だかぼくが馬鹿みたいじゃないか」

「そんなことは思ってないけど、可愛いなあって」

「……馬鹿って言われてるのと、あんまり変わらないよ、それ」

「いやー、そういうところも好きだよ」

 そんなことを軽く言う余裕すら出て来た。しかし雷蔵は更に顔を赤くして「……ちょ、もう……ほんと汗が止まらないんで……」と、震える声で呟いた。よく見たら、その目が僅かに潤んでいる。可愛い。死ぬほど可愛い。

「雷蔵」

 名前を呼んだら、ひとこと「何」と返ってきた。相変わらずこちらは見ない。おれは言葉を続ける。

「グダグダになったから、もう一回言うけれども」

「…………」

「きみのことが好きです。おれと付き合って下さい」

 おれはそう言った。今度は噛まなかったし、声が掠れたりもしなかった。昨日とはまるで違う。

 雷蔵は相変わらず下を向いたまま、口を開いた。それから何度か息を吸ったり吐いたりして、こう言ったのだった。

「……はい……」