■ライ・クア・バード 10■
梅雨が終わってからは、一学期の終わりまであっという間だった。期末テストも終業式も風のごとく過ぎ去ってしまった。
テストの結果は良くも悪くもなく、こんなもんかーという感じだった。八左ヱ門はだいぶ苦戦したようで、どうやったらこの結果を隠滅出来るだろうかと、そんなことばかりを口にしていた。多分、彼の敗因はモンハンだと思う。
……三郎は10点と20点と30点と40点と50点と60点と70点と80点と90点と100点を取って職員室に呼び出された。答案を見せてもらったとき、ぼくは唖然としてしまった。狙ったのと聞いたら、「偶然だよ」と言われたけれど絶対に嘘だ。彼なら点数の調整くらい、難なくやってのけるに違いない。三郎は本当に、底が見えない。
ぼくは相変わらず、三郎や八左ヱ門と共に日々を過ごしていた。
三郎はぼくの家に来て借りる本を選び、ちょくちょく手料理を振る舞ってくれる。最初に作ってくれた肉じゃがの他、カレーやハンバーグや、それに美味しいものを沢山。彼の作るものは、本当にどれも美味しい。特に茄子の煮浸しがやばい。
ぼくはもう彼の料理を食べて号泣してしまうことは無いけれど、それでも毎回感動を覚える。それくらい三郎のご飯は美味いのである。
「三郎、いつもご飯を作ってもらっているからさ、何かお礼をさせてよ」
ある日の帰り道、ぼくは彼にそう持ちかけてみた。期末テストが終わってすぐのことだったと思う。蝉の鳴き声が五月蝿かったことを鮮明に覚えている。
「お礼なんて。いつも本を貸してもらっているじゃないか」
三郎はぼくの申し出に驚いたみたいで、目を丸くして首を横に振った。
「それだけじゃ足りないよ。もっと何か……何か無い?」
本当は、僕の方で何かお礼を考えるつもりだったのだけど、案の定というか何というか、迷ってしまって決められなかった。だからもう、本人に訊いてしまえと思ったのだ。
三郎は少し考える素振りを見せた。ぼくは黙って彼の言葉を待った。やがて、三郎は口を開いた。
「じゃあ、これからTSUTAYAに行くから、付き合ってくれるかい」
「え、あ、うん。良いよ」
予想外の台詞に、ぼくは首を傾けつつも頷いた。
「良いけれど……それがお礼とか言わないよな?」
「DVDを借りるから一緒に見てくれよ」
「そんなので良いの?」
ぼくは眉を寄せた。それはお礼にならない気がする。もっと、あれが欲しいとか、これが欲しいとか、言ってくれて良いのに。
「一人だと、借りるだけ借りてなかなか見ないんだよね」
「そういうもん?」
「そういうもんだよ。二人ならホラーだって借りられるし」
「三郎、ホラー苦手なの?」
とても意外だ。ホラー映画に怖がる鉢屋三郎。その光景を想像してみようとしたけれど、上手く象を結ばなかった。それくらい、普段の三郎のイメージとはかけ離れている。
「雷蔵と一緒なら見るよ」
三郎は真剣な面持ちで言った。ぼくは少し可笑しくなって笑った。三郎はテストの結果はあんなだったけれど……いや、むしろあんな点数だったからこそとても頭が良くて、運動だって出来るし、料理も上手い。それなのに、ホラー映画がひとりで見られないなんて。何をやっても三郎には敵わないなあと思っていたので、少し安心したし気分が良くもなった。
「じゃあ、しょうがないな。ぼくが一緒に見てあげよう」
ぼくは彼の肩を叩いて笑った。
……そういう訳でぼくたちは、たまにぼくの家で一緒にDVDを見るようになった。真っ先に「リング」を借りて見たけれど、三郎は特に怖がる素振りを見せなかった。貞子がテレビの中から出て来ても、まったくの無反応である。
