■ライ・クア・バード 19■
のどかで平和でゆるやかな休み時間に、八左ヱ門が突然、
「忍者になる夢を見た」
というようなことを口走った。その発言だけを聞けば、他愛もない雑談なのだが、妙にかしこまった口調だったのが少し気になった。まるで、忍者になる夢を見たことが重大発表であるかのような。
おれはそのときちょうど、前髪を切っているところだった。雷蔵の前髪が短くなっていたので、おれも同じにしないといけないからだ。はさみを持ったまま、おれは数秒考えた。八左ヱ門が、忍者になる夢を見た、らしい。そのこころは。
「だってばよ?」
忍者といえばNARUTOかな、ということでそう言ってみた。本当は最近読んだ「梟の城」が頭に浮かんだのだが、八左ヱ門ならばNARUTOだろう。
八左ヱ門は、眉をぎゅっと寄せて中途半端に口を開けた。お前にはがっかりだ……みたいな顔だった。どうやら、彼の望む返答ではなかったらしい。
おれは雷蔵の方を見る。彼は笑っていた。可愛い雷蔵。雷蔵が笑顔になるのならば、おれとしてはそれで良しだ。
しばらく雷蔵とNARUTOの話で盛り上がって(こういうときのために、小説だけでなくちゃんと漫画も読んでいた自分を褒めたい)、で、お前は何と答えて欲しかったんだ……と八左ヱ門に尋ねようとしたら、いつの間にか彼がいなくなっていたことに気が付いた。
「八左ヱ門は?」
雷蔵に訊いてみたら、彼も「あれ?」と目を瞬かせて辺りを見やった。しかし、教室の何処にも八左ヱ門の姿はない。
「さっきまで、此処にいたよね? トイレかな」
「かな。何だ、あいつ。ネタを振るだけ振ってどっか行くって、どういうことなんだ」
まったく訳が分からない。おれは鏡の位置を調整し、用心深く前髪にはさみを入れた。はらりと落ちる髪の毛を、左手で受け止める。雷蔵は読んでいたマガジンを机に伏せ、こう言った。
「……だけどさっきの八左ヱ門、妙に真面目だったね」
「雷蔵もそう思った?」
「うん、何かシリアスだった」
雷蔵も同じことを考えていたらしい。彼とシンクロしたことがじんわりと嬉しい。 ……いや、今はひとまず、その喜びは横に置いておこう。
「……もしかして、あれがあいつの悩み?」
おれは、小さな声で言った。特に根拠があったわけではない。ただの思いつきだった。雷蔵は目を丸くする。おれたちは視線を合わせたまま、しばらく黙り込んだ。今日も、教室はざわざわと騒がしい。八左ヱ門の声が耳の奥に蘇る。
……忍者に、なる夢だよ。
「まっさかあ!」
おれと雷蔵は、同時にそう言って笑った。本当に、まさか、としか言いようがない。自分の発言が可笑しくて仕方なく、おれは肩を震わせた。
「それは流石に無いよー」
雷蔵は手をひらひらさせる。おれも別に本気で言った訳では無かったので、「だよねえ」と返して頷いた。忍者になる夢で思い悩む竹谷八左ヱ門。荒唐無稽すぎる。あまりにばかばかしいので、おれはすぐに話題を変えることにした。
「そうだ、雷蔵。こないだ借りた本、もう少し借りてても良いかな」
おれの鞄の中には今、柳広司「ジョーカー・ゲーム」が入っている。昨日、雷蔵から借りたものだ。いつもならばとっくに返しているところだが、今回はまだ半分ほどしか読めていない。面白くないわけではなく、意図的に読書の時間を減らしているのだ。
「ああ、うん、良いよ。ゆっくり読みなよ」
雷蔵は、笑顔で頷いた。そのやさしい表情に、おれの胸はきゅんとなった。ああ、どうしてこの人はこんなに可愛いのだろう。
「おれ、しばらく、授業中に読むのはやめようと思ってるんだ」
「三郎、ずっと読んでるもんねえ。しかも割と堂々と」
雷蔵の言葉に頷きながら、あっ雷蔵って意外と授業中もおれのことを見ていてくれているんだ……などと、小さく胸を震わせる。いや、単におれの授業態度が悪いのに気を揉んでいるだけかもしれないが、そうだとしても嬉しい。
「試験前くらい、真面目に授業を聞くって決めた」
おれはしっかりとした口調で言った。雷蔵が軽く手を叩く。
「おお、やる気だ」
「うん、やる気だよ」
おれは拳を握った。試験なんて、今までほとんど真面目に取り組んでこなかった。巫山戯た回答をしたり、途中で退席したり、わざと名前を書かなかったり。そんなことばかりしていたが、今回は本気だった。全教科、全力でやると決めたのだ。
雷蔵に、今度の試験は本気でやりなよ、と言われたのである。ならば、死力を尽くして挑まざるを得ない。
それに、おれはひとつの決意をしていた。
良い点を取って雷蔵に褒めて貰ったら、そのときは彼に告白をする。
そう、決めたのである。
正直、勝算に関しては未知数であるとしか言いようがない。拒絶されたときのことを考えたら恐ろしい。恐ろしすぎて、具体的に想像することが出来ないくらいだ。しかしもう決めた。何があっても、これだけは変えない。
友人として、雷蔵の隣にいるのはとても心地が良い。彼との友情を育むことは楽しいし、それは非常に尊いのだということも知っている。しかしやはり、足りない。友情だけでは満足出来ない。どうしようもない。おれは心の底の底のもっと奥にある、根っこの部分がどっぷりと雷蔵への恋に侵されているのである。
おれは今まで、自分の顔が分からなかったばかりに、抑圧された生活を送ってきた。しかし高校に入り、雷蔵に出会って、ようやく不毛な日々から解放されたのだ。
それなのにまた、自分の心を無理矢理曲げて、本意に沿わない生き方をしなければならないのか。
……有り体に言えば、我慢するのに飽きたのである。もうおれは充分に我慢した。耐えた。だからもう良いじゃないか、と思うのである。八左ヱ門のことを気に掛ける雷蔵に嫉妬して心の均衡を崩したときに痛感した。もう、こんなことはやめにすべきだと。
上っ面だけの「友情のようなもの」で取り繕っても駄目なのだ。おれは雷蔵に恋をしているのだから。分かっていても、友人のままでいる限り、
あのようなことを繰り返してしまう気がしてならない。
雷蔵が好きだ。心から、雷蔵に恋をしている。それをひとりで抱えていたくない。雷蔵に伝えたい。雷蔵に。
……だからきっと、これは良い機会なのだ。
雷蔵は、伏せていたマガジンをふたたび手に取った。楽しそうに「エリアの騎士、エリアの騎士」と言いながらページをめくってゆく。
おれはそんな彼を見ながら、前髪を切る作業に戻った。鏡を見る。自分の顔がきちんと見える。
うん、大丈夫だ。
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