■遠い月 03■
「だからっ! 飛ばしすぎだって! 言ってるだろ!」
生い茂る木々の隙間を走り抜けてゆく三郎に向かって、久々知は嗄れた声で叫んだ。汗を拭うことはとうに忘れた。自らの呼吸音が耳元で反響する。酸素が、酸素が足りない。
第一地点を出たのちも、三郎の無茶な調子は変わらなかった。足元の草を蹴散らして、森の中をぐんぐん駆けてゆく。ひとつ足を踏み出すごとに、久々知はもう無理だついて行けないと思ったが、それよりも意地が勝ち、なんとか三郎について行った。
「はは! 何だか楽しくなってきた!」
三郎は弾んだ声をあげた。全力疾走で気分が高揚するなんて、お前は子どもかと久々知は呆れた。ついてゆく、こちらの身にもなって欲しい。こいつと四六時中一緒にいる、雷蔵の苦労を思うと涙が出そうだ。
「さぶ……うわっ!」
三郎を必死で呼び止めようとするも、隆起した木の根に足を躓かせ、久々知は危うく転倒しそうになった。疲労の影響が足に出ている。
もう片方の足を踏ん張って耐え、顔を上げたらもう三郎の姿は見えなくなっていた。眼前に広がるは、草木の緑色だけだ。久々知は眉を寄せ、自分の足を捕らえた忌々しい木の根を蹴った。
ちらりとも振り返らずに行きやがった。なんて野郎だ。ふたり揃って中間地点に到達しないと、失格になってしまうというのに。
久々知は軋む胸から息を吐き出し、ぶんと腕を振って走り出した。楽しそうに走る三郎の姿が脳裏に蘇って悔しかった。何としても、追いついてやる。
思ったよりもずっと早く、三郎は見つかった。彼はこちらに背を向け、太い木に身を寄せるようにして立っていた。こちらが追いつくのを待っていてくれたのだろうかと一瞬思ったが、どうもそういう様子ではないようだった。久々知は首を傾げ、三郎の隣で立ち止まった。途端、足腰がずしんと重くなり、その場に崩れそうになる。胸が苦しい。久々知は必死で、空気を体内に取り込んだ。
久々知たちの立つ目の前は、崖になっていた。高さはおよそ十六尺。低みに茂る樹木が、風でざわざわと蠢いた。
「兵助、見ろよ」
三郎は小声で言って、久々知の肩をつついた。口元に笑みを浮かべて、崖下を指さしている。流石に彼も多少息があがっていたが、まだまだ余力がありそうだった。
一体何を見ろと言うんだ。これでくだらないものだったら、ぶん殴ってやる。
久々知はそう思いつつ、肩を大きく上下させながら 三郎の指し示す方向に目を向けた。視界を覆うのは緑ばかりであったが、よくよく目を凝らすと、ちらりと人影が見えた。
「……誰か、いるな」
「忍術学園の関係者じゃあ、なさそうだぜ。何をしていると思う?」
三郎は悠然と腕を組んだ。久々知はその場に屈み込み、崖から身を乗り出して目に神経を集中させた。緑が深くて視界が悪い。そんな中、濃紺の忍者装束が、ひとつ、ふたつ、みっつ見える。まだ他にもいるかもしれない。彼らは地面にしゃがみ、何か作業をしているようだった。手元を伺うのは困難だが、なんとなく予測は出来る。
「埋め火……?」
ひくく呟くと、三郎はにっと笑った。
「明日、福富屋から忍術学園に、硝石が大量に運び込まれる。あすこはその輸送経路だ」
「……何でそんなこと、お前が知っているんだ」
火薬委員である久々知は、明日硝石が届くことは知っていたが、輸送経路までは知らなかった。すると三郎は、悪戯っ子のような顔つきになった。
「一昨日、学園長先生の庵の床下で、偶然聞いた」
「偶然、な」
久々知はため息をついた。それから再度、崖の下に視線を落とす。
「つまりあれは、その情報を何処ぞから入手した輩の、妨害工作か」
「そういうことだな。兵助、何か武器を持っていないか」
「武器? 色々あるけど。手裏剣、苦無、宝禄火矢……」
「よし、宝禄火矢を貸してくれ」
三郎は久々知に向かって手を差し出した。久々知は眉をひそめて、その手を見つめる。
「……独断で深入りすべきじゃない」
「しかし硝石を守らないとだめだろう? 火薬委員」
三郎はそう言って顔を寄せてきた。まるい瞳が久々知の目をじっと見る。その目に気圧され、久々知のこめかみがひくついた。しばらくふたりはそのまま顔を突き合わせていたが、やがて久々知が折れた。
「どうなっても知らないからな」
久々知は渋面を作りながら懐より宝禄火矢を取り出し、三郎の掌にそれを押しつけた。三郎は満足げな表情で、宝禄火矢を握り締める。
しかしこうも木が繁茂していたら、宝禄火矢を投げても地面まで到達せず、途中で枝に引っ掛かってしまうんではないだろうか。
なんてことを考えていたら、いつの間にか火矢に点火していた三郎が、軽い動作でそれをひょいと放り投げた。宝禄火矢は複雑に絡んだ枝の間を上手くすり抜け、不審な人影の元に落ちた。あまりに正確な狙いに久々知が目を見開くのと同時に、こもった爆発音が響いた。眼下の木々が揺れ、久々知の足元にも振動が伝わってきた。火薬の匂いとともに、煙があがる。
三郎は素早く覆面を引き上げると、煙の中に飛び込んで行った。打ち合わせも何も無しで、敵中に突っ込む三郎が信じられなかったが、そこはもう鉢屋三郎だから仕方がない、と思うことにした。
「というか、おれ、疲れてるんだけどな……」
やっぱりこいつと組むんじゃなかった。
ぼやきつつ久々知も覆面を引っ張り、地面を蹴って崖から飛び降りた。太い枝があちこちに伸びているので、足場には困らなかった。
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