「怖くないの?」
と尋ねたら、「きみと一緒だもの」と返って来た。どうやら、誰かと一緒なら怖くないらしい。そんなものか……と思いつつ、少々残念だった。貞子に怯える鉢屋三郎を見てみたかった。
夏休みに入っても、それは続いた。しばしば八左ヱ門も加わって、三人で映画のDVDを見るのだ。
だけど八左ヱ門は、アクションやホラーでなければ高確率で寝てしまう。あのときもそうだ。借りたのは「友だちのうちはどこ?」だった。名作だけれど、彼には退屈だったようだ。
「……八左ヱ門、また寝てしまったね」
ソファに深く身を沈めて寝息を立てる八左ヱ門を見て、ぼくは小声で三郎に話しかけた。 そうしたら、八左ヱ門が「……うう……」と呻いて両腕をさすった。
「寒いのかな。ちょっと温度上げよう」
ぼくはエアコンのリモコンを手に取り、室温を少し高めに設定した。ソファにもたれて床に座っていた三郎は八左ヱ門を振り返り、こう言った。
「ずっと思ってたんけど、こいつ、一度寝たらなかなか起きないよな」
「ああ、うん。そうだね」
「……雷蔵、何かペンとか無い?」
にやりと笑う三郎に、ぼくは「ええー」と声をあげた。
「額に肉って書いてやろうよ」
「えええー、それ、アリかなあ?」
「おれの前で隙を見せるのが悪い」
「せめて、水性にしてあげようよ」
そんな会話をしていたら、八左ヱ門がまた「……う、うう……」と低い声をあげた。自分の身体を抱くようにして、ソファの上で小さくなっている。
「そんな寒いのかな……、というか、うなされてる?」
ぼくは少し心配になって、エアコンのリモコンと八左ヱ門の顔を交互に見た。三郎は目を細め、「試験の夢でも見てるのかな」と言った。八左ヱ門はくるしげに眉を寄せ、断続的に唸り声をあげている。よっぽど嫌な夢を見ているらしい。
「起こした方が良いのかな。そっとしとくべきかな。どうしたら良いと思う……?」
「とりあえず、額に肉って書こう」
いつもの癖で迷ってしまうぼくとは対照的に、三郎は平然としている。いや、そんな場合じゃなく……と言おうとしたら、八左ヱ門の腕がびくりと持ち上がった。
「うわっ、あっ、あああっ!」
彼は悲鳴をあげて、勢いよく上半身を起こした。物凄い声だった。彼は小学生のときに木から落っこちたことがあるのだけれど、そのときを思い出させる叫びだった。
「は……八左ヱ門、大丈夫?」
ぼくは、恐る恐る八左ヱ門の肩に手を添えた。彼の顔がこちらを向く。
「あ……あれ?」
八左ヱ門は呆然と呟いた。それから辺りをきょろきょろ見回して、三郎の顔を見つめ、最後にもう一度ぼくを見た。
「あっ……、お、おれ、何か変な寝言とか言ってなかったっ!?」
彼は妙に切羽詰まった調子で、そんなことを言った。ぼくは咄嗟に返事が出来ず、固まってしまう。代わりに三郎が、口の端を持ち上げてこう言った。
「何だ、えろい夢でも見てたのか」
「は? ……アホか! ちげえわ!」
「いや、何も言ってなかったけど……随分うなされてたよ」
大丈夫? と尋ねると、彼は一瞬泣きそうになった。それからぎゅっと拳を握り「……何も言ってないなら、良い」と呟いた。普段の八左ヱ門とは明らかに違う態度だった。ぼくは胸がざわざわするのを感じた。一体どんな夢を見ていたのか問い質したかったけど、出来なかった。ぼくが立ち入ってはならない気がしたのだ。
……そしてこの日以降、八左ヱ門は「DVDを見る会」には参加しなくなったのだった。
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