■ライ・クア・バード 06■
「三郎、大丈夫かな……随分具合悪そうだったけど」
ぼくは教室の入り口を見つめ、購買部からなかなか戻ってこない友人のことを思った。ぼんやり窓の外を眺めていたら、ふらついて窓に手を突いた三郎。真っ青な顔をしていた。ひとりで行かせて良かったのだろうか。ぼくも付き添うべきだったかな。でも先程の三郎は何となく他を寄せ付けない感じがしたし……いや、でもなあ……。
「おれがシャーペン壊しちゃったからかなあ……」
すぐ側で、八左ヱ門が不安そうに言った。真面目で善良な八左ヱ門。ぼくは微笑んだ。
「流石に、それが原因ではないと思うよ。それにあのシャーペン、最初から壊れてたもの」
ぼくがそう言うのとほぼ同時に、教室の戸が開いた。三郎が入ってくる。
「あっ、帰って来た」
ぼくが声をあげたら、三郎はぱっと顔を上げた。そして、ぼくたちに向かって笑顔で手を振り「ただいま!」と言った。
そんな彼に手を振り返しながら、ぼくはあれっと思った。見違えるほど、三郎の顔色が良くなっている。先程まで真っ白だった頬には赤みが差し、つやつやと輝いていた。あんなにも死にそうだったのに、すっかり元気になったみたいだ。
「おかえり。シャーペン買えた?」
「うん、見て」
ぼくの言葉に大きく頷き、三郎はシャーペンを差し出してきた。細身の黒いシャーペン。何処かで見たことがあるなあ……と思ったところで、三郎がこう言った。
「ほらっ、きみとお揃いだよ!」
そうして、にっこり笑顔。とても嬉しそうだ。ぼくはもう一度、三郎のシャーペンに視線を落とした。
「あっ、そういえばそうだね」
何処かで見たことがあるもなにも、自分が使っているシャーペンだった。ぼくの隣で、八左ヱ門が「うえ……」と、変な声を漏らした。三郎はにこにこ顔で、続ける。
「あと、見て見て。消しゴムと、シャー芯と、ボールペンと……全部お揃い!」
そう言って三郎は、ぼくの机の上に文房具をひとつずつ丁寧に並べてゆく。確かに彼の言うように、それらは全部、ぼくの持っているものと同じだった。
「ほんとだ、みんなおんなじだね」
ぼくが頷くと、三郎は目を細めて「ねー」と言って首を傾けた。そこに、心底嫌そうな顔をした八左ヱ門が、「いやいやいやいや」と割り込んでくる。
「ねー、じゃねえよ。普通に寒いわ」
「なにが」
三郎は、何を言っているのか分からない、みたいな表情を八左ヱ門に向けた。それを見て、八左ヱ門の顔がますます渋くなる。
「……お前、わざわざ雷蔵と揃えるために、それ全部買ってきたのか」
「うん」
「おお……素で頷きやがった。隠そうともしねえ」
「ぼくが使ってるの、よく覚えてたね」
ぼくは素直に感心していた。確かにぼくの使っている筆記用具は、全部学校の購買部で買い揃えたものだけど、普通、売り場を見て「これは雷蔵の使っているものだ」とすぐに分かるものだろうか。ぼくは、三郎や八左ヱ門が使っている文房具を、売り場で言い当てる自信はない。
「うん、一生懸命思い出したよ」
三郎は大事そうにシャーペンや消しゴムを拾い上げた。すごいねえ、と言おうとしたら、また八左ヱ門の「いやいやいやいや」が入って来た。
「お前、一生懸命になるところが違うだろ。雷蔵はそれで良いの?」
「何が?」
聞き返すと、焦れったそうな声が返ってくる。
「男に持ち物を真似される件についてだよ」
ぼくは少し考えた。何も考えていなかったけれど、「男に持ち物を真似される」と言われると、少しおかしいかな、という気もする。お揃い、なんて久々に聞いた言葉だ。女子じゃあるまいし、とも思う。
それを踏まえてもう少しだけ考えて、ぼくはこう言った。
「良いんじゃない? 持ち物なんて個人の自由だし」
「ええええっ」
ぼくの答えを聞いて、八左ヱ門は思い切り顔をしかめた。
男同士でお揃いなんて寒いけれど、でも、まあ、購買で売っているものだから、三郎に限らず誰かとかぶっているだろうし。それに、こんなにも嬉しそうに「お揃いだよ!」と宣言されると、何となく「良かったねえ」と言いたくなってしまう。
「何なの。竹谷くんは何が気に入らないの?」
ふう、と溜め息をついて、三郎は横目で八左ヱ門を見た。
「えっ何この流れ。何でおれがおかしい、みたいなことになってんの? いや、絶対お前らがおかしいって!」
釈然としない様子の八左ヱ門から視線をずらして、三郎はぼくの方を見た。それから、子どもみたいな顔で笑った。ぼくも思わず、笑顔になる。
「三郎、顔色良くなったね」
そう言うと、三郎は「そう? そうかな?」と、頬に両手を当てた。それから彼は、こんなことを言った。
「雷蔵、鏡持ってる?」
「へ? いや、持ってないよ」
まさかそういう流れになるとは思っていなかったので、変な声が出てしまった。三郎は「そっか」と言って、きょろきょろと辺りを見回した。鏡を探しているようだった。
「何? コンタクトずれたとか?」
八左ヱ門の問いに、三郎は首を横に振った。
「ううん、そうじゃなく……あっ、その鏡貸して!」
たまたま近くに、机に鏡を出している女子がいたので、三郎は声を大きくした。突然声をかけられたので、持ち主の女子はびっくりしたみたいだった。ぼくも、少し驚いた。もしかしたら、三郎が女子と会話しているところを、初めて見たかもしれない。
「鏡、貸して」
三郎は、もう一度言った。今度はゆっくり、噛み締めように。その女子は若干慌てながら、何だか妙にキラキラした鏡を掴み、三郎に差し出した。彼はそれを受け取り、まじまじと鏡を見つめた。物凄く、真剣な表情だった。何となく、ぼくと八左ヱ門も真面目な顔で、その様子を窺った。
「……うん」
満足げに、三郎は頷いた。
「うん、うん!」
何やらはしゃいだ様子で何度も頷き、顔を上げた。視線が合う。彼は歯を見せて笑った。輝く笑顔だった。なので、とりあえずぼくも笑っておく。何だろう。何がそんなに、嬉しかったのだろう。
三郎は鏡を閉じ、持ち主の女子に返しに行った。その隙に、八左ヱ門がぼくの耳元で囁く。
「……三郎って、前から変だとは思ってたけど、本格的におかしな奴かも」
「……かもだねえ」
ぼくは同意しつつも、でもさっきの笑顔は良かったな、と思った。何が良かったのかは、自分でもよく分からないのだけれど。
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